毎日がバタバタな理由を考えてみた

毎日がバタバタな理由を考えてみた

朝の静寂は幻か出勤前からすでにバタバタ

朝起きた瞬間から、なんとなく頭の中でToDoリストが回り始めている。目覚ましよりも早く目が覚めるのはもはや習慣で、身体が仕事のプレッシャーに慣れてしまっている証拠かもしれない。朝のコーヒーすらゆっくり飲む時間もなく、テレビのニュースはBGMと化し、気づけばスマホ片手に出勤準備。たぶん、静かな朝を感じたのはいつだったか思い出せない。

スマホの通知が一日の始まりを邪魔してくる

スマホの通知音が「おはようございます」の代わりになって久しい。大抵は前日のうちに済ませたはずの案件についての追加質問や、急ぎの依頼。「LINEで失礼します!」なんて書いてあるけど、もう失礼とかの話じゃない。早朝5時でも「相続登記の進捗はどうですか?」とメッセージが来ることも。通知を見なければいいと言われるが、無視して不安がらせるのもまたストレスなのだ。

依頼主からのLINEは深夜2時でも来る

以前、夜中の2時に「眠れないのでちょっと質問です」とLINEが来たことがある。さすがに寝ていたが、朝にそのメッセージを見てしまうと、なぜか罪悪感を感じてしまう。これは職業病なのか、性格なのか。返信せずにいられない自分に「またか」と思いつつ、結局朝の5時に返事を書いていた。世間が寝ていても、自分の業務時間は終わらない。

返信しないと不安にさせるし返信すると眠れない

返信しなければ相手は不安になり、返信すれば自分が不安になる。この悪循環に陥ると、もはやどちらを取っても正解ではないと感じることもある。ある意味、自己犠牲のバランスゲームだ。自分の睡眠と相手の安心を天秤にかけて、結局相手を取ってしまうのが自分の性なのかもしれない。

朝ごはんを食べてる時間がある人は神

朝食にパンとコーヒー、それをテーブルでゆっくり…なんて光景、夢のまた夢だ。現実はパンをくわえながら机の上の書類に目を通し、急いで着替え、印鑑を鞄に放り込む。「優雅な朝」なんて単語はこの職に就いてから消滅した。出勤時間ギリギリまで頭の中は仕事でいっぱいだし、何より、朝のエネルギーを摂るよりも優先されるのが“今日の段取り”なのがつらい。

パンくわえながら印鑑探してる自分

ある日、口にパンをくわえながら「あれ?認印どこだっけ?」とバタバタ探していたら、パンが落ちた。ついでに印鑑も見つからない。時間もない。結局、その日一日なんとなくうまくいかない気がして過ごした。こういう朝の小さなイライラが、静かに一日のパフォーマンスを下げていくのだ。

事務所に着いた瞬間からもう戦場

ようやく辿り着いた事務所でも、落ち着く暇なんてない。椅子に腰かける前に電話が鳴り、事務員さんが「先生、急ぎの件が…」と声をかけてくる。開業した当初は「自分のペースで働ける」と思っていたが、そんな幻想は早々に砕け散った。むしろ、他人のペースに振り回され続けるのがこの仕事なのだと、今では理解している。

とにかく電話が鳴る止まらない

午前中だけで10件以上の電話対応。中には同じ内容を3回説明することもあるし、「今すぐ来てほしい」という無茶ぶりも日常茶飯事だ。「電話くらいで何を」と思われるかもしれないが、この電話一本一本に神経を使って対応する必要がある。ちょっとした言い間違いや勘違いが、大ごとに繋がるのが司法書士の世界なのだ。

行政書士と税理士と不動産業者と金融機関が一斉に来る朝10時

なぜか皆が「午前中に伺います」と言うと、ピタリと朝10時に集結する。打ち合わせの予定が被るともうカオスで、「すみません、こっちが先に…」と順番待ちになる始末。事務所が一時、待合室のようになることもある。気を遣いながら話を聞いて、優先順位を瞬時に判断する、そんなスキルが自然と身についてしまった。

誰が誰の担当だったか一瞬でわからなくなる

あれ、この人は相続だったか、抵当権抹消だったか…。そんなふうに一瞬で分からなくなると、焦る。しかも顔を合わせると「覚えてますよね?」的な期待の眼差し。もちろん覚えていたいが、毎日何十人とやり取りしていると、脳の容量がオーバーする。結局、笑顔でうまくごまかす術ばかりが上手になっていく。

事務員がいても安心できない

事務員がいてくれること自体は本当にありがたい。しかし、完全に任せきりにはできないのが現実。結局、チェックや最終判断は自分がやる必要があり、「ああ、これは後で見なきゃ」と思ったものが山積みになっていく。事務員がいることで物理的な手数は増えたが、精神的な負担は逆に増えたのでは…と思うこともある。

ありがたいけど仕事量の根本解決にはならない

仕事を分担しても、全体の絶対量が減るわけじゃない。結果的に「確認作業」という新たな仕事が生まれ、むしろ神経を使う部分が増える。「人を雇えば楽になる」という幻想が、実はそうでもないことに気づいたとき、少しだけ心が折れたのを覚えている。

むしろ気を遣ってしまう自分に疲れる

事務員にも生活があるし、無理をさせたくないと思えば思うほど、頼ることに遠慮が出てしまう。「こんなことお願いしていいのかな」「残業させるのは悪いな」などと考えて、自分で抱え込む。それが積もり積もって、結局またバタバタになるのだ。自分の性格にも問題があるとは思っている。

それでも明日もバタバタを繰り返す理由

こんな毎日を過ごしながらも、仕事を辞めようとは思わない。むしろ、この“バタバタ”に身を置くことが、自分の生き方になっている気さえする。依頼主に感謝されたとき、問題が無事解決したとき、その一瞬の達成感に支えられている。地味で報われにくい仕事だけれど、たぶん、誰かの役には立てているはずだと信じている。

誰かの人生の一部に関われているという感覚

登記や書類作成といった“作業”のように見える仕事でも、その一つひとつが誰かの人生に直結している。大げさではなく、「この仕事がなかったら相続が進まなかった」「不動産の取引が止まっていた」といった場面に何度も立ち会った。小さな積み重ねでも、社会の歯車のひとつになっている実感は、何ものにも代えがたい。

感謝の言葉が時々刺さるように沁みる

たまに「本当に助かりました」と言われることがある。それが冗談抜きで数ヶ月に一度だとしても、その一言でまた数ヶ月はやっていける。自分の存在意義を確認できるような瞬間で、それがあるから辞めずにいられるのだと思う。

この仕事を続けている自分にちょっとだけ誇り

高校の野球部時代、練習がきつくて何度も辞めようと思った。でも今思えば、あの時の踏ん張りが今の仕事にも生きている気がする。バタバタな毎日でも投げ出さず、淡々と続けている自分を少しだけ褒めてもいいかなと思う。モテなくても、独身でも、誰かの役に立っているなら、それでいい。

しがない司法書士
shindo

地方の中規模都市で、こぢんまりと司法書士事務所を営んでいます。
日々、相続登記や不動産登記、会社設立手続きなど、
誰かの人生の節目にそっと関わる仕事をしています。

世間的には「先生」と呼ばれたりしますが、現実は書類と電話とプレッシャーに追われ、あっという間に終わる日々の連続。