書類の山にうもれて考えたこと

書類の山にうもれて考えたこと

書類の山に埋もれて見えたもの

気がつけば、机の上には積み上げられた書類の山。相続関係説明図、登記原因証明情報、印鑑証明書、住民票…まるで紙に押しつぶされそうな気分になる。司法書士という職業に就いてから、この「山」との付き合いは長い。片付けようと思っても、新しい依頼が次々に舞い込んで、処理が終わらない。そんなとき、ふと立ち止まって、この書類の向こうにいる「人」のことを考えることがある。ただの紙ではない。誰かの人生の節目が、そこには詰まっている。

デスクの上が心の状態を映す鏡

机が散らかっていると、気持ちまでざわざわする。逆に、心に余裕がないときほど、机の上が荒れている気がする。まるで心の中を映し出す鏡のように。とくに、忙しさに追われているときは、整理することすら億劫になる。重要書類を「とりあえず」で重ね、あとでやろうと自分に言い訳をする。でもその「あとで」は、たいていやって来ない。積まれていく紙の中に、自分の焦りや不安まで重なっていく感覚になる。

整理できないのは、余裕がない証拠

誰かに「机、すごいことになってますね」と言われたとき、少し恥ずかしくなった。けれど、それが現実。資料の山が崩れそうになるのを横目に、別の案件を処理する毎日。心のどこかで「本当はもっとスマートにやれるはず」と思っているのに、今はとにかくこなすことが優先になってしまう。整理整頓は、心の整頓でもある。わかっていても、目の前の忙しさに流されて、自分の心と向き合う余裕なんてどこにもない。

片づけようと思うたびに別件が入る現実

「今日は片づけに時間を使おう」と決意した日に限って、急ぎの電話が鳴る。書類の山を少し崩しても、またすぐに新しい資料が届いて、その上に乗っていく。まるで終わりのないテトリスだ。そんな日々に、たまに全部をリセットしたくなる衝動に駆られる。机を空っぽにして、何もない空間で一息つきたい。でも、それができないのが現実。書類とともに、日々の生活があるのだから。

司法書士という職業の宿命

この職業を選んだ時から、ある程度覚悟はしていた。書類と向き合う日々。法的根拠を確認し、記載ミスがないかを何度も見直し、提出先の細かなルールに合わせて形式を整える。華やかさはない。地味で、面倒くさくて、緻密な作業。だけど、そこにしかない役割がある。

紙との戦いは終わらない

デジタル化が進んでいるとはいえ、現場はまだまだ「紙文化」が根強い。依頼者によっては「原本がないと不安」と言われることもあるし、法務局への提出物も、いまだに紙での提出が求められる場面も多い。紙をめくって確認する感覚は、たしかに安心感がある。でもその分、保管・整理・破棄と、余計な手間が増えていく。紙との付き合い方に、今でも正解が見つからないままだ。

電子化が進んでも、紙は減らない矛盾

「電子申請が主流になる」と言われて、もう何年経っただろう。確かに、申請自体はネットで完了するケースも増えてきた。でも、そこに至るまでの準備書類は相変わらず紙。スキャンして、保存して、原本もとっておいて。結局、紙もデータも両方必要で、むしろ仕事量が倍になっている気さえする。便利になるはずだったのに、なぜかどんどん複雑になっていく。それが現場の実感だ。

書類の重み=責任の重さ

一枚の紙が、誰かの人生を大きく動かす。名義変更、会社設立、相続、抵当権の抹消。どれも法的な意味を持つ書類ばかり。だからこそ、ミスは許されない。たった一文字の誤記が、大きなトラブルにつながることもある。だから確認する。何度も確認する。書類の枚数が増えるほど、責任もずしりと増していく。それを抱えながら仕事をする毎日は、精神的にもけっこう堪える。

山の中でふと立ち止まった瞬間

何度も何度も書類をチェックして、もう目が回りそうになったある日のこと。ふと、手を止めて「何やってんだろうな」とつぶやいた。仕事だから当たり前だけど、自分がやっていることの意味を見失いかけることがある。そんなときこそ、立ち止まって考えたくなる。

「何のためにやってるんだろう」とつぶやく

収入のため?生活のため?もちろんそれもある。でも、もっと根っこの部分に「誰かの役に立ちたい」という思いがあったはず。大量の書類に埋もれていると、その原点を忘れてしまいそうになる。たまには机の上を片付けて、自分の原点も見つめ直したい。そう思った。

効率よりも、安心を届ける仕事だと気づく

「もっと効率的にやればいい」と言われることもある。でもこの仕事、スピードだけじゃどうにもならない場面がある。依頼者が何に不安を感じているのか、書類に込められた背景をくみ取ることも、仕事のうちだ。ただ早く、ただ正確に、ではなく、「この人に頼んでよかった」と思ってもらえるかどうか。それが一番大事なのだと、書類の山に埋もれながら改めて感じた。

書類に追われても、想いを忘れない

どんなに大量の書類を抱えていても、その向こうにいる「人」のことを忘れたくない。効率や納期に振り回される毎日の中で、初心を見失いそうになるけれど、それでも、この仕事が誰かの人生の一部になっているという実感がある限り、やめられない。

依頼人の背景にある物語

書類を渡されたとき、「これは単なる登記の申請です」と言うのは簡単だ。でも実際には、その裏にたくさんの物語がある。大切な家を買った家族、親を亡くして手続きに来た子ども、会社を立ち上げようとする若者。その一つひとつが、人生の節目であり、期待と不安が入り混じった瞬間だ。そんなタイミングに関われるこの仕事には、静かな重みがある。

形式だけでなく心を添える書類作成

ただ必要項目を埋めればいい、という気持ちで仕事をすると、たいていうまくいかない。逆に、「この人はこれで大丈夫かな」と少しでも想像しながら書類を整えると、不思議とトラブルも減る。形式の中に、少しだけ心を添える。そんな仕事の仕方ができた日は、自分にも少しだけ自信が持てる気がする。

しがない司法書士
shindo

地方の中規模都市で、こぢんまりと司法書士事務所を営んでいます。
日々、相続登記や不動産登記、会社設立手続きなど、
誰かの人生の節目にそっと関わる仕事をしています。

世間的には「先生」と呼ばれたりしますが、現実は書類と電話とプレッシャーに追われ、あっという間に終わる日々の連続。