「もう限界かも」と思ったあの日
日々の業務に追われ、息をつく間もないような毎日。電話は鳴りやまず、書類は山のように積まれ、ミスが許されないプレッシャーの中で生きていると、ふとした瞬間に「もうダメかもしれない」と思ってしまうことがある。あの日もそうだった。案件の進行が思うようにいかず、依頼人の心ない言葉に心がすり減っていた。帰りの車の中で、どこかに消えてしまいたいとさえ思った。そんな時、思いがけず心に沁みたのは、何気ない人のやさしさだった。
疲れ果てた帰り道にふと見えた光
夜遅く、コンビニに立ち寄った。何か温かいものでもと思っておでんを手に取ったが、レジの店員さんが「お疲れさまです」と笑って言ってくれた。たったそれだけの言葉なのに、その瞬間、胸がぐっと熱くなった。家に帰って一人、レジ袋を開けるとき、なぜか涙がこぼれた。どこにもぶつけようのない感情を、誰にも気づかれないように抱えていた自分に、そのひと言はじんわりと染み込んできた。
コンビニ店員のひと言に救われた夜
その店員さんは、きっと深い意味もなく、ただ日常の挨拶として言ったのかもしれない。でも、受け取る側の心の状態によっては、その言葉はまるで命綱のように感じる。私は司法書士という職業柄、日々のやり取りで丁寧な言葉を使っているはずなのに、人の心を動かす“やさしさ”にはあまりにも無頓着だったのではないかと思い知らされた夜だった。
「お疲れさまです」──たったそれだけで涙が出た
肩にのしかかった重みが、やさしい言葉一つでほどけることがある。それを実感した日だった。自分が頑張っていることを誰かに認められた気がして、ようやく自分を許してもいいのかもしれないと思えたのだ。人にかける言葉の力、そして人のあたたかさの深さに気づけたことは、つらい日々の中にあっても、大きな意味を持つ経験だった。
忙しさに追われて気づけなかったもの
この仕事はとにかくタスクが多い。期限もあるし、相手の都合もあるし、何よりミスが許されない。そんな中で、「効率」「正確さ」ばかりに目が行き、人との関係性や感情面を置き去りにしてしまいがちだ。そういう日々が続くと、やさしさを受け取る余裕すらなくなる。自分ではそんなつもりがなくても、周りからは冷たい人間に見えていたかもしれない。
効率ばかりを追い求めていた日々
とにかく案件をこなすことに必死だった。朝から晩までパソコンとにらめっこして、気づけば事務員さんとの会話も業務連絡ばかり。「これお願い」「あれどうなった?」と、指示だけを投げていた自分がいた。彼女の表情が少しずつ無機質になっていったのに、気づかなかった。いや、気づいていたけど、見て見ぬふりをしていたのかもしれない。
事務員さんのやさしさに甘えていた自分
ある日、「今日は少し体調が悪いので早めに帰りますね」と言われた。そのとき初めて、彼女も疲れていたのだと気づいた。毎日残業してくれていたこと、昼休みも潰して資料を揃えてくれていたこと、それに対して「ありがとう」の一言すら言っていなかった。やさしさを当たり前にしてしまっていた自分が、どれだけ無神経だったのかを痛感した。
「私がやっておきますよ」の本当の重み
彼女が何度も口にしていたこの言葉。その背後には、自分の仕事量を調整したり、スケジュールを調整したりという目に見えない配慮があった。そのやさしさに甘えて、自分は楽をしていたのだ。仕事が回っていたのは、自分一人の力ではない。その事実に、ようやく向き合う覚悟ができた気がする。
やさしさは、自分の中にもあった
ずっと「自分にはやさしさなんてない」と思っていた。でも、ある日事務員さんに「今日はもう帰っていいよ」と言ったとき、彼女が驚いたように笑って「ありがとうございます」と言った。その笑顔を見たとき、ああ、自分も誰かを少しは救えたかもしれないと思えた。やさしさって、大げさなことじゃなくて、ほんの小さな配慮でいいのかもしれない。
「今日はもう帰っていいよ」と言ったあの日
それは、彼女の様子がいつもより元気がなく見えたからだった。理由を聞いたわけでもない。でも、何かあったのだろうと思ったし、自分ができることは「帰っていいよ」と言うことくらいだった。たったそれだけのことで、こんなにも感謝されるのかと驚いたし、自分も誰かの支えになれるのだと感じることができた。
感謝されたのは、想像もしなかった瞬間
その日、彼女は少し涙ぐんでいた。「この事務所にいてよかったです」と小さな声で言った。胸が詰まって、うまく返事ができなかった。自分のやさしさが、誰かの心に届くこともある。司法書士としてのスキルだけでなく、人としてどうあるべきかを、改めて考えさせられた瞬間だった。