推しの結婚は祝福なのか現実逃避なのか
昼下がり、登記完了通知の確認中に、スマホの通知が目に入った。「〇〇さん結婚を発表」。頭が真っ白になった。机に突っ伏すわけにもいかず、PCのカーソルだけが虚しく点滅している。彼女には直接会ったこともない。ただ、画面越しに応援していた存在。それでも胸にぽっかり穴が空いたような、なんとも言えない喪失感。心の中で「おめでとう」とつぶやくけれど、それはどこか遠くの誰かの幸せで、自分の現実とはまったく繋がっていない。登記簿の数字がまるで記号にしか見えない午後だった。
目の前の登記簿が何も頭に入ってこない
司法書士としての業務は、基本的には淡々としている。登記の確認、依頼者とのやりとり、書類作成…。それらはルーティンであるがゆえに、心が乱れると驚くほど作業効率が落ちる。推しの結婚を知った直後、まさにその状態に陥った。書類を眺めても内容が頭に入らない。「これは法務局に提出済みだっけ?」と何度も確認する始末。気を抜くと依頼者の名前の横に、推しの名前を書きそうになる自分に呆れた。プロとしてどうなのかと思う反面、「人間なんだからしょうがない」と開き直る自分もいる。
傍から見ればただのニュースなのに
ニュースサイトやSNSを開けば、「祝福ムード一色」という見出しが踊っている。芸能人の結婚に過剰に反応する自分がどこか滑稽に思えるのも事実だ。けれど、彼女は忙しい日々の中での“心の支え”だった。無言の夜、疲れた身体で帰宅して再生するライブ映像やラジオの声。そこに救われていた時間があった。それが終わったわけじゃないのに、なぜか終わった気がするのは、自分の気持ちがついていけていない証拠なんだろう。わかってはいる。でも感情は簡単に整理できない。
仕事中にスマホで見るんじゃなかった
本当に、あの通知を仕事中に見たのが失敗だった。何も知らずに過ごしていれば、少なくとも今日の仕事だけはスムーズに終わったかもしれない。けれど人間、感情には抗えない。SNSのトレンドに上がった名前を見てしまったら、ついクリックしてしまう。そして、知りたくなかった現実に直面する。わかっていても、何度も見返してしまう。「指輪が似合うね」「幸せになって」そんなコメントの数々に、何度も胸がチクチクした。仕事に戻ろうとするたびに、溜め息だけが増えていった。
祝福したい気持ちと置いてけぼりの孤独
推しの幸せは、ファンとして喜ぶべきこと。頭では理解している。しかし、心は正直だ。「なんでこんなに悲しいのか」と自問しても、明確な答えは出てこない。周りには言えないこの感情。40代独身、地方の司法書士。職場には事務員さんが一人。そんな状況で“推しの結婚がつらい”なんて言ったところで、誰が共感してくれるだろう。黙って笑って、「おめでとう」とだけ言う。それが大人の対応。でも、心の中では一人、置いてけぼりになったような気分だった。
こっちは結婚どころか連絡先すらない
もう何年も、異性と個人的な連絡を取った記憶がない。飲み会も少ないこの土地で、出会いなど幻想に近い。推しの結婚という「画面の向こうの現実」が、自分の空っぽな現実を照らし出す。高校時代、野球部で汗を流していた頃は、こんな未来を想像すらしていなかった。まさか推しの幸せに打ちのめされる日が来るなんて。友人に話せば笑われるだろう。けれど、この感情はたしかに“今”の自分の一部だ。どんなにみっともなくても、否定はできない。
誰かに話すほどのことじゃないつらさ
この手の悩みは、深刻すぎず、でも確実に心に響いてくる。大袈裟な失恋でもなければ、家庭の問題でもない。なのに、なぜか精神がじんわりと痛む。誰かに相談するには浅すぎて、ひとりで抱えるには重たすぎる。机に向かいながら「自分、何してるんだろうな」とつぶやく時間が増えた。仕事中なのに、心だけどこかへ行ってしまう。こういう時に限って、地元の役場から問い合わせの電話がかかってくるのも運命か。まるで「現実に戻れ」と言われているようだった。
書類より心が乱れる日もある
