ミスした日の夜はなぜこんなに長いのか
普段は疲れて布団に入ればすぐに眠れるのに、なぜかミスをした日に限って、眠れない。目をつぶっても脳内ではあの瞬間が繰り返される。言い間違えた言葉、書き間違えた書類、見落としたチェック項目。それが何度も頭に浮かんでくる。誰かが責めてくるわけじゃないのに、自分の中でずっと責められている感覚だ。時計の針の音すらやけに大きく聞こえて、「もう寝ないとまずい」と思えば思うほど眠れなくなる。
寝る直前に思い出してしまう後悔
昼間は仕事に追われているから、案外そのミスのことを考えている余裕もない。でも夜になると、ふとした瞬間に思い出す。そして、後悔が押し寄せてくる。「なぜ確認しなかったんだろう」「あの時ひとこと言えば防げたかもしれない」——そんな思いがぐるぐる頭を回り始める。小さな出来事かもしれないけど、自分の中では取り返しのつかないことのように感じてしまう。人に相談するほどでもない、でも抱えているには重い。そんな悔しさが夜を長くする。
誰も覚えていないはずなのに自分だけが責め続ける
不思議なもので、自分がしたミスって、周囲の人は案外すぐ忘れる。でも自分は忘れられない。もう誰も気にしていないはずのことを、いつまでも抱え込んでしまう。これが仕事の責任なのか、年齢を重ねて自分を許すのが下手になったのか。ふと、昔の野球部時代のエラーを思い出す。あのときも誰よりも自分が自分を責めていた。あの頃から、何も変わってないのかもしれない。
時間が癒すという言葉を信じられない夜もある
「時間が経てば忘れるよ」と慰められることがある。でも、正直なところ、それが本当なのか疑わしい。1週間前の失敗を、今も昨日のことのように思い出す夜がある。むしろ時間が経つほど、「あのときの自分は本当にバカだった」とか「それを引きずっている自分が情けない」といった新たな後悔が上乗せされる。時間の経過が傷を癒すというのは、もう少し別の人の話かもしれない。
なぜか頭の中でリプレイされるあの瞬間
あの電話口のやりとり、書類の提出ボタンを押した瞬間、依頼人のちょっとした表情——そういった細かい場面が、なぜか映像としてリピート再生される。しかもスローモーションみたいにゆっくりと、はっきりと。自分の頭が、わざわざその場面を見せつけてくる。そんな夜は、本を読んでも、音楽を聴いても、全然気がまぎれない。寝るどころの話ではない。
「自分には向いてないかも」が頭をよぎるとき
何年この仕事をやっていても、「自分には向いてないんじゃないか」という考えが頭をよぎる瞬間がある。ひとつのミスが、それまで積み重ねてきた自信を一瞬で崩してしまう。特に、自分の仕事が「正確さ」を求められる司法書士という職業であることを思えば、余計にそう感じてしまう。誰も責めていない。でも、責めているのはいつも自分自身だ。
40代になっても自信が揺らぐ
もう45歳。ある程度の経験は積んできたつもりだし、これまで何百件もの登記をこなしてきた。それでも、ちょっとした失敗ひとつで、「もう終わりかもしれない」という気持ちになる。若い頃は「次がある」と前向きに捉えられたものが、今では「また失敗したらどうしよう」と考えるようになる。自信って、年齢と共に自然とついてくるものじゃなかったのか、と不思議に思う。
ミス一つで全否定された気がしてしまう
ある日、依頼人に渡す書類を一部間違えて印刷してしまった。訂正すれば済む程度のミスだったけど、その日の夜はずっと「自分はこの仕事に向いてないんじゃないか」と悩んでいた。たった一枚の紙、たった一行の記載。でも、それが信用のすべてに見えてしまう。頭では「大丈夫」と分かっていても、感情がついてこない。自分を全否定されたような気持ちになってしまうのだ。
