誰にも相談できない悩みがある。それでも誰かに話したかった日のこと

誰にも相談できない悩みがある。それでも誰かに話したかった日のこと

誰にも相談できない悩みがある。それでも誰かに話したかった日のこと

ひとりで背負いすぎる司法書士という職業

司法書士という仕事は、誰かの不安を受け止める仕事です。不動産登記でも、相続でも、裁判書類でも、「これで合ってますか?」「大丈夫ですか?」という質問を山ほど浴びる。だからこそ、こちらは堂々としていなきゃいけない。自信を持って、間違えず、冷静に対応する。そういう姿勢が求められる職業です。でも、自分の中にある不安や孤独、そういう感情をどこに置けばいいのか分からなくなるときがある。私は、そんな日々を繰り返していました。

相談される側だけど、相談できない日々

たとえば、登記の内容で迷いがあったり、仕事が立て込んで夜遅くまで作業していたり。そんな時に「ちょっと聞いてほしい」と思っても、誰にも言えない。職員さんは一人。彼女に業務の負担をかけている手前、愚痴なんて言えないし、友達も少ない。SNSに書こうものなら誤解されるリスクすらある。相談する場所がないというのは、地味に心を蝕んでくる。誰にも言えないことが、こんなに重くなるとは思っていなかった。

「こんなことで弱音吐くな」と自分に言い聞かせる癖

そもそも、私は昔から「人に頼るのは格好悪い」と思っていた。特に司法書士になってからは、さらにその傾向が強まった気がする。「自分で選んだ道だろ」「責任ある立場なんだから弱音を吐くな」。そんな声が、誰かに言われたわけでもないのに、自分の頭の中で繰り返されていた。だから、たとえどれだけ仕事がしんどくても、深夜に一人でエクセルと格闘していても、「大丈夫」と言い聞かせていた。無理が積み重なっていたのだと思う。

「頼れる上司」も「気軽に話せる同僚」もいないという現実

サラリーマン時代なら、上司に相談することもできたし、同期と飲みに行って愚痴をこぼすこともできた。でも今は、組織の中にいるわけじゃない。上司もいなければ、同僚もいない。電話をかけるとしたら、他の士業の先生かお客さんだけ。そんな状況で、気軽に悩みを口にするなんて、できるわけがない。これは独立してから強く感じた現実で、孤独との戦いが始まった瞬間でもあった。

誰かに話したい。でも話せない。

言葉にしたい気持ちはある。でも、それを口に出すことができない。そんなジレンマが、日に日に積もっていく。気づけば「話したいけど、どうせ話せない」という思考のループにはまっていた。表面上は元気に仕事をしていても、内心はけっこうギリギリだった。そんなときに限って、トラブルは続くし、急ぎの案件が増えてくる。心の余裕なんてどこにもなくなっていた。

「大丈夫?」と聞かれたら泣きそうになる

ある日、職員さんにふと「先生、最近ちょっと疲れてませんか?」と聞かれたことがある。その瞬間、涙が出そうになった。別に怒られたわけでも、厳しいことを言われたわけでもない。でも、「気づいてくれる人がいる」こと自体が、あまりにも久しぶりで、自分がどれだけ張り詰めていたのかを思い知らされた。たった一言の問いかけが、心に染みた。

愚痴さえ吐けない職業の孤独さ

士業って、なぜか「常に冷静で論理的であるべき」みたいな空気がある。間違ったら責められるし、ミスは許されない。だから愚痴なんて言ったら、信用を失う気がしてしまう。でも人間なんだから、愚痴のひとつやふたつ、出てくるに決まっている。吐き出す場所がないということは、それだけで精神的な圧迫になる。「先生って大変ですね」と軽く言われたこともあるけど、それがどれだけの重みか、わかってる人は少ないと思う。

相談することが「甘え」だと思っていたあの頃

若いころの私は、相談=甘え、と思い込んでいた。だからこそ、先輩司法書士に何かを聞くことも、正直ほとんどなかった。プライドもあったし、「一人前のプロなら全部自分で判断しろ」という思い込みもあった。でも今振り返れば、それはただの無理だった。自分を追い込みすぎて、勝手に孤立していただけ。もっと素直に「助けて」って言ってもよかったんじゃないか、そう思う瞬間が増えた。

それでも、ある日ふと話したくなった

そんなある日、同業の知り合いと偶然電話で話す機会があった。とくに悩み相談のつもりはなかったけれど、「最近ちょっとしんどくてさ」と口にした瞬間、言葉が止まらなくなった。自分でも驚くほど、ぽろぽろと言葉がこぼれていった。それだけ、心の中に溜まっていたのだろう。その相手は、ただ静かに話を聞いてくれた。それだけで救われた気がした。

話を聞いてくれたのは、まさかのあの人

話を聞いてくれたのは、昔一緒に働いていた司法書士の先輩だった。ふだんはドライで仕事一筋のような人なのに、その日はなぜか優しかった。「俺もそういう時あったよ」と言ってくれた。その一言で、どれだけ気持ちが軽くなったか。相談って、アドバイスが欲しいわけじゃない。共感してくれる人がいるっていう事実だけで、こんなに救われるものなのかと思った。

「わかるよ」と言われた瞬間にこぼれた涙

「俺も昔、誰にも相談できなくて潰れそうになったよ」という先輩の言葉に、初めて泣いた。電話口だったからよかったけど、涙は止まらなかった。自分だけじゃない。そんなふうに思えたことが、何よりの救いだった。士業って孤独だけど、孤独じゃないかもしれない。そう思わせてくれたあの日の会話は、今でも忘れられない。

相談するって、悪くなかったと思えた日

結局、相談って「相手を信じること」でもあるんですよね。信じてなきゃ話せないし、信じたいから話すんだと思う。話したあと、何かが劇的に変わったわけじゃない。でも、その日から少しだけ気持ちが楽になった。少しだけ笑えるようになった。そういう日があったというだけで、人は前を向ける。相談するって、悪くなかったです。

司法書士だって、感情をもって生きている

司法書士だって人間です。感情もあるし、疲れるし、悩みもある。でも、それを認めることに長い間、抵抗があった。でも今は思う。「疲れた」と言えるだけで、ちょっと救われる。完璧でなくても、いいんじゃないかと。そんな気持ちになれたのは、誰かに話せたあの日があったからです。

強く見せることより、弱さを認める勇気

強く見せることに意味がある時期もある。でも、ずっと強がっていたら壊れるだけ。今は「弱さを見せられる人」こそ、本当に強い人なんじゃないかと思っています。相談することは、決して恥ではありません。それどころか、自分を大事にするために必要な行動だと感じています。

誰かに話すことで、自分も少しだけ軽くなる

結局、話すことでしか救えないことってあります。司法書士としての仕事も、人生も、一人では完結できない。だから、同じように悩んでいる人がいたら、無理にとは言わないけど、誰かに話してみてほしい。私がそうだったように、ほんの少しだけでも心が軽くなるかもしれません。

しがない司法書士
shindo

地方の中規模都市で、こぢんまりと司法書士事務所を営んでいます。
日々、相続登記や不動産登記、会社設立手続きなど、
誰かの人生の節目にそっと関わる仕事をしています。

世間的には「先生」と呼ばれたりしますが、現実は書類と電話とプレッシャーに追われ、あっという間に終わる日々の連続。