広さじゃない 心が置き去りだったことに気づくまで
司法書士として働いていると、安定や将来設計といった言葉がやたらと現実味を帯びてくる。だからこそ「マイホームが欲しい」と思ったのは自然な流れだった。実際、物件情報を見ていると不思議と安心する。「ここなら心が落ち着くかも」なんて、勝手に想像までしてしまう。しかし実際にそれを手に入れたとき、ふと気づいた。「俺、心の余白をまったく考えてなかったな」と。物件の間取りやローンの支払いにばかり気を取られ、心がどこにも置いてけぼりになっていたのだ。
家を持てば安心だと思っていた
昔の同級生たちがどんどん結婚して家を買っていく中で、自分もそろそろ何か“カタチ”のあるものを持たなければという焦りがあった。特に独身でモテない男にとって、家は「何者かになった証」のような錯覚がある。「自分には帰る場所がある」と言い聞かせれば、なんとなく孤独からも逃れられる気がしていた。だから中古の一戸建てを買った。リフォームも頑張った。だけど、心の安心感とはまったくの別物だった。
実家を出たのは三十代半ばだった
実家に長くいたのは、正直に言えば「面倒だったから」だ。親の世話になるのが楽だったし、仕事が忙しいことを理由に自分の人生を先延ばしにしていた。でも、三十代半ばでようやく決断して引っ越した。新しい家は綺麗で便利だったけれど、逆に自分の未熟さや孤独がむき出しになった。広さや立地じゃどうにもならない“心の居場所”の不在。それに初めて気づいたのが、この一歩だった。
ようやくの独立でも心は自由じゃなかった
部屋が広くなったからといって、心が解放されるわけじゃない。むしろ物理的に広くなった分、余計なことを考えるスペースができてしまった。例えば「この先ひとりでどうなるんだろう」とか、「誰も来ないこの家に意味はあるのか」とか。不動産としては所有できた。でも、自分の心のスペースは、まだ誰のものにも、何のものでさえもなれていなかった。結局のところ、“安心”はローンでは買えなかったということだ。
司法書士という仕事と心の圧迫感
司法書士という職業は、世間的には堅実で知的な印象を持たれることが多い。だけど、現場は毎日プレッシャーの連続だ。ミスは許されないし、依頼者の人生の節目に立ち会うこともしばしばある。その責任感が自分を支える一方で、じわじわと心を圧迫していく。誰かの「ありがとう」の裏側に、自分の「しんどい」が積もっていく。気づけば、心のスペースなんてものは仕事に押しつぶされて見えなくなっていた。
毎日がタスクで埋まっていく
朝から書類の山。電話は止まらず、登記の期限は迫ってくる。事務員が一人だけなので、雑務も自分でこなす必要がある。タスク管理アプリを使っても、心の中の「やらなきゃ」は減らない。休憩中もスマホで次の予定を確認してしまう始末。そんな日々を繰り返しているうちに、「今日、何を感じたか」が抜け落ちていく。ただ業務を処理しているだけの毎日に、自分の存在価値さえ見失いそうになる。
事務員一人のありがたさと孤独の重さ
正直、彼女がいなかったらもうこの仕事は回らなかったと思う。でも、それと同時に、事務所に二人きりというのは孤独でもある。業務の相談はできても、心の内を話す場ではない。少しでも愚痴をこぼせば、職場の空気が重くなってしまいそうで飲み込む。そしてそれがまた自分を追い込んでいく。感謝と孤独が同居する空間で、心の居場所をどうやって確保すればいいのか、ずっと答えが出ないでいる。
ふと空を見上げたときに感じた閉塞感
ある日、ふと外に出て空を見上げた。晴れているのに、心はどんよりしていた。その瞬間、「なんでこんなにしんどいんだろう」と思った。空は広いはずなのに、自分の世界は狭苦しい。法律の枠に縛られ、責任に追われ、人に気を遣いすぎて、自分の気持ちはどこにも居場所がなかった。心のスペースというのは、物理的なものではなく、感情が自然に広がれる余白なのだと、ようやく気づいた瞬間だった。
物理的な部屋より心の余白が欲しかった
物件選びにこだわっていた頃の自分に言いたい。「広さより、何をその中で感じられるかを考えろ」と。どれだけ立派な部屋でも、帰ってくるたびにため息が出るようじゃ意味がない。心に余白がないと、景色すら見えなくなる。家具を整えても、カーテンを変えても、心が詰まっていたら台無しだ。ようやくそれに気づけたのは、仕事でもプライベートでも余裕がなくなりすぎて、自分に向き合わざるを得なくなったからだ。
三畳の休憩室に救われた瞬間
事務所の裏にある三畳ほどの休憩スペース。最初は荷物置き場だったけれど、ある日そこに座ってただ静かにお茶を飲んでみたら、不思議と心が落ち着いた。狭い空間なのに、広く感じた。誰にも話しかけられず、仕事のことも考えず、ただぼーっとしている時間。たったそれだけのことで、こんなに楽になれるんだと驚いた。結局、必要なのは“空間”ではなく、“心に風を通す時間”だったのかもしれない。
狭くても心が休まる場所がある
広い部屋でも落ち着かない人がいる一方で、狭い場所でも心がほっとできる人もいる。つまり、空間の大きさと心の安らぎは比例しないということだ。自分にとっての“安全地帯”があるかどうか、それが本質だったのだろう。もし家にいても心が休まらないなら、近所の公園でも、コンビニのイートインでもいい。とにかく、心が深呼吸できる場所を見つけること。それが、これからの自分に必要なことだと思っている。
心のスペースは誰にも見えないけれど大事だった
登記簿謄本のように目に見えるものばかりを追いかけてきたけれど、結局一番大事なのは「見えないスペース」だった。感情が雑に扱われた日、優しさをどこに置いていいかわからないとき、自分の中に余白がないとすぐに潰れてしまう。司法書士という職業は、他人の大事な財産や権利を扱う。でもそれ以前に、自分自身の“心のスペース”を守らないと、誰かの力にはなれないのだと、今なら胸を張って言える。