事務員さんの一言が救いにも刃にもなる
事務所には一人事務員さんがいて、長く一緒にやってきた。気が利く人で、私のミスにもすぐに気づいてフォローしてくれる。でもその言葉が、ありがたいときと、逆に心に刺さるときがある。優しさって、受け取り方次第で全然違うものに感じる。
さりげない言葉に心が救われた経験
あるとき、ひどく落ち込んでいた私に、事務員さんが「先生、最近お疲れですよね」とお茶を淹れてくれたことがあった。それだけのことなのに、涙が出そうになった。「そんなに気を張らなくていいですよ」という気遣いが、言葉を超えて伝わってきた気がした。誰かが見てくれている、その安心感は、夜に眠れるようになるきっかけにもなる。
「そんなの気にするなよ」と言われて逆に苦しくなるとき
逆に、「そんなの気にすることないですよ」と言われたときに、苦しくなったこともある。気にしてる自分が弱いんじゃないかと責められてるように感じたからだ。たぶん、相手は励ますつもりだったのだろう。でも、その言葉に「自分が情けない人間であること」が強調されてしまったような気がした。難しいものだと思う。
共感と励ましの温度差が心に刺さる理由
共感してほしいときに励まされると、逆に孤独感が増す。励ましは相手の善意だと分かっているのに、自分の気持ちが追いつかない。たぶん、まだ自分の中で気持ちの整理ができていないからだろう。「そういう日もありますよ」と言われるだけで救われる日もあるし、「しっかりしてくださいよ」と言われてさらに落ち込む日もある。
優しさがかえってプレッシャーになる不思議
事務員さんが一生懸命気を遣ってくれると、「こんなに支えられてるのに、自分はダメだな」と思ってしまうことがある。本当は感謝すべきことなのに、なぜか申し訳なさのほうが大きくなってしまうのだ。人の優しさって、ときにプレッシャーにもなる。だからといって、優しくされなければされたで、それはそれで寂しい。心というのは本当に複雑だ。
司法書士という仕事の一発勝負感
司法書士という仕事は、日々の業務が「正解であること」を求められる。一発で決めることが前提で、間違いが許されにくい。書類提出一つにも重圧がかかる。だからこそ、ちょっとした失敗でも「終わった」と感じてしまうのだ。
たった一枚の書類ミスが信頼を壊す恐怖
実際、書類の一文字ミスで登記が差し戻された経験がある。お客さんに謝って訂正して再提出したが、そのときの気まずさは忘れられない。お客さんは「大丈夫ですよ」と笑ってくれたが、その優しさが逆に堪えた。たった一枚の紙が、こんなにも大きな意味を持つ世界。神経をすり減らす理由がそこにある。
事務所全体の信用を背負うプレッシャー
個人事務所は特に、自分の名前がそのまま看板だ。何かあると「〇〇司法書士事務所でしょ?」という形で名指しされる。だから、個人の失敗が事務所の評判に直結する。そのプレッシャーは、どんな仕事よりも強いかもしれない。失敗できないという思いが、いつしか自分を締め付ける。
地方の狭い世界で噂が回るスピード
地方の人付き合いは狭くて深い。良い意味でも悪い意味でも、「あそこの先生ね」という評価がすぐに広がる。噂が先に歩くこともあるから、一度ついた印象を払拭するのは至難の業だ。だからこそ、最初の印象、ミスの有無、全部が重くのしかかる。気軽に「次があるさ」と割り切るのは難しい。
だからこそ余計にミスが怖い理由
「ミスが命取りになる」——これは決して大げさじゃない。登記ひとつで信頼が変わり、それが次の仕事に影響を及ぼす。特に紹介が多い業界では、ひとつの評価が次の依頼を左右する。だから、自分の中では毎回が一発勝負。疲れたなんて言ってられない。それでも、人間だから間違えることもある。それをどう乗り越えるかが課題なのだ。