好きになる勇気が出ない日の心の処方箋
好きになれないのは誰のせいでもない
誰かを好きになるというのは、当たり前のようで、実はとてもエネルギーを使う行為だと思う。気持ちが向いたとしても、どこかでブレーキをかけてしまう。そんな自分を責めてしまう夜がある。「どうして自分は踏み出せないのか」——その問いに答えはない。過去の経験や性格、仕事の忙しさや生活の孤独、いろんなものが複雑に絡み合って、いつの間にか“好きになる勇気”を失っていたのかもしれない。私も今まで何度か「好きかもしれない」と思う人がいたが、結局その思いを口にすることはなかった。
人を好きになる余裕がなくなる日々
司法書士の仕事は、人の人生の節目に関わるものが多い。相続、登記、会社設立、成年後見…。一つひとつの案件に丁寧に向き合えば向き合うほど、自分の感情のスペースは削れていく。日中は依頼者対応に追われ、夜は書類作成に集中していると、気づけば感情の蓋を閉めたまま過ごしてしまっている。人を好きになるには、まず自分の心に余白が必要だ。だが、その余白が今の自分にはほとんど残っていないように感じる。無理をして恋愛をするものでもないと思うけれど、心のどこかで寂しさが顔を出す。
仕事と孤独とコンビニ弁当
夕方事務所でひと息ついた頃、ふと「ああ今日も一人か」と思う瞬間がある。事務員さんは定時で帰るし、家に帰っても誰もいない。晩ご飯はいつものコンビニで済ませて、テレビも点けずにただ黙って食べるだけの日も多い。こんな生活を続けていると、人と接する気力も次第に薄れていく。恋愛どころか、誰かと話すことすら億劫になるときもある。まるで自分の世界にだけ閉じ込められてしまったような感覚。でも、これは仕事のせいではなく、自分で選んできた生活なのかもしれない。
「誰かと過ごす」ことのハードルの高さ
「一緒にご飯行きませんか?」——そんなひと言をかけることが、どうしてこんなにも難しいのだろう。過去に何度か勇気を出して誘ったこともある。だが、軽く断られたり、変に勘ぐられたりするのが怖くて、次第に声をかけることすらやめてしまった。自分の中でハードルをどんどん上げてしまっていたのだと思う。だから今は、「誰かと過ごす時間」そのものが、自分にとって遠い世界のように感じてしまう。でも、本当はそうじゃない。きっと小さな一歩を踏み出す勇気だけが足りないだけなのだ。
愛されたいけど踏み出せない
人を好きになることと、愛されたいと思う気持ちは、表裏一体だ。けれど、どちらも傷つくリスクを孕んでいる。だからこそ、最初の一歩がとにかく重たい。誰かを好きになったとしても、その思いが受け入れられる保証はないし、むしろ拒絶されるかもしれない。だから、最初から諦めてしまう。それが癖になっていた。いつの間にか、「どうせ無理だろう」という思考で自分を守るようになっていた。だが、その代償は“関係”というかけがえのないものを遠ざけることだった。
優しくしたい気持ちと裏腹の距離感
私は、人に対して基本的に優しいと言われることが多い。でも、恋愛になると途端に距離を詰められなくなる。「好意を持っていると思われたくない」「迷惑だと思われたくない」そんな考えが先に立ってしまって、結局何もできない。ある女性に道でばったり会って、少し話したときに「また会いたい」と思った。でも、それを伝えることもせず、ただ笑ってその場を後にした。あのときの自分は、優しさという名の“逃げ”で、距離を保っていただけだったのかもしれない。
モテないことは悪なのか
中高時代、野球部で汗を流していた頃は、多少なりとも「モテたい」という気持ちがあった。でも、今はモテるモテない以前に、「誰にも必要とされていないのではないか」という感覚のほうが強い。自分のことを好きになってくれる人がいるとは到底思えないし、自分も誰かを好きになれない。モテないというのは外見や性格の問題ではなく、むしろ自分自身の心が閉じていることの表れなのかもしれない。問題は“外”ではなく“内”にあると、最近やっと気づいた。
元野球部という肩書きの賞味期限
「元野球部です」なんて言って通じるのは、せいぜい20代前半までだ。45歳の今となっては、昔の武勇伝なんて誰も興味がない。体型も崩れ、体力も落ち、気力も今ひとつ。自分に自信を持てる材料がどんどんなくなっていくなかで、恋愛に前向きになるのは本当に難しい。でも、そんな自分でも「誰かと寄り添いたい」と思う気持ちだけは残っている。だからこそ、「元野球部」なんて肩書きに頼るんじゃなく、今の自分をもう少し認めてあげる必要があるのかもしれない。
それでも誰かを好きになりたい
たとえ今は勇気が出なくても、もう一度誰かを好きになりたいと思っている。その思いを抱えているだけでも、まだ前に進める余地があるということだ。誰かを好きになることは、自分自身を肯定することにもつながる。仕事に追われ、孤独に慣れてしまった日々の中でも、どこかで「もう一度信じてみたい」と思える心がある限り、きっと大丈夫。焦らなくていい。少しずつでいいから、自分の心に優しくなっていきたい。
勇気がないなら優しさで代用してみる
どうしても踏み出す勇気が出ないなら、まずは小さな優しさから始めてみよう。出会った人に少し多めに微笑むとか、いつもより丁寧に話を聞くとか、それだけでも人との距離は少し縮まる。優しさには防御力があると同時に、相手の心にも届く力がある。私は今、少しずつその方法を試している。それが直接恋愛に繋がらなくてもいい。人との関係を築き直す第一歩として、優しさを差し出せる自分でいたいと思う。
共感がくれる小さな一歩
誰かの言葉に救われた経験がある。SNSで流れてきた何気ない言葉や、このようなコラムでも、「ああ、自分だけじゃないんだ」と思えたとき、少しだけ心が軽くなる。だから今、自分もこうして文章を書いている。誰かの孤独に、ほんの少しでも寄り添えたらと思って。共感は魔法じゃないけれど、歩き出すための靴紐をそっと結んでくれるものかもしれない。
このコラムを読んでくれたあなたへ
ここまで読んでくれたあなたも、もしかしたら“好きになる勇気”を失いかけている人かもしれない。でも、心のどこかにその気持ちがまだ残っているなら、大丈夫。私は司法書士という少し固い世界で生きているけれど、同じように悩み、同じように迷いながら日々を過ごしている。一緒に少しずつ、心を開く練習をしていきましょう。あなたが誰かを好きになれる日が、きっとまた訪れます。