法務局に書類を持って行ったらまさかの臨時休業だった日

法務局に書類を持って行ったらまさかの臨時休業だった日

朝からバタバタしてようやく出発したのに

今日こそは午前中に書類提出を終わらせて、午後はゆっくり事務所で片付け物でもしよう。そう思って朝7時前には目が覚めた。しかし、予定通りに事が進まないのがこの仕事。事務員が「コピー用紙がもうないです」と言い出したり、なぜかプリンターが紙詰まりを起こしたり、ちょっとしたことで出発がどんどん遅れていく。朝の準備に追われながら「まあ10時には着けるだろう」と踏んでいた私は、結果として11時過ぎにようやく法務局へ向けて出発することになるのだった。

事務員の機嫌を伺いながら準備する朝

うちの事務所は事務員が一人。ありがたい存在なのだが、朝から少しでも不機嫌な様子だと「今日は面倒な一日になるな」と覚悟するしかない。些細なことで空気が悪くなり、それが仕事の流れにも影響してくる。特に急ぎの書類がある日なんかは、朝から慎重に言葉を選ぶ。「その書類、綴じてくれてありがとう」と、感謝の言葉を混ぜながら機嫌をとる自分が情けなくもあるが、それが現実。こんな感じで、準備段階で一日のエネルギーの3割くらいを消費してしまうのだ。

「今日こそは早く終わらせるぞ」と意気込んで

たまには順調に終わって、コーヒーでも飲みながら昼下がりを迎えたい。そう思って「今日こそは」と毎度毎度、意気込んでいるのだけど、たいてい裏切られる。天気もよかったし、道路も空いていて、「今日は当たりかもな」なんて思ったのがいけなかったのかもしれない。野球部時代、調子に乗るとエラーするタイプだった自分を思い出す。地味で目立たない仕事にこそ、落とし穴は潜んでいるのだ。

道中で感じた妙な胸騒ぎの正体

車を走らせているとき、妙に胸騒ぎがした。ナビの案内も順調、道路も渋滞していない。それなのに、なぜか気持ちが落ち着かない。昔から、こういう“変な予感”がするときはたいてい何かある。とはいえ、まさかその「何か」が自分の仕事の根幹を揺るがすような出来事になるとは、このときはまだ思っていなかった。

天気が良すぎる日はだいたい何か起きる説

晴れすぎてる日って、ちょっと不気味じゃないですか。雲ひとつない青空。まるで誰かが「今日は外に出ろ」と言ってるような気がして。でも、そういう日に限ってトラブルが起きる。過去にも、天気が良すぎた日に鍵を忘れて締め出されたり、登記申請で思いっきり補正食らったりしたことがある。今回もその予感が少しあった。でも「気のせいだ」と自分に言い聞かせて、車を走らせてしまったのだ。

法務局の前に張り紙が見えた瞬間の絶望

到着して、駐車場に車を停めて、いつものように書類を手に持って建物に向かう。そして、入り口のガラス扉に近づいたとき、あの白い紙が目に入った。「臨時休業のお知らせ」──。視界がぐにゃっと歪む感じがした。まるでバットを思い切り空振りしたような感覚。まさか、本当に臨時休業?と二度見三度見して、ようやくそれが現実だと認識する。

臨時休業の文字が読めた時の感情の流れ

「え、今日って平日だよな?祝日じゃないし…」と焦る頭の中で、貼り紙の内容を読み進める。理由は「館内設備点検のため」だった。事前にそんな話は聞いていない。たぶん公式サイトかどこかには載っていたのだろうが、普段から忙殺されてる身にはそんな余裕もない。握りしめた書類の端が少し汗で湿っていた。

書類の山を抱えたまま立ち尽くす中年男一人

誰もいない建物の前、持ち込んだ書類の束を両手に抱えて立ち尽くす私。通りかかった人が不思議そうにこちらを見ていく。ああ、自分は今「何かに失敗した人」なんだと自覚する。こんなとき、話す相手もいない独身の寂しさが身に染みる。これが結婚してたら、夜にでも「今日な、法務局が休みでな…」と話せたのかもしれない。けれどそれもない。黙って車に戻るしかなかった。

せっかくの時間と気力が全部無駄に

帰り道、妙に疲れが押し寄せてくる。午前中のバタバタも、気を遣いながら事務所を出たあの努力も、全部空回り。書類提出って、ただ渡せばいいだけのようで、実は精神力をかなり使う。段取りを整え、間違いがないか何度もチェックして、それをやっとの思いで届けに行く。その先が“閉まってる”というのは、思った以上にこたえる。

