合コンで笑いが取れない司法書士の日常
「合コンに行っても笑いが取れない」。これは冗談ではなく、まさに現実の話だ。私は地方で司法書士事務所を営んでいる45歳の独身男性。仕事ばかりの毎日で、たまに顔を出す合コンが息抜きのつもりなのに、そこでさえ気を使いすぎてスベってしまう。笑わせようとして出した話が空回りし、場の空気を止めてしまったときの気まずさと言ったらない。真面目な職業ゆえの呪いなのか、話すことすべてが「固い」印象になってしまう。日々の疲れを癒やしたくて合コンに行くのに、さらに自尊心が削られて帰ってくるこの矛盾。司法書士という肩書きが、モテるどころか笑いのブレーキになっている気さえする。
そもそも合コンに呼ばれない問題
合コンにすら呼ばれない時点で、勝負の土俵に立てていない。昔の友人たちに「誰か紹介してよ」と言っても、笑顔で「いい人いたらね」と言われたあと、連絡は来ない。これはつまり、紹介する価値がないということなのか。学生時代はそれなりに話すのが好きだったし、場を盛り上げることも苦ではなかった。でも今は違う。無理して明るく振る舞っても、どこか空回りしてしまう。そんな自分が、いつから「紹介したくない側」に回ってしまったのか、しみじみと考えてしまうのだ。
「紹介するね」のあと、音信不通になる謎
「今度紹介するね」という言葉が、もはや社交辞令であることは理解している。それでも毎回、少しの期待を抱いてしまうのが悲しいところ。だが現実は、そこから二度と連絡が来ない。私の何がいけないのだろうか。やはり「司法書士」という職業が固すぎるのか。話題にしてもウケが悪いし、日常の面白い話をしようにも、登記や遺言の話ばかりで、会話がどこか浮世離れしてしまう。真剣に仕事と向き合っているつもりでも、合コンの場ではただの“つまらないおじさん”として処理される。
身だしなみには気をつけてるつもり、でも空回り
服装だって気にしている。美容院も月一で行ってるし、ジャケットもユニクロじゃない。でも、なんか違うらしい。若い子たちが着こなすカジュアルなオシャレには敵わないし、無理して合わせようとすると「頑張ってる感」が滲み出て逆効果。スーツのほうが落ち着くのに、それじゃ堅苦しいって言われる。結局、合コンの服選びで悩んだ末に出かけ、緊張して乾杯のビールを一気飲みして自己紹介で噛むのがオチ。もうコントかな、って自分でも思う。
勇気を出して参加した合コンの末路
数ヶ月前、久しぶりに参加した合コンがあった。知人の弁護士の紹介で、年齢も近く、落ち着いた雰囲気の女性たちだった。でも、私の笑いのセンスが絶望的だったのだ。軽く自己紹介をしただけで場がシーンと静まり返り、そこからの会話は修羅の道だった。自分では軽いつもりの話も、全く受けず、気まずさだけが残った。笑いが取れないどころか、沈黙を生む能力ならピカイチなのかもしれない。
最初の一言でスベったらもう地獄
「最近、登記の申請でミスってね……」なんて話、合コンで出すもんじゃない。分かってるんです、わかってはいるんです。でも、それしかネタがない。しかも笑わせようと必死になって、過去の失敗談を盛りすぎてしまい、逆にドン引きされるパターン。最初の一言がスベった時点で、その場での自分の役割が“お荷物”に決定する。この空気感、何度味わっても慣れない。心の中で「これ、もう帰ってもいいかな?」と何度もつぶやいている。
「司法書士って何やってるの?」の返しに困る
合コンでよく聞かれる質問No.1が「司法書士って何やってるの?」。これ、毎回説明してるのに、毎回空気が止まる。どう言えばウケるのか、何度も考えた。でも「不動産登記や会社設立、相続関連の業務をやってます」と説明しても、ポカーンとされるだけ。だから少し砕けた言い方で「土地とか建物の持ち主を記録に残す仕事です!」と言ってみても、笑いは起きないし、リアクションも薄い。
