何でこの道を選んだんだろうと後悔する日

何でこの道を選んだんだろうと後悔する日

ふと立ち止まった静かな昼下がり

昼休みに一人、コンビニで買ったパンをかじりながら事務所の窓から空を見上げていたとき、不意に「なんで俺、司法書士になったんだっけ?」と思った。忙しすぎて、深く考える余裕もなかった毎日の中で、ちょっとした空白に入り込んできたその問い。高校時代の友人は家庭を持って週末は家族サービス。元同僚は会社を辞めて別の人生を楽しんでるらしい。俺は、というと、今日も登記の準備に追われ、事務所にひとりきり。誰にも言えないこの感情、押し込めていたはずなのに、不意打ちのようにやってくる。

忙しさの中でふと湧いてくる「このままでいいのか」

登記書類を揃える作業は単調だが、慎重さを要する。誤字ひとつで補正通知、場合によってはクライアントの信頼を失う。そんなプレッシャーの中で、「本当に俺、この仕事向いてるのかな?」と思うことがある。周りに相談できる人もおらず、事務員さんには気を遣って愚痴も言えない。何度も時計を見る日もある。だけど、時間は残酷なほどに遅く進む。その感覚に囚われた瞬間、心がふわっと浮いて、気持ちが仕事から離れてしまう。

誰にも言えないけど胸の奥にある違和感

「このまま一生独りで終わるのかな」と思う夜がある。仕事が終わっても誰かが待っているわけじゃない。自宅に戻ればただの無音。テレビをつけても、YouTubeを流しても、心の中の静けさは埋まらない。こんな毎日を40代になっても続けている自分に、正直がっかりしている。でも、弱音を吐いたところで誰かが助けてくれるわけでもない。それがわかってるから、いつも通りの顔で事務所の鍵を開ける。

気づけば年齢だけが積み重なっていく

30歳を過ぎたあたりまでは、「いつか結婚するだろう」とか「もう少し落ち着いたら趣味でも始めよう」とか、未来に希望を持っていた。でも気づけば45歳。独身、彼女なし、貯金はまぁまぁ、でもそれを使う予定も特にない。どこで間違ったんだろう。仕事に打ち込みすぎた?いや、それ以前に人付き合いが下手だったか?考えても答えは出ない。ただ、年だけが確実に増えていくこの現実に、焦りと諦めが交錯する。

書類の山と鳴り止まない電話が教えてくれたこと

午前10時を過ぎると、事務所の電話が鳴りはじめる。登記の確認、不動産業者からの催促、役所からの問い合わせ。電話を取りながら書類をチェックし、メールの返信も並行してこなす。そんな毎日。ときには一日10件以上の案件が動く日もある。書類が机の上に積みあがるほど、何かをこなしているようでいて、本当は心がどんどんすり減っていくような感覚になる。

「人の役に立っている」と思いたいけど

誰かの相続手続きが無事終わったときや、会社設立をスムーズに進められたときには達成感がある。「ありがとうございました」の言葉をもらえると、少し救われる。でもそれも一瞬。次の案件に追われ、その感謝も記憶の中に薄れていく。人の役に立っているはずなのに、なぜこんなに空虚なんだろう。本当の意味で、誰かと繋がれている気がしない。

感謝よりもクレームが多い現実

中には、こちらに非がないのに怒鳴ってくる依頼者もいる。書類の進行が遅れているのは相手側の準備不足だとしても、こちらが矢面に立たされる。そんな時、「この人のために頑張る意味ある?」と思ってしまうこともある。でも結局、処理は進める。仕事だから。司法書士は、感情を置き去りにして進む職業なのかもしれない。

なぜこの道を選んだのかという問い

司法書士を目指したのは、「手に職をつけたい」「安定して働きたい」という気持ちからだった。大学時代の就活でうまくいかず、焦りと劣等感の中で見つけた資格の道。人と比べられず、努力が結果に結びつく点に惹かれた。でも、それが「孤独」と隣り合わせの選択肢だとは、その時は思ってもみなかった。

野球部だった頃の自分には想像もつかなかった

高校では野球部だった。泥だらけになって走って、仲間と笑い合って、試合で泣いて。あの頃の自分に、「将来は司法書士になって、書類と電話に追われる日々を送ってるぞ」って言っても信じてもらえないだろう。夢がなかったわけじゃない。でも「現実的な選択」を重ねた結果、今がある。悪いとは思わない。だけど、「良かった」とはまだ言い切れない。

