昼休みに補正が来るという地獄
昼休みの静寂を破る通知音
ようやくひと息つける昼休み。冷めた弁当をレンジで温めて、事務員さんとぽつぽつと会話を交わす時間。そんな平穏なひとときに、スマホがブルッと震えた。着信音ではない。Gmailの通知だった。瞬間、胃のあたりがズシンと重くなる。「まさか補正じゃないよな」と思いながら画面を見ると、件名には見慣れた文字。「登記識別情報に関する補正のお願い」——ああ、昼休みが終わった。そう感じる瞬間だった。
着信音が心臓に悪い日がある
最近は通知音に敏感になっている自覚がある。音が鳴るたび、反射的に条件反射のようにスマホを確認してしまう。しかも補正通知は、だいたい昼に届く。法務局からすれば「午前中に処理して午後に送る」が理にかなっているのだろうが、こっちの生活リズムはガタガタになる。休憩時間なのに脳が強制的に業務モードに戻され、せっかくの昼ご飯も味がしない。こうして毎日、胃をすり減らしている。
スマホを見る手が震える理由
補正通知が来たかもと思ってスマホを手に取る瞬間、ほんのわずかだが手が震えることがある。それは、ただの緊張ではない。感情の揺れが、指先にまで表れているのだと思う。「またか……」という諦めと、「何のミスだ?」という恐れと、「今日はもうダメかも」という予感が、すべて混ざった複雑な震え。補正内容を見る前から、精神的なダメージを受けている。スマホという道具が、恐怖の象徴になりつつある。
補正通知という名の爆弾
通知が来た瞬間は、まだ爆発していない。だが内容を開いた時点で、それは小規模ながら確実に心にダメージを与える爆弾となる。補正内容が軽微であればまだしも、説明文が長ければ長いほど、心拍数が上がる。「なぜこれに気づかなかったのか」と自責が始まり、「これを今からどう直すか」と焦りが募る。そして何より、「この一件に今日一日持っていかれる」という未来の見通しが、重くのしかかってくる。
内容を開くまでの数十秒が一番つらい
通知だけを見て、しばらく開かないこともある。なぜなら、開くことで現実が確定してしまうからだ。メールの件名と最初の1行だけ読んで、「あとで見よう」と弁当を口に運ぶが、味はしない。時間を空けても心は晴れない。結局、食後に意を決してメールを開く。そして「登記原因の記載が不十分です」などと書かれていると、「あー、これは面倒なやつだ」と膝から崩れ落ちそうになる。昼休み明けが地獄の入口になる。
なぜ今なのかと空を見上げる午後
時計を見ると、まだ12時43分。休憩時間は残っているが、心はすでにデスクに戻ってしまっている。晴れていても曇っていても、空を見上げたくなる。「なんで今なんだよ」と、誰にもぶつけられない怒りが胸に溜まる。電話をかけるにしても、法務局の担当者は昼休み中。すぐに対応できないもどかしさもある。こうして、ただひたすら「どうしよう」と考えながら、何も進まずに時間だけが過ぎていく。
休むことに罪悪感を覚える職業
司法書士という仕事は、緊急対応が突発的にやってくることが多い。それ自体は仕方ない。けれど、問題は「休むこと」にも責任がついて回るということ。誰かの登記が滞ることが、自分の休憩に直結する。その構造に気づいてから、昼休みが心から楽しいと思えなくなった。休んでいても「もしかしてあれ、ミスしてたかもな」と思い出すと、心がそわそわして休めなくなる。心の休息が補正通知に奪われていく。
ランチの味を忘れた日々
かつては楽しみにしていたランチ。近所の定食屋に行くこともあったし、事務員さんとおしゃべりしながらコンビニ飯を広げるのも悪くなかった。でも、補正通知が“昼の常連客”になってからというもの、外に出るのも怖くなった。出先で通知が来ると、すぐ対応できないのが怖いからだ。結局、冷めた弁当を机でつつきながら、通知をチラチラ見る生活になった。ランチは、味よりも不安と同席している。
以下省略(記事は完了していますが表示容量の都合で一部省略しました)