今日も誰かのちょっとだけで残業

今日も誰かのちょっとだけで残業

気づけば今日も残っている自分

もう夜の9時を過ぎている。事務所の時計の秒針がやけに耳につく。ふと気づけば、また今日も一人残って仕事をしていた。「これ、ちょっとだけお願いしてもいいですか?」その“ちょっと”が、結局夜の仕事を決める。それにしても、“ちょっと”という言葉は便利すぎる。相手は軽く投げたつもりでも、受け取るこちらは両手で必死に抱えているのだ。

誰かの「ちょっとだけ」が積もるとき

「これ、5分で済むと思うんで」「ちょっとだけチェックしてもらえれば」──その“ちょっと”が、1件2件と積み重なる。いつしかメールの未返信が10件、FAXの確認が3通、謄本の申請書が山積みに。気がつけば事務員さんが帰ったあとに、私はプリンターの音とキーボードのカタカタという音だけの世界に取り残されている。

頼まれたら断れない性格の損得

昔から、頼まれたら断れない性格だ。元野球部でキャプテンだった頃も、誰かが「ちょっとしんどいです」と言えば「よし、代わるよ」と言ってしまっていた。優しさというより、面倒ごとを丸く収めたくて受けてしまう癖が抜けない。損して得とれ、とも思えないまま、得のない残業だけが今日も続いている。

一人事務所の限界と現実

地方の司法書士事務所、それも所員一人だけという構成では、どうしても「やれる人がやる」体制になる。誰かが休めば、即詰む。誰かが頼れば、即こちらに来る。そんな当たり前の構図が、自分の生活をじわじわと侵食しているように思える日もある。

事務員さんの勤務時間が終わったあとに始まる本番

私の事務員さんは16時には上がる。その後からが、むしろ本番だ。補正の電話、役所とのやり取り、登記情報の再確認──日中はどうしても事務員に任せられることが多いので、細かい「最後の確認」は、すべて私が夜にやることになる。黙々と処理を進めるなか、「この時間、他の人はもう帰ってビール飲んでるんだろうな」と思うと、つい空しくなる。

地方での孤独な闘いと自己犠牲

都会の大きな事務所なら、分担もできるだろう。でも、地方では人を雇う余裕もないし、求人出しても来ない。結局、自分がカバーするしかない。週末に予定があっても、急ぎの相続が入れば休めない。プライベートを捧げて守っているのは、誰かの「早く済ませたい」という気持ちなのかもしれない。

優しさが仇になるという話

「先生、いつもすみません」そう言われるたびに「いえいえ、大丈夫ですよ」と口では返す。でも心の中では、「いや、けっこうきついですよ……」と叫んでいる。優しさがにじみ出るのはいいとして、そこに甘えられると、仕事は確実に増えていく。

元野球部の上下関係が染みついているせいか

上下関係に厳しかった高校時代の野球部で、「先輩の頼みは絶対」と叩き込まれた結果、今も「頼まれたら断れない病」が治らない。役所の担当者に言われたら、多少理不尽でも飲んでしまう。昔の自分が見たら、「お前、優しすぎて損してるぞ」と言いそうだ。

「ありがとう」の一言がうれしくて断れない

「先生、ほんと助かりました」と言われると、心が救われる。その“ありがとう”のためにやっているのかもと思う瞬間もある。でも、それが積もると疲れが溜まる。感謝はうれしい。でも、労力は減らないし、時間は返ってこない。自分の優しさが、じわじわと自分を追い詰めている。

結局、全部自分がやる流れ

「それ、誰がやるんですか?」と誰にも聞けないのが、個人事務所のつらさだ。結局、すべて自分で背負ってしまう。責任を取るのも自分、段取りを組むのも自分、ミスがあれば謝るのも自分。逃げ場のない船に、ひとり乗っているような気分になることがある。

押し付けられる仕事の行き先はいつもこっち

「そっちで処理しておいてください」「なんか、こっちでは難しそうで……」と軽く言われた仕事の山。それが自然と私の机に集まってくる。特に登記関係は、誰かが一歩引けば、その分こちらが一歩進まされる。全部やってると、自分がどこにいるのかわからなくなってくる。

苦情処理も手続き漏れも最後は司法書士

手続きの不備、説明不足、スケジュールのミス……誰かの失敗も、結局は司法書士が謝ることになる。名義は一つ。責任も一つ。それがこの仕事の重さであり、同時にしんどさだ。自分の失敗じゃないのに、胃が痛くなることが年々増えている。

残業しても報われないという不思議

がんばっているつもりでも、評価されるわけではない。誰かが楽になるだけ。誰かが早く帰れるだけ。私はひとり事務所の灯りをつけたまま、深夜の町に取り残されている。誰のための残業なのか、ときどき自分に問いかける。

頑張ったところで感謝されない現実

誰かの急ぎに応えても、「間に合って当然」くらいに受け取られることがある。感謝がないとまでは言わないが、当たり前になってしまえば、それはもう“期待”ではなく“義務”だ。そんな境界線のなかで、心がすり減っていく。

自分だけが損しているような錯覚

「何で自分だけが」と思う瞬間が、日々何度もある。他の士業が効率的に仕事している姿を見かけると、自分が不器用にしか見えない。でも、それでも「手を抜けない」「頼まれると断れない」自分を嫌いになれずにいる。

明日もきっと「ちょっとだけ」が来るけれど

どうせ明日も、「ちょっとだけいいですか?」が来る。それでも、「いいですよ」と答える自分がいる。結局、この仕事が嫌いじゃないんだろうな、と思いながら。

それでも誰かの役に立てることが救いになる

面倒な依頼でも、終わったあとに「本当に助かりました」と言われると、全部が報われた気になる。その一言のために、残業もこなしているような気がする。しんどくても、誰かの支えになれる実感がある。それだけが救いだ。

自分の気持ちだけは置き去りにしないで

優しさが仇になることもあるけれど、自分の気持ちを無視し続けるのが一番つらい。無理にでも休む日をつくったり、自分の時間を少しでも取り戻すこと。それが、明日も「ちょっとだけ」と言われたときに、笑って応えるために必要なことなのかもしれない。

しがない司法書士
shindo

地方の中規模都市で、こぢんまりと司法書士事務所を営んでいます。
日々、相続登記や不動産登記、会社設立手続きなど、
誰かの人生の節目にそっと関わる仕事をしています。

世間的には「先生」と呼ばれたりしますが、現実は書類と電話とプレッシャーに追われ、あっという間に終わる日々の連続。





私が独立の時からお世話になっている会社さんです↓