誰も見てないけど俺なりにやってるんだよ

誰も見てないけど俺なりにやってるんだよ

誰も見てないけど俺なりにやってるんだよ

誰に褒められなくても毎日は回っていく

朝起きて、顔を洗って、事務所に向かう。依頼の電話があって、書類をつくって、登記に走って、戻ってからも事務作業。そんな日々を繰り返してもう何年になるだろう。誰かに「すごいですね」なんて言われることもないし、SNSで「今日の業務達成!」なんて自慢するタイプでもない。そもそも自分が何をしているのかなんて、周囲の人には見えていない。それでも、やらなきゃいけない。そうしないと依頼者の人生が動かない。司法書士って、そういう役割だ。

頑張ってますねなんて言われない職業

この仕事、結果が当たり前すぎて、達成しても誰も褒めてくれない。登記が通るのも、債務整理が無事進むのも、全部やって当然って顔をされる。褒め言葉どころか、うまくいっても無言、トラブルがあると文句だけが飛んでくる。昔の上司が言っていた。「司法書士ってのは、心臓の動きを止めずにいる心臓外科医みたいなもんだよ」って。うまくやって当然、失敗したら叩かれる。それが当たり前の世界なんだ。

お客さんにありがとうと言われるときよりも辛いときのほうが多い

「助かりました」と言われる瞬間はある。でもね、それより多いのは「それって本当に必要なんですか?」とか「そんなにかかるんですか?」っていう疑いの言葉。こっちは依頼者のために一番良い方法を考えて、リスクを抑えて、時間も手間もかけてるんだよ。でも、感謝されるより先に疑われる。そんな毎日だと、だんだんと心がすり減っていく。誤解される前提で話さなきゃいけないのは、地味に辛い。

じゃあ、なんでこの仕事を続けてるのか

それでも続けてる理由?正直、自分でもよくわからない。ただ、やめたら余計に寂しくなる気がするんだよね。独身だし、誰かが待っててくれるわけでもないし。せめて「役に立ってる」って実感が欲しい。誰も見てない場所で、誰かの支えになってるって信じたい。小さな感謝の言葉がたまにあるだけで、また机に向かえる。それって、思ったよりでかい支えなんだと思う。

一人で抱え込むのが当たり前になっていた

昔は、何でも誰かに相談していた気がする。でも気づけば、自分で全部処理するクセがついていた。仕事の段取りも、ミスの責任も、精神的な負担も。誰かに頼るってことが、だんだんできなくなってくる。気がつけば、「まあ俺がやればいいか」っていう独り言が増えてた。強くなったというより、もうそうするしかないって諦めのほうが近い。

誰かに頼るのが苦手というかもう諦めてる

人に頼るって、実は結構エネルギーがいる。説明して、お願いして、結果を待って、もしうまくいかなかったら…って考えると、「自分でやったほうが早い」って思っちゃう。しかも、頼んだ先でトラブルが起きたら、こっちが責任取る羽目になるしね。そうなるくらいなら、最初から自分で全部やったほうがマシ。結果的に一人で抱え込んでる。それって、正直しんどい。

事務員さんには言えないことが山ほどある

ありがたいことに、事務員さんが一人いてくれる。でも、全部の悩みをぶつけるわけにもいかない。こっちが精神的に弱ってることなんて見せたくないし、かといって重い話を共有するのも違う気がする。だから、どうしても「普通の顔」でいる時間が増える。笑って、冗談言って、でも内心ではぐったり。そういう二重生活が、続いていく。

愚痴をこぼす相手がいない日々に慣れてしまった

LINEもSNSも通知が鳴らない。夜中にビールを開けながら、ふと「ああ、誰かに聞いてほしいな」と思うけど、その誰かがいない。だからせめて、こうやって文章にして吐き出してる。言葉にしないと、感情が腐ってしまいそうだから。そういう時間がないと、きっとどこかで心が崩れてしまう。愚痴を出せない男は、壊れるのも早い気がする。

見えないところで誰かが頑張ってるって信じたい

人って、自分の頑張りに見合った評価を求めがちだけど、それが得られないと、どこかで折れてしまう。でも最近は、「誰も見てなくても、同じように頑張ってる人がいる」って想像するようにしてる。それだけで、少しだけ持ちこたえられる。見えない仲間に支えられてるって気持ち、実はすごく大事だ。

俺だけがしんどいわけじゃないって思わなきゃやってられない

隣の事務所の灯りが夜遅くまで点いているのを見ると、ああ、あの人も頑張ってるんだなって思う。それだけで、不思議と安心する。直接会話はなくても、勝手に「戦友」だと思ってる。そういう目に見えない励ましが、自分を持ち上げてくれる。俺だけじゃない、みんな踏ん張ってる。そう思わないと、心がもたない。

元野球部のくせに独り相撲ばかりしている

チームプレーが信条だったはずなのに、気づけば個人戦ばかり。打席に立って、守って、走って、全部一人でこなしてる感じ。野球部時代は、仲間と声を掛け合って乗り越えてきたのに、今は静かな日々。チームって、こんなに心強かったんだなと、大人になってから知る。独り相撲って、技術より気力が必要なんだよ。

声に出さなきゃ気づいてもらえないそんなのはわかってる

でも、やっぱり黙ってちゃ誰も気づかない。どれだけ苦しくても、「大丈夫です」って顔してる限り、誰も手を差し伸べない。それが現実。でも、それをわかってても声が出ない。自分のことを口にするのが、何より苦手なんだ。だからせめて、この文章を読んでくれた誰かに、「ああ、俺もそうかも」と思ってもらえたら、それだけで救われる。

誰かの見てるよで救われる日もある

ほんの一言が、人生を持ち直すきっかけになることがある。「一人で頑張ってるね」って、その一言だけで、今日を乗り切れることがある。誰かが見てくれてるって、たったそれだけのことが、生きていく力になる。だから、俺も誰かに言ってあげたい。見えてるよって、ちゃんと伝えてあげたい。

同業の一言で立ち直れたあの日のこと

数年前、飲み会の帰り道、同業の先生がポツンと「お前、一人でようやっとるな」って言ってくれた。それだけで、胸が詰まった。誰にも言われたことのない一言だった。思わず笑ってしまったけど、心の中では泣いてた。あの言葉を胸に、何度も乗り越えてきた気がする。たった一言の力、あなどれない。

一人で頑張ってるねと言われたくて書いているのかもしれない

このコラムを書いてる理由を考えてみたら、たぶん、自分が言われたい言葉を、自分でつぶやいてるだけかもしれない。「誰も見てないけど、俺なりにやってるよ」って言いたいんだろうな。どこかで誰かが読んで、わかるよって思ってくれたら、それだけで十分。たった一人でもいい、この言葉が届けば、それで報われる。

このコラムが誰かの共感になれたらいいと思ってる

司法書士じゃなくても、士業じゃなくても、誰だって「一人で頑張ってる」瞬間はあると思う。その気持ちに寄り添える文章を、自分なりに書いてみたかった。たとえ何も変わらなくても、読んだ人が少しでも軽くなれば、それでいい。誰かの「俺もそう思ったよ」が、いつかどこかで返ってくると信じてる。

しがない司法書士
shindo

地方の中規模都市で、こぢんまりと司法書士事務所を営んでいます。
日々、相続登記や不動産登記、会社設立手続きなど、
誰かの人生の節目にそっと関わる仕事をしています。

世間的には「先生」と呼ばれたりしますが、現実は書類と電話とプレッシャーに追われ、あっという間に終わる日々の連続。