合コンもう誘われない歳になった僕と仕事だけの毎日

合コンもう誘われない歳になった僕と仕事だけの毎日

誘われる側から外れた瞬間に気づいたこと

かつては毎月のようにあった合コンの誘い。週末の予定が空いていることがむしろ珍しかった20代、30代前半。気づけば、あの頃のグループLINEはまだ存在しているのに、通知は全く鳴らない。「既読スルー」さえもなくなった今、ふとした瞬間に感じるのは、もう自分が誘われる立場ではなくなったんだなという現実だった。司法書士という職業はただでさえ人付き合いが少ない。特に地方で事務所を構えていると、出会いなんてどこに転がってるのかわからない。

LINEグループはまだあるのに通知は来ない

20代後半までは、合コンの話が出るたびに「イナガキ呼ぼう」と誰かが言っていた。盛り上げ役には向かないが、地味に聞き上手で、なんとなくその場に溶け込んでいたのかもしれない。しかし今や、グループトークでの会話は自分のいないところで完結しているようだ。通知が来ないことが、こんなに心にくるとは思わなかった。既に自分は“選ばれる側”から脱落しているんだと実感する。

あの頃は「誰か呼んで」枠だった

合コンに呼ばれるのは、モテるからではなく、人数合わせの「なんとなくいいやつ」だったからかもしれない。実際、何度参加しても発展しないのが常で、帰り道に一人でコンビニに寄って缶ビールとカップラーメンを買って帰るという流れが定番だった。だけど、それでも呼ばれるだけで、どこか自分は社会と繋がっている気がしていた。

呼ばれなくなったのは忙しさのせいか年齢のせいか

思えば、ここ数年は「その日はちょっと…」と断り続けていた。仕事が詰まっていることもあれば、気力が湧かないこともあった。気づけば、自分からも連絡しなくなり、自然と輪の外へ。司法書士という仕事の特性上、土日が潰れることも多い。だが、本当に“忙しさ”が理由だったのか。それとも、年齢という名のフィルターにかかってしまっただけなのか。どちらにせよ、呼ばれない現実は変わらない。

地方の司法書士という孤独な立ち位置

都会と違って、地方では人と人との距離が近いようで遠い。噂も早く、下手に動けばすぐ広まる。そんな中で、出会いを求めて合コンに行くこと自体が「軽く見られるのでは」と考えてしまう。結果、自分から動けず、日々の仕事に埋もれていく。依頼人とは距離を置くのが基本、事務員とは距離を保つのが礼儀。それらの積み重ねが、いつしか自分の中の「誰かと繋がりたい」という気持ちすら閉じ込めていた。

恋愛より登記が優先される世界

たとえば金曜日の夜、「合コンあるけど来れる?」と聞かれても、「すまん、登記の締切があって」と答えてしまう。それが何年も続くと、もう誰も誘ってくれなくなるのも無理はない。仕事を選んだ自分が悪い、そう思いたくないけれど、やっぱりどこかで悔しさがある。恋愛よりも登記を優先してきた結果、机の上には書類の山、隣の席は空いたまま。

依頼人に振り回されて一日が終わる

午前中に来所予定だった依頼人が午後にずれ込み、午後には別の予定が詰まっていたはずなのに、結局ずれ込んだせいで全ての予定が押し、昼食をとる暇もなく夜を迎える。合コンどころか、食事に行く気力すら湧かない日が何度あっただろうか。「好きな人はいますか?」という質問を最後に受けたのは、いつだったか思い出せない。

事務員との距離感に気を遣いすぎる

たった一人の事務員。毎日顔を合わせるからこそ、下手に馴れ合うわけにもいかず、距離感には敏感になる。相手が女性であればなおさらだ。何かを話しかけるたび、「仕事のこと以外で話しかけて大丈夫だったかな」と不安になる。だから結局、無口になってしまう。事務所にいるのに、孤独。そんな空間で、誰かと気持ちを通わせる余裕など、芽生えるはずもない。

自分だけ取り残されていくような感覚

周囲は家族を持ち、子どもの話題が増えてくる。仕事の話をしたくても、「あ、今日保育園の迎えがあるから」と中断される。そのとき、自分だけ別の時間軸で生きているような感覚に陥る。何かが大きくズレている。でも、そのズレをどう埋めていいのかが分からない。

同級生の結婚報告が追い打ちをかける

久々に届くLINEの通知が、同級生の結婚報告だったりする。「あいつもついにか」と思うたび、置いてけぼりにされたような気持ちになる。そんなことないよ、と自分に言い聞かせても、胸の中の虚しさは消えない。誰かの幸せが、なぜ自分には遠いのか。努力していないわけでもない。ただ、きっかけがないだけ。そう言い訳して、今日も事務所に籠る。

親戚からの「まだなの?」攻撃

法事や正月の集まりでは、毎年恒例の質問が飛んでくる。「イナガキくん、いい人いないの?」何年連続で聞かれただろう。「仕事が忙しくて」と答える自分の表情は、どこか笑っているようで、泣いているような顔だったかもしれない。親戚も悪気があって言っているわけではない。でも、毎回その言葉が、自分の胸にトゲのように刺さる。

祝いの席にはひとりで参加

結婚式に呼ばれるたび、引き出物を抱えて一人で帰る帰り道の足取りが重くなる。「次はあなたの番だよ」と言われても、「順番は回ってこない気がしてる」と心の中でつぶやく。何も言わず笑ってごまかすのが精一杯だった。式場の隅で静かにワインを飲みながら、「自分も誰かの隣に立てる日はくるのだろうか」とぼんやり考えていた。

諦めるか、それとも笑って受け入れるか

合コンに誘われない年齢になってしまった。でも、だからと言って全てを諦める必要はないのかもしれない。そもそも誰かが誘ってくれるのを待つ人生なんて、面白くない。自分から動けば、また新しい何かが始まるのかもしれない。そう思える瞬間が、最近ようやく出てきた。

もう合コンには誘われないけれど

誘われなくなった今だからこそ、自分から声をかける勇気を持ってもいいのかもしれない。年齢は言い訳にならないし、地方だからといって出会いがゼロなわけでもない。そもそも、合コンという形にこだわらなくてもいい。誰かとちゃんと向き合いたいと思ったとき、その姿勢がきっと次の何かを引き寄せる。そう信じてみる。

それでも誘う側になることはできる

受け身でいても、もう何も始まらない。それなら、自分が動くしかない。仕事の合間でもいい、誰かに「久しぶりにご飯でも」と連絡してみる。結果がどうあれ、動いたこと自体に意味があると思いたい。誘われる側から、誘う側へ。立ち位置を変えることで、少しは景色も変わるかもしれない。

孤独も選択の一つだと自分に言い聞かせる

一人で生きていくというのも、選択肢の一つ。無理に誰かを求めるのではなく、誰かといられたら嬉しい、くらいの距離感がちょうどいいのかもしれない。司法書士として一人事務所を守っていく覚悟はできている。その覚悟が、きっと他の誰かに伝わる日がくると信じて。

しがない司法書士
shindo

地方の中規模都市で、こぢんまりと司法書士事務所を営んでいます。
日々、相続登記や不動産登記、会社設立手続きなど、
誰かの人生の節目にそっと関わる仕事をしています。

世間的には「先生」と呼ばれたりしますが、現実は書類と電話とプレッシャーに追われ、あっという間に終わる日々の連続。