長年の相棒はプリンター――壊れかけても、なぜか手放せない

長年の相棒はプリンター――壊れかけても、なぜか手放せない

今日もプリンターのご機嫌をうかがう朝

出勤して最初にすることは、パソコンの電源より先に、プリンターの電源を入れること。朝の静まり返った事務所に「ウィーン」という音が響く。これが、もう何年も続いている“朝の儀式”だ。とはいえ、すんなり動く日は少ない。エラーランプが点灯し、「トレイが開いています」「用紙がありません」など、毎朝違うトラブルを提示してくる。そんな状況に毎日イラつきつつも、「あぁ、今日もこいつは元気だ」と思ってしまう自分がいるのだから、不思議なものだ。

エラー音で始まる一日――まるで職場の目覚まし時計

「ピーピー、ガガガ」なんて音で始まる朝。目覚ましよりも確実に目が覚める。静かな朝に突如鳴り響くプリンターの不協和音が、今日も一日が始まったことを教えてくれる。多くの人にとっては騒音かもしれないが、自分にとってはすでに日常の一部となっている。まるで、うるさいけどなぜか憎めない近所のおばちゃんのような存在だ。

「カタカタ…ウィーン…ガガッ」だけで状態を察知する力

この音がしたら紙詰まり、この音がしたらインク切れ。もう五感ではなく“第六感”でプリンターの不調を感じ取れるようになってしまった。機械に詳しいわけでもないのに、なぜかその挙動のパターンだけは身体に染みついている。これって長年連れ添った夫婦に似ているかもしれない。言葉がなくても「なんか今日は機嫌が悪そうだな」と察する、あの感覚にそっくりだ。

替えたい。でも替えられない理由

もう何度「買い替えよう」と思ったか分からない。だけど結局、買い替えないまま何年も使い続けてしまっている。その理由は“愛着”なんてキレイなものじゃなくて、単純に「替えるのが面倒」「お金がない」「設定を一からやる気力がない」といった現実的なものばかり。そんな言い訳を重ねて、今日もこの相棒と仕事をしている。

買い替え予算? そんな余裕どこにもない

地方で司法書士事務所をやっていると、華やかな世界とは無縁だ。印紙代で財布が軽くなり、コピー用紙の束を買うかどうかでも迷う日がある。そんな中で数万円のプリンターをポンと買える余裕なんてあるわけがない。壊れてないなら、使う。それが我が家の、いや我が事務所のルールだ。

愛着というより諦めに近い執着

最初は確かに、いいプリンターだと思っていた。だけど最近は「どうせ壊れるんでしょ?」と心のどこかで諦めている。それでも、手放せない。設定をし直す面倒、互換性の問題、そして何より「また一から機械に慣れなきゃいけないのか」という億劫さが勝ってしまう。惰性で続く関係、それでもどこかに情があるのが人間なのかもしれない。

「動くうちは使う」が、どこまで通用するのか

紙が斜めに出ても、インクの色が少しおかしくても、「ま、いっか」と見逃している。自分の仕事にも似ている気がする。多少のミスやずれは「それも人間味」として許される世界。だけど限界を超えたとき、突然壊れるのは機械も人も一緒。そのときが来たら、自分もプリンターもどうなるのだろう。

メンテ代と感情のコスパ

修理に出すと数千円から一万円。それなら買い替えた方が早い。でも、何度か部品を取り替えて延命している。ここまで来るとコスパより感情。自分の機嫌とプリンターのご機嫌を両方とるのが毎日の業務になっている。事務員からは「もういい加減買い替えましょうよ」と言われるけれど、そのたびに「うーん…まだ動くから」と言い返してしまう。

司法書士業務とプリンターの意外な相性

司法書士の業務は、いまだに「紙」が基本だ。電子申請が普及しても、登記識別情報や原本還付の手続き、顧客とのやりとりには紙が必要な場面が多い。そう、プリンターはただの周辺機器ではなく、事務所の“心臓”みたいなものだ。止まったら仕事が止まる。

紙文化から逃れられない日常

電子化が進んでいるとはいえ、法務局はまだまだ紙文化。依頼人だって「印刷された書面」を信頼する傾向がある。ましてや相続関係説明図や委任状など、書面の正確性が問われる場面では、プリンターの質と信頼性が問われる。そんな業界で「調子の悪いプリンター」を使い続けるという矛盾。それでも、これが現実なのだ。

PDFでは済まされない「押印ありき」の世界

「PDFで送ってください」と言われても、最終的には印刷して、押印して、郵送するのが常。そうしないと正式書類と認めてもらえない。だからこそ、プリンターは司法書士にとって武器であり盾でもある。たとえ古くても、遅くても、うるさくても、その存在は欠かせないのだ。

壊れたら、少し寂しいと思うかもしれない

もし明日、このプリンターが完全に壊れたら――たぶん、怒る。でも、同時に少しだけ寂しくなると思う。ずっと一緒にいたから、感情が入ってしまっている。人間関係でもよくあるだろう。面倒な人ほど、いなくなると喪失感が大きい。プリンターにも、そんな存在感がある。

モノに依存していたのは、自分かもしれない

プリンターがいないと、何もできない。そう感じる瞬間がある。これって仕事だけじゃなく、自分の存在の拠り所が機械になっていたということかもしれない。少し怖い。でも、それが今の働き方の現実だとも思う。技術に頼り、機械に寄りかかることを否定はできない。

「相棒」って言葉が似合うのは人間だけじゃない

「相棒」と呼べる人はいない。独身だし、同業の友人も少ない。でもこのプリンターには、どこかそんな雰囲気を感じる。言葉を交わさなくても、毎日そこにいて、自分の仕事を支えてくれる。そう考えると、相棒という言葉が意外としっくりくるのだ。

しがない司法書士
shindo

地方の中規模都市で、こぢんまりと司法書士事務所を営んでいます。
日々、相続登記や不動産登記、会社設立手続きなど、
誰かの人生の節目にそっと関わる仕事をしています。

世間的には「先生」と呼ばれたりしますが、現実は書類と電話とプレッシャーに追われ、あっという間に終わる日々の連続。