『おめでとう』が言えなかった日──司法書士という孤独な職業から思うこと

『おめでとう』が言えなかった日──司法書士という孤独な職業から思うこと

「お祝いの言葉」が喉の奥に引っかかる日がある

「おめでとう」と言えばいいのに、言葉が喉の奥に引っかかって出てこない。そんな日がある。誰かの昇進、結婚、出産…自分でも祝ってあげたい気持ちはあるのに、不思議なくらい言葉が出てこない。冷たい人間に思われたらどうしようとか、変に意識しすぎてしまう。もしかしたら、心のどこかで置いてけぼりになった気分になっているのかもしれない。司法書士という仕事柄、人の感情に寄り添うのが苦手になったのかもしれない。

祝い事は好きだけど、言葉が出てこない

そもそも、祝い事自体は嫌いじゃない。むしろ人が幸せそうにしている姿は見ていて心が温まる。でも、その幸せを「言葉」にして伝えるとなると、一気にハードルが上がる。たとえば昔、友人の結婚式に招かれたとき。会場に入る前は「今日はちゃんと『おめでとう』を言おう」と思っていたのに、いざ顔を合わせた瞬間、口から出たのは「お疲れさま、準備大変だったね」だった。気づけば式の最後まで、まともに「おめでとう」と言えずじまいだった。

心から祝っているのに、表現ができないもどかしさ

自分の中では祝福の気持ちは確かにあるのに、それを言葉にするのが苦手。そんなもどかしさは、時に自己嫌悪にもつながる。「なんで素直に言えないんだろう」「ひねくれてるのかな」と自分を責めてしまうこともある。たとえ言えたとしても、どこか表面的で、心がこもってないように聞こえやしないかと心配になる。だから、あえて言わないことで自分を守っている部分もあるのかもしれない。

そもそも自分が「祝われる」経験が少なかった

振り返ると、自分自身が誰かから「おめでとう」と言われる経験が少なかったように思う。誕生日も忘れられていたり、合格しても「ふーん、良かったね」程度の反応だったり。そんな環境で育つと、祝う言葉に慣れていないのも無理はないのかもしれない。心が動く体験があまりに少なかったせいで、「お祝いの言葉」がどんな風に人を幸せにするのか、実感として理解できないのだと思う。

司法書士という職業のクセが感情を鈍らせる?

司法書士の仕事は、感情を排除して正確に手続きを進めることが求められる。喜びも悲しみも一旦は脇に置いて、「ミスがないか」「期日に間に合うか」に意識を集中させる。そんな日々を繰り返していると、気づけば人としての感情のアウトプットが減っていく。祝いの言葉すら、どこかぎこちなくなっていくのだ。

書類の正確さには敏感でも、人の気持ちには鈍感になる

たとえば登記の仕事。登記原因証明情報の書式が正しいか、印鑑の押し方がずれてないか、そういった細部に神経を使う。ところが相手の目の前では、「今日はご家族の思い出に残る一日ですね」なんて言葉はすっかり頭から抜け落ちている。正しさと向き合う時間が長いと、優しさを口にする筋肉がどんどん衰えていくような感覚がある。

「間違えられない」仕事の副作用

司法書士の業務は、一つのミスが登記不能や損害賠償請求に直結する。「間違えられない」というプレッシャーの中で生きていると、人間らしい感情表現は後回しになる。お祝いの言葉一つとっても、「今、言って大丈夫だろうか」「タイミングを外したら逆に変じゃないか」と考えすぎてしまう。結局は何も言えず、タイミングを逃し、後で自己嫌悪に陥るという流れができあがってしまっている。

事務員の誕生日に、何も言えなかった自分

先日、事務員の誕生日だった。彼女は毎日黙々と業務をこなしてくれている頼もしい存在だ。その日はこっそりケーキを買っていた。タイミングを見計らって、「誕生日おめでとうございます」と言おうと心に決めていた。ところが、いざその瞬間になると、結局何も言えず、冷蔵庫にケーキだけが置かれることになった。

ケーキは買ったけど、言葉が出なかった

自分なりに頑張って準備したのに、なぜ言葉が出なかったのか。ケーキを差し出すだけで満足してしまったのか、それとも失敗したくないという思いが強すぎたのか。たった一言「おめでとう」が言えなかっただけで、その日の夜は自己嫌悪で眠れなかった。気持ちを伝えるって、なんて難しいんだろうと痛感した。

ありがとうの代わりに沈黙があった

その日、彼女は「これ、私にですか?」と驚いた顔で言った。自分は「いや、まあ…」とごまかすように笑って、その場をやり過ごした。彼女もそれ以上何も言わず、静かな時間が流れた。感謝の気持ちはあった。誕生日を祝いたい気持ちもあった。でも、言葉にしなければ、何も伝わらない。ただの沈黙だけが残る。

どうしても言葉にするのが怖いときがある

たとえば、「おめでとう」と言って相手が無反応だったらどうしようとか、照れくさいとか、いろんな感情がぐるぐるする。子どもの頃、母親に手紙を書いて無視されたことがあって、それがずっと心の奥に残っている。言葉を届けることに、どこか恐怖があるのかもしれない。だから黙ってしまう。でも、大人になった今だからこそ、もう一歩踏み出したいとも思う。

しがない司法書士
shindo

地方の中規模都市で、こぢんまりと司法書士事務所を営んでいます。
日々、相続登記や不動産登記、会社設立手続きなど、
誰かの人生の節目にそっと関わる仕事をしています。

世間的には「先生」と呼ばれたりしますが、現実は書類と電話とプレッシャーに追われ、あっという間に終わる日々の連続。