朝、鏡を見るのがつらくなった理由
最近、朝に鏡を見てもうつろな顔しか映らなくなった。目の奥が疲れていて、どこか焦点も合っていない。かつては、朝の身支度をしながら「今日は何があるかな」なんて少しはワクワクしていたのに、今はただのルーティン。顔を洗って髭を剃って、ワイシャツを着て。「誰かのために」動いているというより、「今日もどうにか一日を乗り切るため」に動いているような気がしてならない。これでいいのか? いや、よくない。でも何を変えればいいのかも、もうよく分からない。
毎日を回すだけの生活になっていた
朝から晩まで、仕事、事務作業、電話対応、役所まわり。日々は忙しい。忙しすぎる。でも、振り返ってみると、「何のためにこんなに頑張ってるんだろう」と思うことが増えた。若いころは、「依頼者のため」「社会のため」なんて理想を掲げていた。けれど、最近はタスクをこなすだけの作業員みたいな気持ちだ。何かが抜け落ちている気がしてならない。感情を持ち込まない方が楽なのかもしれない、そんな気さえする。
忙しいのに何もしていない気がする日々
日中はパソコンに張り付いて登記情報を処理し、夜は書類の見直し。スケジュール帳には予定がぎっしり。でも心は空っぽ。どれだけ案件を片付けても、「やった」という実感が湧かない。まるで砂をかき集めて山を作っているようで、次の波で全部流されてしまうような感覚。一件一件に向き合っているつもりでも、いつの間にか「効率よくこなすこと」だけが目的になっていた。
気づけば誰のためでもない仕事をしていた
この仕事のはじまりは、「困っている人を助けたい」という思いだったはず。でも今は、電話口で怒鳴られたり、無理な要望に対応したりしながら、「誰かのため」どころか「誰の期待にも応えられていないのでは」と思う瞬間がある。助けたい人の顔が見えなくなってきたのかもしれない。ただ黙々と手続きする自分。その手続きの先に誰がいるのか、最近は想像しなくなっていた。
誰かの役に立つって、どういうことだったっけ
この職業に就いたばかりの頃は、依頼者に「助かりました」「先生に頼んでよかった」と言ってもらえることが嬉しくて仕方なかった。ところが今は、その言葉もどこか響かない。自分の心がすり減っているのか、それとも感謝を素直に受け取れなくなっているのか。役に立ちたいという気持ちは確かにあったのに、その感覚が鈍ってきているのを感じる。まるで筋肉の感覚がなくなるように。
かつて感じていた感謝の重み
数年前、遺産整理の依頼を受けた高齢女性の方がいた。不安げに相談に来られ、書類の読み方も分からず、誰も頼る人がいない様子だった。丁寧に説明して手続きを終えたとき、目に涙を浮かべながら「先生のおかげです」と言われた。そのときの胸が熱くなった感覚、あれこそが「この仕事をしていてよかった」と感じた瞬間だった。でも、今その感覚がどこに行ってしまったのか、自分でもわからない。
あの依頼者の涙は、今でも覚えている
机に向かっていてふと、その方の顔を思い出すことがある。あれは、偽りのない感謝だった。何も返ってこない日々が続くと、あの涙の重みが際立って思い出される。自分も誰かにとって、そんな存在だったことがあるんだと、思い出せることがせめてもの救い。だけど、最近はあんなやり取りも減った気がする。人との距離感が、どんどん遠くなっている。
でも、それを思い出す余裕もなくなった
思い出すことで自分を鼓舞できたらいい。でも、現実は次々に押し寄せる業務に追われ、その余裕もなくなっている。「思い出してる場合じゃない」と、自分に言い聞かせてしまう。そしてまた、感情のない日常に戻っていく。気持ちを入れると疲れてしまうから、考えないようにしているのかもしれない。でも、その結果、心がどんどん無感動になっているのも感じる。
自分ばかりが損してるような気がしてくる
頑張っても、報われない。そう感じる瞬間がある。依頼者には感謝されず、役所には急かされ、時には理不尽なクレームも飛んでくる。真面目にやってるのに、なぜこんな扱いなんだと落ち込む夜もある。感情を出さないで淡々とこなしてる方が楽だけど、どこかで「こんなはずじゃなかった」と思ってる自分がいる。自分だけが疲れてるような、そんな気分になることもある。
感謝されない日々に心がすり減る
「ありがとう」の一言があるかないかで、気持ちはだいぶ違う。でも、司法書士という立場は、あくまで“裏方”。その存在をちゃんと見てもらえることは少ない。「やってもらって当然」という空気の中で、仕事をするのはしんどい。だんだんと、自分の存在が透明になっていくような感覚に陥る。そういう日々が続くと、「頑張ろう」と思える気力も、確実に削られていく。
頑張っても報われない現実
知識を磨き、丁寧に対応しても、うまくいかないときはうまくいかない。努力が結果につながらないとき、それでもやらなきゃいけないというのがこの仕事。結果がすべて、ではないとわかっていても、評価されない現実には堪える。実際、報酬も時間の割に少ない。見返りを求めているわけではないけど、せめて「意味がある」と思いたい。そうでなければ、やってられない。
それでも断れない自分がいる
「忙しい」と思っていても、「困っている」と言われたら、つい引き受けてしまう。無理だとわかっていても、他に頼る人がいないことが伝わってくると、どうしても断れない。優しさというより、断ることに罪悪感を覚えるタイプなのかもしれない。結局、疲れてるのにまた仕事を増やす。でも、たまに「助かりました」と言われると、その一言のためにまた動いてしまう自分が、なんだか情けなくて、でも嫌いになれない。