戻っても仕事にならないモヤモヤ

事務所に戻っても、なんとも言えないモヤモヤが残る。次の予定にすぐ切り替えられるほど器用でもないし、今日という一日をどう捉えればいいのか分からない。効率や成果を求める社会の中で、何の成果も得られなかった一日。それは想像以上に自分を責める材料になる。おまけに、午後は変なテンションになって集中できない。ひたすら無駄を噛みしめるような時間が過ぎていく。

事務員の「えっ?今日休みだったんですか?」の破壊力

「あれ?今日って休みだったんですか?」と、事務員が何気なく言ったその一言に、心の中で小さな爆発が起きた。いや、別に責めてるわけじゃない。むしろ、そうやって気軽に言える人の方が羨ましい。でも、その無邪気さに打ちのめされるのも事実。こっちは朝から神経すり減らして準備して、それで臨時休業。なんだかなあ…という気持ちを抱えたまま、結局一言も文句を言えなかった。

情報チェックの甘さを思い知る

今回の件で思ったのは、やっぱり事前確認って大事だということ。いや、そんなの分かってる。でも、分かっててもできないのが現実。特に地方の小さな事務所では、人手も時間も余裕がない。どこか「いつもどおりでしょ」と思ってしまっている部分があって、それが油断に繋がる。チェックリストは作っていても、「まさか今日は休みじゃないよな」という思い込みにやられるのだ。

公式サイトを見ても臨時情報は気づきづらい

法務局の公式サイトって、見づらくないですか?文字ばっかりで、臨時情報がトップに出ているわけでもなく、しかもPDFでの案内だったりする。スマホで見ようとするとスクロールが面倒で、結局確認を諦めてしまう。今回はそれが完全に裏目に出た。言い訳をするつもりはないけれど、もっと分かりやすく表示してくれたら…とは、思ってしまう。

カレンダーに赤ペンで囲ってあったはずの日

「確かこの日って、カレンダーに書いてたはず…」と事務所に戻って確認してみたが、赤ペンで囲った日付は一週間後の別の日だった。思い込みと記憶違いの恐ろしさ。自分の記憶を過信してはいけないという教訓だけが残った。こうやって、凡ミスが積もっていくのがこの仕事だ。たった一日のミスが、翌週のスケジュールにも影響を及ぼしてくる。

この仕事における空振りのダメージ

書類提出を空振りしただけで、こんなにも心がすり減るものなのかと、自分でも驚いた。やっぱり司法書士って、見えないプレッシャーの中で日々生きてるんだなと実感する。誰も褒めてくれないし、成功しても当然。失敗すれば非難される。そんな中での“空振り”は、想像以上に痛い。

元野球部としては空振りに耐性があるつもりだった

野球部時代、空振りしても「次がある」と思えた。でもこの仕事は違う。一回の空振りが、信用を失うことにも繋がるし、時間的損失が大きすぎる。笑い話にもならない。だからこそ、空振りしないように細心の注意を払う。でも、それでも今回のようなことは起きる。そんなとき、自分の無力さを痛感してしまう。

でも試合と違ってリベンジのチャンスは明日じゃない

スポーツと違って、ビジネスの世界では「次の日にすぐ取り返す」というわけにはいかない。今回の書類も、次に提出できるのは数日後。それまでに予定を組み直さなければならないし、他の仕事にも影響が出る。プレイボールの笛は、こちらの都合では鳴らない。だからこそ、悔しさが何倍にも膨れ上がる。

それでもまた書類を抱えて歩き出すしかない

文句を言っても、悔しがっても、状況は変わらない。結局また書類を準備して、スーツを着て、車に乗って、法務局へ向かうしかない。愚痴をこぼしながらも、それを繰り返すのがこの仕事なのだ。華やかさはないけれど、少しずつ誰かの生活を支えている実感はある。それが唯一の救いかもしれない。

誰にも褒められないけど誰かのためにはなってる

この仕事をしていて一番感じるのは、「やって当たり前」であることの重さ。褒められることも評価されることも少ない。でも、登記が無事に通って、お客様がホッとして帰っていく姿を見ると、「やっててよかったな」と思う。今回は失敗したけど、それでもまた次の仕事をこなしていくしかない。

無駄に見える日も積み重ねたら仕事になる

臨時休業だった今日も、きっとどこかで何かの糧になってる…と、思いたい。効率ばかりを求めたら、この仕事は続かない。失敗も無駄もひっくるめて、“司法書士としての時間”なのだと、自分に言い聞かせながら、明日もまた事務所のドアを開ける。

しがない司法書士
shindo

地方の中規模都市で、こぢんまりと司法書士事務所を営んでいます。
日々、相続登記や不動産登記、会社設立手続きなど、
誰かの人生の節目にそっと関わる仕事をしています。

世間的には「先生」と呼ばれたりしますが、現実は書類と電話とプレッシャーに追われ、あっという間に終わる日々の連続。