法務の話はウケないと知っていても話してしまう
わかってる、法律の話なんてウケないことくらい。でも、仕事以外の話ってあまりない。平日は書類とにらめっこ、土日は疲れて寝て終わり。趣味も“仕事の効率化”とか言い始めると、余計に引かれる始末。もう少し砕けた趣味でも始めたほうがいいのかもしれない。でも、無理して作った趣味で話を合わせるのも不自然だし……。結果的に、また仕事の話に戻ってしまい、女性の目線が明後日の方向を向く。もはや特技だ。
なぜ笑いが取れないのか、自己分析してみた
なぜ自分はこうも笑いが取れないのか。真剣に考えたことがある。性格の問題?それとも年齢?いや、そもそも“笑いを取ろう”としている時点で無理があるのかもしれない。焦りと空回りが、空気をさらに重たくしてしまう。無理に明るくふるまおうとすると、不自然さが際立つ。本来の自分は、真面目で地味。笑いではなく“安心感”を与えるタイプなのかもしれない。そう開き直ってみても、合コンでの自虐は続いてしまうのだけど。
自虐ネタがガチで重い
「最近、相続の件でトラブってさ……」なんて話、そもそも自虐ネタじゃないし笑えない。自分では軽く話しているつもりでも、聞く側からすれば“怖い話”に近い。誰も笑わないし、むしろ同情される。でも、それすらも嬉しく感じてしまう自分がいて、「ああ、俺、疲れてるな」と思う瞬間がある。笑われないのではなく、笑わせようとすら思われていない。そんな現実に気づくと、ちょっと泣けてくる。
職業病としての“正確さ”が邪魔をする
司法書士の仕事は「正確さ」が命。だから話をする時も、どうしても細かい情報を補足したくなる。例え話をしても、「実際は違うんだけどね」と訂正を入れてしまい、笑いの流れが止まる。ウケ狙いの嘘話ができない。誠実さの代償として、ユーモアを捨ててしまったのかもしれない。でも、正確であることが信頼につながる世界にいる以上、それを手放すのも怖い。笑いと信頼は両立できないのか。葛藤は続く。
オチにたどり着く前に事実確認を入れてしまう
話のオチを話す前に、「ちなみにこれは平成28年の改正前の話ね」なんて入れてしまう。そんな補足、合コンではいらないと分かっていても、出てしまう。これはもう職業病だ。笑い話の途中で補足を入れると、場のリズムが崩れる。笑いとはテンポが命だということを、身をもって痛感する。でも、訂正せずにはいられない。事実誤認を放置することが怖い。それが司法書士という職業の業(ごう)なのかもしれない。
それでも諦めない理由
合コンで笑いが取れない。それでも、私は諦めたくない。誰かと繋がること、誰かに笑ってもらえること、それが仕事の疲れを癒す瞬間だから。モテたいとか、笑わせたいとか、そんな欲求の奥にあるのは、誰かに「あなたがいてくれてよかった」と言ってもらいたいという気持ちだ。自分のままで、誰かとちゃんと向き合えたら、それだけで救われる気がする。
仕事帰りの疲れに効くのは、やっぱり人の笑顔
帰り道、コンビニの店員さんの笑顔に救われたことがある。誰かが笑ってくれる、それだけで一日が報われることもある。だから、合コンで笑いが取れなくても、人と向き合おうとする気持ちは大切にしたい。笑わせようとしすぎて空回りするより、自分の不器用さごと受け止めてくれる人が一人いれば、それで十分だと思えるようになってきた。
同業者とのつながりが心の支えになる
合コンで失敗するたびに、「俺だけじゃないよな?」と他の司法書士に聞きたくなる。実際、同業者と話すと「あるある」がたくさん出てくる。スベる話、自虐の方向性、服装の悩み。みんな、どこかで同じ壁にぶつかっていると知るだけで救われる。独身だっていい。笑いが取れなくてもいい。ただ、「同じように頑張っている人がいる」と思えるだけで、また少し前に進める。