地元で働くことの意味を考える日々
司法書士という職業を地元でやっていると、「堅実で立派」とか「地に足がついている」と言われがちです。でもその言葉、ちっとも嬉しくない時があります。なんだか「ちゃんとしてて当たり前」と評価されているような、逃げ場のない感じ。自分ではこの道を選んだつもりが、地元に留まっただけで、何かを背負わされてる気がしてなりません。そもそも、正解なんて誰が決めるんでしょうね。
なぜ都会じゃなく地元を選んだのか
正直に言えば、東京の法務局回りの激務に疲れていたというのもあります。独立を考えたとき、自然と地元の景色が浮かんできました。都会のスピード感よりも、あのゆっくり流れる商店街の時間の方が、自分のリズムに合っていたんです。でも「地元に戻る=地に足ついた人生」という評価が、自分の選択を妙に正当化してくるのがしんどいんですよ。
親の顔や同級生の目を無視できなかった
「おふくろも年だしな」「お前が戻ってきて助かったよ」という声は温かいんだけど、やっぱり重い。同級生に偶然会って「やっぱり真面目だな」と言われたとき、自分が勝手に『立派な人』という役に押し込まれてる気がしました。僕はただ、少し静かな場所で働きたかっただけなんです。
通える範囲に司法書士事務所がなかった頃の話
独立前、修行していた事務所は電車で2時間の場所にありました。朝5時に起きて、満員電車に揺られて、帰宅は22時。体を壊す一歩手前でした。「地元で開業したい」と言った時、所長は「やめとけ」と言ったけど、もう限界だったんです。だからこそ地元に戻った。でも、戻った先でまた別のプレッシャーに追い詰められるとは思っていなかった。
「ちゃんとしてるね」と言われる違和感
地元で働いていると、親戚やご近所さんに「ちゃんとしてるねえ」とよく言われます。でも、その「ちゃんと」って、いったい誰の基準? 結婚してない僕は、それだけで「惜しいねえ」と言われることもある。地元にいると、どうしても“理想の地元青年像”に無理やり当てはめられている気がして、素直に笑えないんですよね。
地元で仕事=成功という呪い
「地元で事務所構えてるんだ?すごいね!」って言葉、最初はうれしかったんです。でも、続けて「親も安心でしょ」とか「やっぱ賢かったもんな」と言われると、居心地が悪くなる。なんで地元で仕事してるだけで、そんなに期待されなきゃいけないのか。なんだか“正解ルート”に強制参加させられてるような、息苦しさがあるんです。
誰かと比べられるような感覚が常にある
元野球部の仲間は地元の役所に勤めていて、奥さんと子どもがいて、休日は少年野球のコーチ。たまに「お前も手伝えよ」と誘われるけど、その輪に入り込めない自分がいます。自分が“欠けてる”ように思えてくる。でも、それを埋めようと無理すると、今度は仕事が崩れる。自分らしく働くって、本当に難しい。
見えないプレッシャーがじわじわと
地元で働くということは、知ってる人に囲まれてるということ。安心感もあるけど、それ以上に「見られている」感覚が常について回ります。しかも地方だから情報もすぐ回る。ちょっとした愚痴すら慎重に選ばないと、あとで自分に返ってくる。地元だからって楽じゃない。むしろ、精神的な圧は強いかもしれません。
親戚や近所の人の無言の期待
お盆に実家に帰ると、「あんたが地元で頑張ってくれてありがたいよ」と言われます。でも、それって本当に僕のため? なんとなく「地元のために働いて当然」みたいな空気が流れていて、自分の人生が誰かの安心材料になってしまってる気がするんです。期待されてるのはありがたい、でも、重たい。
「あの子は地元で頑張ってる」って誰のため?
