心だけがまだデスクに置き去りのまま
今日の業務はひと通り終わった。登記も済んだし、依頼人への連絡もした。書類の山も、机の上では片付いている。でも、なぜか気持ちが終わった気がしない。仕事は終わったはずなのに、心はまだ「業務中」のままだ。身体は帰宅モードなのに、頭の中は今日の反省と明日の段取りがぐるぐる回っている。どうしてこんなに切り替えが下手なんだろう。独立してからずっとそうだ。スーツを脱いでも、心のスイッチが切れない。
帰宅しても気が抜けない夜がある
帰ってきて、夕飯を温めているときでさえ、依頼人の顔や明日の予定が浮かぶ。テレビをつけても全く入ってこない。スマホを見る手が止まり、頭の中は「もし、あの書類の内容にミスがあったらどうしよう」とか、堂々巡り。司法書士という仕事は責任が重い。たった一つの記載ミスが、何十万円の損失や依頼人との信頼を失うきっかけになることもある。だからこそ、終わっても終わった気がしない。
頭では終わったと分かっていても体が覚えている
脳みそは「今日の業務終了」と言っていても、体はそうはいかない。昔、野球部で練習後に筋肉がしばらく震えていたように、今の自分も、業務後に心が震えているようなものだ。緊張の糸が切れない。今も心拍数が高い気がする。リラックスしていいのに、なぜか自分に許可が出せない。
風呂に入ってもリセットされないこの感覚
風呂に浸かっても、今日の業務のことが頭をよぎる。「あの人の言い方、少し引っかかったな」とか「書き損じた部分を直すの忘れてないか」とか、ずっと考えてしまう。まるで風呂が反省会の会場になっている。身体を洗っているのに、心が洗われない。これってもう癖になっているのかもしれない。
気を張りすぎた日の反動は誰にも見えない
「今日もミスせずにやり切った」と自分で褒めてもいいはずなのに、全然うれしくない。むしろ、次のプレッシャーが心を押しつぶしてくる。誰にも怒られない代わりに、誰にも「よくやった」とは言われない。独立って、そういう孤独なもんなんだろうな。事務員も気を使ってくれてるけど、彼女だって仕事としての関わりであって、こちらの心の内までは踏み込んでこない。
一人の事務所経営がもたらす緊張の持続
一人で全部抱えるというのは、覚悟の上だった。けれど、それが毎日続くと、心が休まらない。ふとしたときに、ドアの向こうに誰かいてほしいと思う。安心できる誰か。だけど現実は、ひとつの登記ミスも許されない世界で、一人きりで立っている。こんなに張り詰めていても、誰にも気づかれない。
ミスしてはいけないという職業病のようなもの
司法書士になってからというもの、「完璧であること」が当然のように求められる。人間なのに、間違えてはいけないという無言のプレッシャー。それが身体に染みついてしまった。夜中にふと目が覚めて「印紙貼り忘れてないか」と焦ることもある。もはや、職業病なのかもしれない。
誰も気づかない小さな重圧
周囲から見れば「仕事が終わって帰れるなんていいですね」と言われることもある。けれど、その「終わった感覚」がこちらにはない。タスクは終わっても、感情は残っている。今日あったやり取り、書類の確認、明日の段取り。そういうものが頭の中に居座って、心を支配する。小さな重圧が積もっているだけに、誰にも伝えられない。
お客さんの前では笑っていても
プロとして当然だけど、お客さんの前では笑っている。それが「信頼される司法書士」だと思っている。けれど、その裏で何度も心が折れそうになっている。「また急な相談か…」と内心思いながらも、顔には出せない。しかも、それを誰にも愚痴れない。自分で選んだ道だからと言い聞かせても、疲れは確実に溜まっていく。
愚痴をこぼせる相手がいない現実
友達も少なくなった。話せる相手は昔の同級生くらい。でも彼らは家庭を持っているし、仕事もまったく違う。共感してもらえる話題なんてほとんどない。恋愛相談なんてする年でもないし、愚痴を言える人もいない。だから、こうして自分の頭の中で何度も反芻しては、溜め込んでしまう。
感謝されるときだけが救いになっている
依頼人から「本当に助かりました」と言われる。その瞬間だけは、少し心が軽くなる。でも、その一瞬を支えるために何十時間も神経をすり減らしている。報われてるのか分からない。でも、その言葉があるから、次の日もまた机に向かえる。それが、司法書士という仕事なのかもしれない。
今日もまた独り反省会をする夜
夕食後、机に戻って、手帳を開いてみる。今日のスケジュールにはすべてチェックがついている。それでも、自分の中では納得できていない。あのやり取り、もっと丁寧にできたかもしれない。あの説明、もう少し分かりやすくすべきだったかも。そういうことを、一人で振り返る。たぶん、性格なんだろう。元野球部だから、監督や先輩に怒られてきた習慣が残っているのかもしれない。
誰にも怒られないからこそ怖い
独立してからというもの、誰かに怒られることはなくなった。だけど、だからこそ怖い。自分がダメになっても、誰も止めてくれない。自分で自分を律するしかない。そのプレッシャーが、毎日、心に蓄積していく。自由である代わりに、すべての責任を背負っている。
自分ならもっとやれたという自罰の声
「今日もよく頑張った」と言ってみる。でも、その直後に「いや、もっとできたはずだ」ともう一人の自分が否定してくる。自罰の声が大きくて、心が安らがない。気を抜いた瞬間に何かを見落とす気がして、気を抜けない。
元野球部のくせにメンタルが豆腐な話
中学高校と野球部で、上下関係や厳しい練習には慣れていたはずだ。でも今は、そんな自分が情けなく感じる。こんなにメンタル弱かったっけ?と思う日が増えた。あの頃の自分が今の自分を見たら、どう思うだろうか。たぶん、がっかりするかもしれない。でも、あの頃は責任を背負ってなかったんだ。今は違う。