日曜日に限って電話が鳴る不思議
土曜の夜、「明日は何もないからゆっくり寝よう」と思って寝ると、なぜか決まって日曜の午前中に電話が鳴る。しかもそれが、いかにも気軽そうな声で「ちょっとだけ聞きたいことがあって…」と始まるから厄介だ。こっちは部屋着で髪もボサボサ、コーヒーを片手にようやくボーッとしていたタイミングだというのに、緊張感が走る。少し話して終わるならまだしも、そこから話は雪だるま式に膨らんでいく。結局、気づけば昼過ぎどころか、日が傾く頃になっていたというのも珍しくない。
「ちょっとだけ聞きたい」が一番こわい
「ちょっとだけ」という言葉ほど信用ならないものはない。こちらはその言葉を信じて応じるが、大抵は10分じゃ終わらない。いや、むしろ10分で終わる話なら電話してこないだろう。そういう電話に限って、話が二転三転し、「あ、そういえばもう一個…」が続く。気がつけば、事案の全体像を把握し、法的観点でのアドバイスを求められ、もはや無料相談では収まらない内容にまでなっている。だがそこで「じゃあ正式に依頼を…」とも言いづらい微妙なラインだからこそ、ストレスがたまる。
最初の5分は確かに雑談だった
電話の入りは軽い。「最近どうですか?」「お元気ですか?」なんて、まるで旧友と話すような口調。こちらも油断して、「まあまあですよ」なんてのんびり返す。ところが、そこから「実はちょっと気になることがあって…」と話題が本題に移るスピードは、プロの詐欺師顔負けだ。そして気づけば、登記関係の具体的な話に進み、「あれってどういう仕組みなんですか?」と深掘りされ始める。もうその時点で、完全に日曜日の空気は消え失せてしまう。
気づいたらメモ帳が埋まりはじめる
「これ、ちょっとメモしておこうか」と思って手に取ったメモ帳。最初は電話の時間と要点だけ書こうと思っていたが、気づけばページはどんどん埋まり、まるで平日の業務中のようになってくる。「相続人は何人?」「共有持分は?」と、まるで面談のような情報のやりとりに突入。何のための日曜だったのかと、自問自答しながらペンを走らせる。昼食も忘れて、気づけば空腹と疲労がセットで襲ってくる。
自分の休みは誰が守ってくれるのか
誰かのために時間を割くという行為は、善意のかたまりだ。しかしその善意が積み重なると、だんだん自分の時間がなくなっていく。私はこの仕事をしていて、「ありがとう」と言われることは確かに多い。でも、それに見合う自分の回復時間は用意されていない。特に独立してやっている司法書士にとって、日曜だからといって完全に業務から離れられるわけではない。むしろ、日曜のほうが気を抜けない場面すらある。
相談される側に休息はないのか問題
たとえば、一般企業の営業職であれば、休日にお客さんから電話が来たら「月曜に改めて」と断る選択肢もあるだろう。だが士業となると、話が違ってくる。とくに地域密着でやっていると、「顔なじみ」「地元のつながり」「恩義」といった断りづらい空気がある。そういうなかで「今ちょっとだけいいですか?」に対して「いや、今日は休みなんで」とは言いにくい。結果的に、疲弊したまま次の週に突入することになる。
罪悪感を刺激される構造
不思議なことに、断っても罪悪感、受けても疲労感が残る。これはどちらに転んでも自分が消耗する構造になっている。昔、野球部だったころ、監督に「声かけられたら返事せい」と言われて育った身としては、頼られることに反応しないのは裏切りのような気がしてしまう。人に無下な態度をとることがどうしてもできない。でもその結果、予定していた休日の過ごし方は音を立てて崩れていくのだ。
断ることにもエネルギーが要る
「断る」という行為は、意外に体力を使う。「申し訳ないんですけど…」と前置きを入れ、「その件は正式に…」と丁寧に返すために、言葉を慎重に選ぶ。その労力を思うと、最初から話を聞いたほうが早いと感じてしまうのが本音だ。でも、その繰り返しが自分をじわじわと追い詰めていく。結局、エネルギーはどこかで枯渇するのに、補給はされないまま、次の「ちょっとだけ」がやってくる。
結局、日曜の夕飯はカップ麺
夕方、電話が終わって時計を見ると18時半。今日こそは少し凝った料理をしようと考えていたのに、そんな気力はもう残っていない。コンビニで買ってきたカップ麺をすすりながら、テレビもつけずにぼんやりと壁を眺める。これが司法書士としての「日曜」か…と、なんとも言えない感情が渦巻く。それでも明日は月曜日。また新たな「ちょっとだけ」がやってくるかもしれない。
それでも「また何かあったら相談しますね」
最後に相手から「助かりました」「また相談します」と言われると、不思議と嫌な気持ちが消えていく瞬間がある。理屈では納得できないのに、感情的に救われる。人に頼られることで、存在意義を感じてしまう自分がいる。だからきっと、また次の日曜日も「ちょっとだけ」の相談に応じてしまうのだろう。損してるようで、たぶん自分にとってはこれが仕事の意味なのかもしれない。