グローブを置いてペンを取ったあの日

大学進学後、野球から離れた。就活の失敗でどん底に落ちて、そこから這い上がるように資格の勉強を始めた。あのときは、本当に毎日が必死だった。昼はバイト、夜は予備校。勉強中に眠ってしまう日もあったけど、諦めずに続けた。それだけは誇れる。でも、何かを得ると何かを失う。それが人生だというなら、あの日のグローブに込めた情熱は、いったいどこへ消えたんだろう。

夢とか理想とか、どこかに置き忘れてきた

「司法書士になれば、人生が変わる」と思っていた。でも実際は、責任だけが増えて、生活は地味なまま。理想と現実のギャップに、いつも心が揺れる。あの頃描いた「独立して自由に働ける」未来は、いつの間にか「誰にも頼れず、全部ひとりで抱える」現実にすり替わっていた。夢を叶えたのか、夢を見失ったのか。答えはまだ、出せていない。

モテなかったけど、真面目に生きてきた

学生時代からモテた記憶はない。見た目も地味だし、おしゃべりも得意じゃない。でも真面目に、誠実に、やるべきことをやってきたつもりだ。そんな自分を好きになってくれる人が現れると信じていたけれど、現実は厳しい。婚活パーティーではスーツ姿で浮き、アプリでは既読スルー。結局、仕事に逃げることでしか、自分を保てなかったのかもしれない。

婚活すら書類審査で落ちる悲しさ

市が主催する婚活イベントに応募したことがある。プロフィール欄には「司法書士」と書いた。でも結果は、参加対象から除外。理由は「年齢」と「趣味の少なさ」だという。資格ってそんなに弱いのか? いや、違う。自分の魅力のなさを突きつけられたようで、情けなかった。こんな自分に家庭を持つ資格があるのかとさえ思った。

「資格があるから安心」は幻想だった

司法書士という肩書きは、確かに信用を生む。でも、それだけじゃ人としての価値は測れない。むしろ、責任やストレスばかりがのしかかってくる。資格があるからといって、幸せになれるとは限らない。安定してる?って聞かれても、答えに詰まる。収入はあっても、心が安定していないなら、それは本当に「安定」なのだろうか。

それでも今日も仕事に向かう理由

それでも、朝になればスーツを着て事務所に向かう。辞めたいと思った日もあった。でも、やめた後の自分を想像すると、もっと空虚だった。ここには、ほんの少しでも必要とされている実感がある。その小さな光を手放せずにいる。

事務員さんに辞められたら終わりだし

今の事務員さんは本当に助かっている。控えめで、でも気が利いて、俺のダメなところをさりげなくカバーしてくれる。何も言わなくても、先回りして対応してくれることが多い。彼女が辞めると言い出したら、たぶん俺の事務所は回らない。それくらい、今は頼っている。

誰かが支えてくれている実感

普段は一人でやっている感覚が強いけれど、ふとした瞬間に気づく。封筒の宛名がキレイに印字されていたり、棚が整理されていたり、そういう小さなことに「誰かがここにいる」と思える。ひとりきりだと思い込んでいたのは、自分だけだったのかもしれない。

ひとりじゃできない仕事なんだと気づく

司法書士の仕事は個人戦のようでいて、実はチーム戦だ。依頼人、役所、事務員さん、みんながそれぞれの役割を果たしてくれるから、案件が進む。自分だけでできることなんて、ほんの一部だ。そのことに気づいたとき、少しだけ肩の力が抜けた。

たまに届く「ありがとう」の重み

1年に1回くらい、手紙が届くことがある。「おかげで助かりました」「あのとき優しく対応してくれて嬉しかった」そんな言葉を見ると、報われた気がする。全員が感謝してくれるわけじゃない。でも、その一通が、長く暗いトンネルに射す一筋の光になる。

報われない日々にも、小さな灯がある

目立たない仕事でも、誰かの人生に影響を与えていることがある。自分では気づかないようなところで、支えになっているのかもしれない。だから、今日も事務所の鍵を開ける。そして静かに、書類の束と向き合う。後悔しながら、でも、前を向いて。

しがない司法書士
shindo

地方の中規模都市で、こぢんまりと司法書士事務所を営んでいます。
日々、相続登記や不動産登記、会社設立手続きなど、
誰かの人生の節目にそっと関わる仕事をしています。

世間的には「先生」と呼ばれたりしますが、現実は書類と電話とプレッシャーに追われ、あっという間に終わる日々の連続。