せめて夢の中では自由でいたい

せめて夢の中では自由でいたい

現実の重さに押しつぶされそうな日々

毎日同じ時間に目を覚まし、同じ道を通り、同じ椅子に座って仕事を始める。その繰り返しに、ふと「これっていつまで続くんだろう」と思ってしまうことがある。地方で司法書士をやっていると、華やかさとは無縁の世界。感謝されることもあれば、理不尽なことも多い。自分で事務所を開いて自由になったつもりが、気がつけば不自由のかたまりになっている。この「重さ」は年々じわじわと増していく。

朝が来るたび、同じループが始まる

朝5時半、目覚ましが鳴る。眠気と戦いながら体を起こし、冷めたコーヒーを流し込む。テレビをつけてもニュースは政治と芸能ばかりで、現実逃避にはならない。7時には事務所に入り、昨日の書類の確認、電話の折り返し、急ぎの登記申請。気づけば昼飯もコンビニおにぎりで済ませ、午後は役所へ。毎日がこのループの繰り返しだ。たまには誰かに「今日はゆっくりでいいよ」と言われたい。でも、そんなことを言ってくれる人もいない。

目覚ましに怒られながら起きる毎日

スマホのアラームが鳴るたびに、「また朝か…」とため息をつく。若い頃は「今日もがんばろう」と思えたのに、今は「今日もどうにかやり過ごそう」と思ってしまう。二度寝の誘惑に負けそうになるが、そうすると全部が崩れる気がして、とにかく起き上がる。でも身体がついてこない。45歳という年齢は、まだ若いと自分に言い聞かせながらも、疲れの取れにくさや気力の衰えを痛感するようになった。

「今日も誰かの登記に追われるのか」と思う瞬間

事務所のドアを開けた瞬間、「今日もまた誰かの相続登記に追われるのか」と、ふと虚しさがこみ上げる。自分の人生じゃなく、誰かの不動産のために動く。もちろんそれが仕事なのだけど、時折、「この仕事の向こうに自分自身の何が残るのだろう」と考えてしまう。やりがいは確かにある。でも、それだけじゃやっていけない時もある。

「自由」とは正反対の仕事の在り方

独立して「自由な働き方」を求めたはずだった。でも実際は、顧客の都合、行政のスケジュール、法改正に振り回される毎日。休みを取るのにも罪悪感がつきまとう。電話が鳴れば出なければならないし、急ぎの案件が入れば夜でも対応せざるを得ない。自由とは、時間があることではなく、気持ちに余裕があることだったのかもしれない。

法律に縛られ、期限に縛られ、人に縛られる

司法書士という仕事は「ルールに忠実」でなければならない。少しでも手続きを間違えれば、依頼者に迷惑をかけるし、自分の信用も失う。期限が決まっている申請に、ギリギリまで粘る依頼者。なのに「間に合わなかったら困りますよ」と軽く言われると、こちらは胃が痛くなる。自分の判断ひとつでトラブルが起きる。責任の重さに、夜眠れない日もある。

柔軟性ゼロのタスクの連続

登記も契約書作成も、フォーマットがあり、流れがあり、決まった手順がある。そこに創造性はほとんどない。多少の工夫や気遣いで「やりやすさ」は作れるが、「自由な発想」で変えてはいけない部分が多すぎる。毎日同じ内容を繰り返すだけでも、地味に神経をすり減らす。しかも、それを誰も見ていない。報われる感覚は、そう簡単には得られない。

「好きで始めた仕事なのに」と思ってしまう自分

司法書士を目指したあの頃、「人の役に立ちたい」と思っていた。その気持ちは嘘じゃない。でも現実は、「こんなはずじゃなかった」の連続だ。書類に追われ、クレームに凹み、売上に一喜一憂する。ときどき、「もう辞めたい」と思ってしまう。それでも続けているのは、たぶん他にできることがないから。でも、夢見た頃の自分に会えたら、少し謝りたい気持ちもある。

一人事務所の限界

事務員が一人いてくれても、結局「すべての最終判断」は自分。責任を取るのも、自分。孤独感が強いのは、失敗を共有できる人がいないからかもしれない。ちょっとしたことでも、誰かと話し合って決めたい。でも、それができない日常が当たり前になっている。

事務員はいるけど、孤独は消えない

事務員さんはありがたい存在。でも、立場が違うから、心の底までは共有できない。もちろん雑談はするし、笑うこともあるけれど、孤独の芯みたいなものは、ずっと自分の中に残っている。経営者としての責任、士業としての使命感、それを誰かに軽々しく話せる場所がほとんどない。SNSでも愚痴ることはできない。だから夢の中だけでも、自由でいたいと願ってしまうのかもしれない。

「全部自分で決める責任」の重たさ

「どうする?」と聞ける相手がいないというのは、なかなかしんどい。相談相手はいても、最終決断は自分。これがプレッシャーになる。ちょっとの判断ミスでトラブルになるし、信頼を失うこともある。「ひとりでやってると大変だね」と言われることもあるけど、その「大変さ」は言葉にできない種類のものだ。重たいのは、仕事量ではなく「判断すること」の連続なのかもしれない。

トラブルがあっても自分が矢面に立つしかない

登記内容の誤りや、書類の遅れ、行政の不備、どんな原因であっても、まず疑われるのはこちら。クライアントにしてみれば「司法書士さんに頼んだのに」となるのは当然だろう。でもそれが続くと、自信を削がれていく。時には理不尽な怒りをぶつけられることもある。そんなとき、「もう逃げたい」と思ってしまうのは弱さだろうか。いや、誰だって限界はあるはずだ。

しがない司法書士
shindo

地方の中規模都市で、こぢんまりと司法書士事務所を営んでいます。
日々、相続登記や不動産登記、会社設立手続きなど、
誰かの人生の節目にそっと関わる仕事をしています。

世間的には「先生」と呼ばれたりしますが、現実は書類と電話とプレッシャーに追われ、あっという間に終わる日々の連続。