完了しましたが言えなかった日

完了しましたが言えなかった日

朝のルーティンがずれるだけで心が荒れる

司法書士としての一日は、思ったよりも「流れ」によって左右される。特に朝の始まりは重要だ。私はいつも朝の同じ時間に事務所に入り、コーヒーを入れてパソコンを立ち上げる。その順番が狂うと、たとえ小さなことでも気持ちがどこか不安定になる。いつもと違う時間に郵便が届いたり、プリンターの調子が悪かったりすると、「今日はうまくいかないかもな」という気持ちが静かに心の中に広がっていく。そんな日ほど、「完了しました」と自信を持って言える状態からは遠ざかっていく気がする。

コーヒーがぬるいだけで全部うまくいかない気がした

その日はいつもの缶コーヒーが自販機で売り切れていた。代わりに選んだ微糖のコーヒーは、ぬるくて、なんだか味も薄かった。たったそれだけのことで、仕事に向き合う姿勢がぐらついてしまったのだから、自分のメンタルの弱さには呆れる。昔、野球部だった頃はもっと図太くて、どんなコンディションでも結果を出すのが当たり前だったはずなのに。今は、ぬるいコーヒーひとつで頭の中に「今日は集中できないかも」という声が響いてくる。

「いつもの」じゃないことに敏感になりすぎる朝

結局のところ、私は「いつも通り」が好きなのだ。予定通り、段取り通り、予想通り。それが崩れると、全体が崩れたような気がしてしまう。とくに朝の静かな時間帯にそれが起きると、心が追いつかない。事務員さんが「おはようございます」と言ってくれたけど、こちらの返事はどこか上の空だった。「何かありました?」と聞かれても「別に」としか返せず、自分でもその態度が嫌になった。

事務員さんの一言に助けられたけれど素直に反応できなかった

「今日はゆっくりでいいですよ」――そんな優しい言葉をかけてもらったのに、返せた言葉は「いや、仕事溜まってるんで」のひと言。もっと柔らかく返すこともできたはずなのに、なぜかそういう余裕がなかった。彼女の気遣いをありがたいと思いながらも、それに反応できない自分に情けなさを感じる。そんな自分が、後でまたぐるぐると反芻してしまう原因になるのだ。

終わらせた仕事に「完了です」と言えないもどかしさ

手続きが一通り終わって、申請も無事に済んでいる。それなのに、「完了しました」と誰かに報告するのが妙に気が重い。誰も求めていない確認なのに、言わないといけない気がしてしまう。心のどこかで「まだ抜け漏れがあるかも」と思っている自分がいる。完了という言葉に込められる確信が、自分の中ではまだ持てていないのかもしれない。

自分のなかでは終わっていても、どこか自信が持てなかった

司法書士の仕事は、形にならない確認と手順の積み重ねだ。紙に印鑑を押すだけでは終わらず、その背後にある意図や事実確認がものを言う。だからこそ、たとえ手続きが終わっても「本当にこれでいいのか?」という疑問が頭の片隅に残る。昔はもっとパッと終わらせて「OKです」と言えていた気がするのに、今はその一言にブレーキがかかってしまう。

チェックリストに✓を入れながらも心はもやもや

やるべきことはすべてチェックした。書類も揃っているし、必要な電話も済ませた。けれど、それで満足できない。自分の中で「この件は完了」と言い切るには、何かしらの納得が必要なのだ。たぶん、それは「誰かの言葉」なのかもしれない。「ありがとう」でも「助かりました」でもいい。自分の手が届いた感覚がないと、✓の重みが軽く感じてしまう。

誰にも確認されないと、自分の判断が信じられなくなる

一人で事務所をやっていると、最終判断はすべて自分。誰かに確認を取るわけでもなく、間違っていたとしても自分の責任だ。だからこそ、「終わった」と言うのが怖くなる。「まだ何か見落としていないか」と延々と考えてしまう。誰かに「それで大丈夫ですよ」と言ってもらえたら、こんな気持ちにはならないのに。たった一言の背中押しが、日々どれだけ大きなものかを実感する。

「終わりました」と言うのがこんなに怖いとは

たかが報告、されど報告。「終わりました」と言うことが、こんなにも自分にとってハードルになるとは思っていなかった。何かの拍子にその一言が出てこない。出してしまった後に、「でもあれ…」と不安になるくらいなら、黙っておこう。そんな思考が癖になっている。

自信のなさと責任の重さが喉をつまらせる

司法書士は、やり直しが許されないことも多い。たった一文字の誤記が大きなトラブルに発展することもある。だからこそ、自信を持って「完了しました」と言うことができないのだと思う。自分の判断に100%の責任を負う。そのプレッシャーは、思っている以上に喉を締め付けてくる。

元野球部のクセに肝心なところで声が出ない

高校時代、野球部では声出しが基本だった。試合中も、練習中も、声が出ていないと怒られた。あの頃の自分は、声を出すことで自信をつくっていたのかもしれない。でも今は違う。「確認不足じゃないか」「お客様に迷惑をかけたら」そんな不安が、喉の奥にずっと居座っている。

どこかで「終わってないかも」と思ってしまう日常

誰に何を言われたわけでもないのに、「まだ終わってないかも」と思ってしまう。事務所にいても、家に帰っても、その気持ちはつきまとう。完了の定義が自分の中であいまいになっていて、どこかで「保留」にしているような感覚。だから「完了しました」と言うのがこんなにも苦しいのだ。

言葉を飲み込んだまま帰宅してしまった夜

その日の最後の案件も無事に終わった。終わったはずだった。でも、事務員さんに「どうでしたか?」と聞かれて、ただ「うん」とうなずくだけだった。「完了です」と言うタイミングはいくらでもあった。でもその一言が言えなかった。

事務所の電気を消す手がいつもより重く感じた

いつも通りにスイッチを切るだけなのに、今日はなぜかその手が重かった。終わったはずの仕事に、まだ心が引っかかっている。「ほんとに大丈夫だったか」「明日何か起きるんじゃないか」そんな妄想が頭を支配していた。

「よくやった」の一言が欲しかったのは自分だった

誰かに求めていた言葉は、きっと「完了しました」ではなく「よくやった」だったのかもしれない。自分の努力が誰かに届いている、そう思えるだけで少し楽になる。たとえそれが自分自身の言葉だったとしても、それだけでいい。なのにその言葉さえ出てこないのは、いったいどうしてだろう。

コンビニのレジ前で意味もなくイラついた自分がいた

帰りに寄ったコンビニで、レジが少し混んでいた。それだけでイライラしている自分に気づき、「ああ、まだ仕事終わってないんだな」と思った。頭では終わったことになっていても、心が納得していない。そんな日が、司法書士としての人生には何度も訪れる。だけど、そういう日も、ちゃんとあっていいのかもしれない。

しがない司法書士
shindo

地方の中規模都市で、こぢんまりと司法書士事務所を営んでいます。
日々、相続登記や不動産登記、会社設立手続きなど、
誰かの人生の節目にそっと関わる仕事をしています。

世間的には「先生」と呼ばれたりしますが、現実は書類と電話とプレッシャーに追われ、あっという間に終わる日々の連続。