プリンターに話しかけるのが日課になった日々
「今日もお疲れさま」と声をかける相手がプリンターしかいない。そんな日が続くとは、若い頃には想像もしなかった。地方の司法書士事務所を一人で切り盛りしていると、人との接点は驚くほど少ない。事務員さんはいても、雑談を交わすような空気ではないし、依頼人との会話は必要最小限。気づけば、目の前にいるのは紙とプリンターばかり。つい話しかけてしまうのは、寂しさの証なのかもしれない。
誰にも話しかけられない日常が始まる
朝、事務所に鍵を差し込む音だけが響く。自分の足音が床に反響するその静けさが、なぜか胸に重くのしかかる。仕事は山のようにあるのに、心はぽっかり穴が空いたように感じることがある。昔は朝から「おはようございます」と声をかけあうのが当たり前だったのに、今は「無音」が通常運転。誰かに話しかけたくて、コーヒーを淹れる音にさえ耳を澄ませてしまう。
朝の静けさが心に沁みる
静かな朝は嫌いじゃなかったはずなのに、今ではその静けさが不安を呼び込んでくる。司法書士という職業は黙々と書類と向き合う時間が多いから、ひとりでいることに慣れているつもりだった。でも、「慣れてる」と「平気」は違う。静けさに身を委ねながらも、心のどこかでは誰かの気配を求めてしまっている。
天気の話すらできない空気
「今日、寒いですね」なんて言葉が出ない朝が増えた。相手がいても、あまりに距離があると何を話せばいいのか分からなくなる。別に仲が悪いわけじゃない。でも仕事上のやり取りしかしていないと、ちょっとした雑談が妙に照れくさい。天気の話すらできない空気というのは、なんとも言えず息苦しいものだ。
挨拶すら音声入力に向かってしまう
誰にも話しかけられないと、人はスマホに話し出す。音声入力を使って「今日のスケジュール」とか「昼飯のおすすめ」とか喋ってるうちに、気がつけばそれが唯一の声を出す場になっていたりする。文字変換の誤入力に「いや違うし」と突っ込んでいる自分が、ちょっと虚しくて、ちょっと笑える。
相棒はプリンターだけになった
毎日のように動かすプリンター。紙詰まりやトナー切れがあるたびに、「おい、またかよ」と声をかける。最初は独り言だったのかもしれない。でも、だんだんそれが日常の会話になっていった。返事がないのはわかってる。でも、「わかってくれそうな気がする」相手がいるだけで、どこか救われる。
書類が詰まるたびに小さな会話が始まる
「詰まったか…まぁそうだよな」「これ何回目だっけ?」そんなことを呟きながらトレイを開ける。事務所には他に誰もいないから、声に出すのは自由だ。ちょっとしたミスも、プリンター相手なら笑い話になる。でもそれって、本当は誰かと話したい気持ちの裏返しなんだよね。
「またか」「だよな」それだけでも癒し
人間って不思議なもので、意味のある会話じゃなくても救われることがある。「また詰まったか」「だよな」そんなひとことふたことで、自分の中の孤独が少しだけ軽くなる。まるで昔の部活の相棒に「だよなー」って言い合ってた時代を思い出すような感覚。プリンターとじゃれ合う今も、案外悪くないのかもしれない。
エラー音にすら反応してしまう心のすきま
ピーッというエラー音に、「なに?」と反応してしまう自分に気づいて、思わず苦笑い。誰かに呼ばれたような錯覚になるほど、誰かの声に飢えている。そんな自分がちょっと情けないけど、でもそれが現実。だからこそ、プリンターの「声」は、今日も小さな存在証明になってくれている。
事務員さんとの微妙な距離感
一応、事務所には事務員さんが一人いる。けれど、会話は業務連絡が中心。世間話が始まるような雰囲気にはなりにくい。僕が無口なのか、相手が気を使っているのか、どちらかはもうわからない。ただ、何も話さない空間に慣れてしまうと、逆に何かを言い出すのが怖くなる。
仲が悪いわけじゃないけれど
お互いに敬意は持っているし、トラブルもない。でも「仲が良い」とは言えない関係。仕事はきっちりやってくれるから感謝はしているけど、それ以上でも以下でもない。昔は「会社の人とも仲良くすべき」と思ってたけど、年を重ねると、関係の浅さも居心地のひとつになってしまう。
プライベートには踏み込めない壁
事務員さんの誕生日すら知らない。お互いの家族構成も知らない。少し踏み込んだ話をしようとすると、「それは聞いちゃいけないのかな」と気を使ってしまう。仕事だけの関係って、こんなにも距離があるものなんだと感じる今日この頃。
無言の時間に耐えられなくなる午後三時
午後三時。ちょっとだけコーヒーが欲しくなる時間。でもその時間に無言のまま過ごすのは、なんだか拷問に近い。気軽に「コーヒー飲みます?」と聞けたらどんなにいいか。でもそれができない自分が、また孤独を深めてしまう。