静まり返った午前、ただ時間だけが過ぎていく
朝9時。事務所のドアを開けて、椅子に座る。書類の山が視界に入るが、やる気が出ない。コーヒーを淹れて、パソコンの電源を入れて、それでも電話は鳴らない。静寂に包まれた事務所で、僕は息苦しさのようなものを感じていた。忙しさに追われていた頃は、「静かな日がほしい」と思っていたくせに、いざそうなってみると、こんなにもしんどいものなのかと驚く。仕事がないわけじゃないのに、不安ばかりが心に積もっていく。
時計の針の音がやけに大きく感じる
「カチ、カチ…」と、壁の時計の音が耳について離れない。普段なら気にも留めないその音が、まるで自分に「何もしてないね」と言っているように聞こえてくる。周囲の空気がピタリと止まっているような、そんな感覚に陥るのだ。音がない、ということは、こんなにも心をザワつかせるのか。電話が鳴らないことで、まるで自分の存在そのものが否定されたような気持ちになる。
「今日は平和だな」なんて思えたのは昔の話
開業して数年、初めの頃は「電話が鳴らない=トラブルがない」と、前向きに受け止められた。いや、むしろ「暇でラッキー」くらいに思っていた時期もある。しかし今は違う。この静けさが、何か取り返しのつかないことの前触れのようにも思えてしまう。依頼が減っているのでは、他の事務所に流れているのでは、そんな考えが頭の中をぐるぐると回る。気がつけば、心がすり減っている。
事務員が電話を取る音が恋しい
うちの事務員はベテランで、電話が鳴ると同時にテキパキと対応してくれる。あの「はい、〇〇司法書士事務所です」の声が、妙に安心感を与えてくれていたことに気づく。今朝はその声も聞こえない。出勤してきた事務員さんが黙々と郵便物を整理しているだけで、電話を取る動作が一度もない。それが余計に、この事務所の空気を重くしている。鳴らない電話と、沈黙の中で、心だけがざわついていく。
電話が鳴らないと、不安になる自分がいる
別に、何も起きていない。誰も困っていない。なのに、電話が鳴らないと「何か忘れているのでは」と自分を疑ってしまう。「もしかして郵便届いてない?」「登記漏れ?」そんな風に、勝手に自分を責めてしまうクセがついている。「何かがある」より「何もない」ほうが怖いなんて、本当に厄介な性格になってしまった。
忙しい日より、暇な日のほうが疲れる不思議
目の前に積まれた書類はある。やるべき登記もある。けれど集中できない。気持ちが乗らないのだ。何かが「始まっていない」感じがして、スタートラインに立てずにいるような気持ちになる。結果的に、午後になってから慌てて作業を詰め込み、無理やりバランスを取ろうとする。そしてぐったりと疲れて帰る。電話が鳴って忙しかった日よりも、はるかに消耗している自分に気づく。
司法書士という仕事の「間」がしんどい
司法書士の仕事は、動きがないときがつらい。登記申請の完了を待っている間、依頼主からの連絡を待っている間、司法書士の一日は“待ち”の連続だ。その中でも午前中の静けさは、特に応える。準備は整っているのに、誰にも必要とされないような時間が流れていく。この「間」が、どれほどメンタルに影響を与えてくるのか、他の士業の方にも共感してもらえる気がしている。
電話が鳴らない=仕事がない、ではないのに
やることはある。登記も、相談も、調査も、書類作成も。けれど、人とのやりとりが発生しないと、なぜか“仕事をしている実感”が持てない。結局、自分の役割とは「誰かの困りごとを処理すること」なんだと改めて思う。だからこそ、連絡がないと「必要とされていない」という誤解に支配されてしまう。これは思い込みだと頭ではわかっていても、心が納得しない。
書類は山積みでも、孤独が勝る
業務量は決して少なくない。むしろ、毎日やることが尽きない。でも、ふと気づくと誰とも会話を交わしていない。黙々と書類を作る日々の中で、気づけばため息が増えている。事務員に話しかけることすらためらわれるこの雰囲気。司法書士の仕事の多くは、1人でこなせてしまうがゆえに、孤独との付き合い方が本当に難しい。
誰とも話さない午前中の怖さ
言葉を発しない時間が続くと、だんだん自分が無機質な存在になっていくような気がしてくる。「これは人の仕事だ」と思いたいのに、人と関わらずに仕事が完結する日がある。それが続くと、まるで自分の存在が事務所の空気に溶けてしまうような不安感に襲われる。人と話すって、思っていた以上に大事なことなんだと痛感する。
たまに宅配業者と話してホッとする自分
荷物を届けに来てくれる宅配業者さんと、「お疲れさまです」と交わすたった一言が、妙に心にしみる日がある。世間話を少しでもすれば、ようやく自分も“社会の一部”に戻ったような気がしてくる。こんな小さな接点が、心をつなぎとめてくれる。司法書士としてのスキルとはまったく関係ないけれど、仕事のモチベーションを支えているのは、案外こういう瞬間だったりする。
それでも午後には何かが動き出す
昼ごろを過ぎると、事務所の空気が少しだけ変わる。メールの返信が返ってきたり、登記の進捗報告があったり、小さな動きが出てくる。電話も1本、2本と入るようになる。その瞬間、心の中の重しが少しずつ取れていく感覚がある。やっと今日という日が「動き出した」と感じられるのだ。
一本の電話で空気が変わる瞬間
午前中の沈黙を破る最初の電話。たとえ内容が手間のかかる案件だったとしても、誰かが自分を必要としてくれているという事実に救われる。受話器を置いたあとの「やるぞ」という気持ち。電話一本で気持ちが持ち直す自分に呆れながらも、それがこの仕事の面白さなんだと再認識する。
やっぱり人と関わってこそのこの仕事
司法書士の仕事は書類との戦いだとよく言われる。でも、本質はそこじゃないと僕は思っている。依頼主との信頼関係、相手の気持ちをくみ取る力、それがなければ成り立たない。だからこそ、電話が鳴ることに、こんなにも救われてしまう。自分を思い出してくれる人がいる。その事実が、孤独な司法書士を支えているのだと思う。
電話が鳴らない午前をどう乗り越えるか
正直、今も答えは出ていない。でも、少しずつ「静かな午前」との付き合い方を覚えてきた気がする。コーヒーを丁寧に淹れる。読みかけの本を少しだけ開く。予定表を整理して、「今日はここまでやれたら合格」と自分を甘やかす。そんな小さな工夫で、なんとか心を保っている。
結局、コーヒーと自分との対話に尽きる
朝の一杯のコーヒーが、無音の事務所で唯一の「音」になる。香りと温度を感じながら、「今日も誰かの役に立てるだろうか」と自分に問いかける。その答えがすぐに出ることはない。でも、毎日こうして机に向かい、電話が鳴るのを待っている。その姿勢こそが、司法書士としての誇りなのかもしれない。