よく親戚の集まりで「◯◯さんとこの息子さん、えらいねえ。ちゃんと地元に残って」と話題にされる。たぶん悪気はない。でも、本人からしたら「別に地元で頑張ってるわけじゃない」と思ってることもある。そういう言葉に囲まれてると、自分の本音がどこにあるのかわからなくなります。
結婚していないことへの風当たり
地元では「いい年して独身=何か足りてない」という空気が強い。事務所に女性の相談者が来ると「そろそろ良い人見つけたら?」と冗談っぽく言われる。でも、こっちは毎日仕事と補正と登記の山で精一杯。婚活どころか、休みの使い方すら迷ってるのに。なんでそんなに“完成形”を求められるんだろう。
「良い人いないの?」という悪気ない呪文
おばちゃんたちの「いい人いないの?」って、もはや地元の呪文です。言ってる本人は優しさのつもり。でも、それが何十回も積み重なると、だんだん「自分は不完全なんだ」と思えてくる。言葉って怖いですね。優しさの皮をかぶった圧力に、今日も笑って答えるのがしんどいです。
独身司法書士の寂しさと向き合う
仕事の山を越えた後、ふと事務所の明かりを消すときに感じる「ぽつん」とした静けさ。誰かに相談したいことがあっても、すぐに声をかけられる人がいない。忙しいからこそ気づかないふりしてるけど、実は孤独ってやつが、そこら中に潜んでます。
仕事で満たされる瞬間はあるけれど
「先生のおかげで助かりました」と言われるとき、心からこの仕事をやっててよかったと思う。だけど、事務所を出たあと、コンビニの帰り道でふと「誰にも必要とされてない時間」が始まる。あの落差がたまらなくて、つい自分をごまかしてしまいます。仕事だけで満たされるには、少し荷が重い。
でも夜になると孤独がにじんでくる
テレビをつけても誰とも会話せず、スマホをいじっても通知は業務連絡だけ。そんな夜が何日も続くと、自分って何のために生きてるんだろうって思ってしまうときがある。別に誰かといたいわけじゃないけど、誰にも見られてない感じが怖くなるんです。寂しさって、音もなく背後から来るんですよね。
元野球部という過去が今に与える影響
高校時代、野球部で叩き込まれた「我慢」「根性」「人に迷惑かけるな」という言葉が、いまだに自分の中にあります。だから、人に頼るのが苦手で、全部ひとりで抱えてしまう癖がある。でも、独立してから気づいたんです。あの頃の根性は、時に自分を苦しめる武器にもなるって。
上下関係や責任感に縛られてしまう
野球部時代の名残で、今でも「上の人には従う」「年下には背中を見せろ」と思ってしまう。だから事務員さんにも無理して強く振る舞うときがある。でも、それが本当に良い職場なのか? 自問自答の日々です。強く見せたいけど、本当は弱音を吐ける場所が欲しいだけなんですよ。
じゃあどうしたら楽になるのか
地元で働くことがプレッシャーに感じるなら、少しずつでも自分の基準で生きていくしかない。人の目を全部気にしないのは無理でも、全部を鵜呑みにする必要もない。地元だからこそ、自分らしさを守る方法を見つけていくことが大事なのかもしれません。
誰に見られていようと自分をゆるす
人にどう見られてるかを気にしてばかりいると、どんどん自分の軸がぶれていきます。「あの人はこう言ってたから」「地元ではこうあるべきだから」じゃなくて、「自分はどうしたいのか」を軸にしたい。正解じゃなくて、納得できる道。それが少しずつ見えてきた気がします。
「地元で頑張ってるね」に反応しすぎないコツ
「地元で頑張ってるね」と言われたら、「まあ、ほどほどに」と軽く受け流すようにしています。真面目に受け取ると、どうしても義務感に縛られてしまうから。人の期待は変えられないけど、自分の受け止め方は変えられる。その小さな変化が、自分を守る手段になるんです。
自分の選択にラベルを貼らない
「地元で働く=真面目」「独身=可哀想」みたいなラベルに、自分で納得しないことが大切だと思います。選んだ道が、たまたまそうだっただけ。それ以上でも以下でもない。そのくらいの気持ちでいると、ちょっとだけ心が軽くなるんです。正解じゃなくて、自分にとっての“納得解”を見つけていけたらいいなと、思います。
正解探しをやめると少し楽になる
人生に“正解”なんて、たぶんないんです。地元で働こうが、都会で頑張ろうが、結婚してようがしてまいが、自分が納得できるかどうか。それだけのことなのかもしれません。そう思えるようになったのは、何度も苦しい夜を越えてきたから。今の自分も、悪くない。そんな風に思える日が、増えてきました。