正直、今日の書類は何度も見直さないと不安だった。申請書に不備がないか、登記情報が間違っていないか、繰り返し確認しても手が震えるような気がした。心の乱れは、仕事の精度に確実に影響する。それでも締切はやってくるし、依頼者は待っている。そう思うと、自分の感情を抑え込むクセがどんどん強くなる。でも、今日は素直に「集中できない」と認めたかった。そんな日があってもいい。自分も人間だから、そう思いたかった。
仕事に戻るのがこんなに大変だとは
司法書士の仕事は、淡々とした業務の積み重ねだ。感情を切り離して機械のようにこなすことも多い。しかし、心が乱れたときほど、その“無感情の演技”が辛くなる。推しの結婚というニュースが、なぜここまで響いたのか、自分でも驚いている。けれど、そのおかげで見えてきたこともある。自分は、何かに寄りかかって生きていたんだと気づかされた。戻らなきゃいけない現実に、足がすくむ午後だった。
地元の依頼と推しの現実が混ざる瞬間
午後の面談で地元の依頼者と話している最中、不意に「結婚ってやっぱいいもんですよ」と言われて、笑顔が引きつった。「ですよねー」と返した自分の声が少し裏返ったのを、相手は気づいただろうか。今目の前にいる依頼者の“現実”と、スマホの中の“現実”が交差する一瞬。その狭間に、妙な違和感が残った。地元の役場に書類を提出しながら、「こっちはいつまで独りなんだろうな」と、つぶやく声が自然と出てしまった。
事務員さんは平常運転で羨ましい
隣の席で事務員さんが淡々と業務をこなしているのを見ると、ちょっと羨ましくなる。「推しの結婚」なんて概念とは無縁に見える彼女の集中力。彼女にも彼女なりの人生があることはわかっている。けれど、こういうとき、自分だけが“感情に飲み込まれている存在”に思えてしまう。プロとして、こんなことで揺らぐなんてダメだと思いつつも、立ち直るには少しだけ時間が必要だった。
一人暮らしの部屋で静かに思い出す
仕事が終わり、一人の部屋に帰る。テレビもつけず、照明も暗めのまま。推しが笑っていた映像を思い出しながら、「あれが最後の笑顔だったのかもしれない」と勝手に締めくくってしまう自分がいる。これからも活動は続くだろうし、応援もしたい気持ちはある。けれど、どこか切り替えが必要なのかもしれない。ファンとして、そして司法書士として。明日はもう少しまともに仕事ができるといいなと思いながら、静かに夜が更けていった。
「おめでとう」と打ちかけてやめたLINE
一度だけ、ファン仲間のLINEグループに「おめでとう」と打ち込んだ。でも、送信ボタンを押す手が止まった。心からの言葉じゃないのが自分でわかったから。結局、そのまま削除して、何事もなかったようにスタンプだけ送った。自分の気持ちをごまかすには、それが精一杯だった。優しいふりをするのも、たまには疲れる。誰にも届かない「おめでとう」が、心の中にだけ残った。
過去のライブDVDが今日は見られない
棚に並べたライブDVD。いつもなら、疲れた日の癒しだった。でも今日は無理だった。彼女の笑顔がまぶしすぎて、直視できそうになかったから。幸せそうな姿に、こちらの未練があぶり出されるようで苦しくなる。ファンとはなんなのか。応援するって、こんなにも感情を使うことだったのか。気軽に「好き」と言えたあの日が少し遠くに感じた。
それでもまた朝は来て登記は待っている
気持ちがどんなに沈んでいても、明日はやってくる。そして登記も、相談も、期日も待ってはくれない。推しが結婚しても、僕は司法書士としての一日を生きていく。感情は置いてけぼりでも、現実は止まらない。それでも、こうして心を言葉にしてみると、少しだけ楽になる。誰かに届かなくても、自分には必要な吐き出しだった。明日も、ちゃんと仕事します。
推しは遠くて依頼人はすぐそこにいる
彼女はもう、誰かの隣で笑っている。僕は、地元の誰かの登記を進めている。それぞれの人生、それぞれの役割。ただ、それでも時々、推しの存在に救われてきたことは否定できない。きっとまた、画面の中で元気をくれるはず。だから僕も、今日の書類を無事に提出する。推しには推しの幸せがあり、僕には僕の仕事がある。それで、いい。たぶん。