今日はただ何事もなく終わってほしいだけ

今日はただ何事もなく終わってほしいだけ

朝起きた瞬間から気が重い

目覚ましの音で目を覚ますと、まず「今日も仕事か…」と重い溜め息が漏れる。布団の中でしばらくじっとしている時間が日課になってしまったのはいつからだろうか。やらなきゃいけないことがあるのはわかっているのに、身体が動かない。こんな調子で一日をスタートさせると、それだけで精神力が半分削られているような感覚になる。

布団の中で考える今日のタスク

昨日のうちに立てたはずのスケジュールも、朝の時点で「やれる気がしない」と感じてしまう。今日は午前中に登記申請を二本、午後はお客さんとの面談、夕方には不動産業者との書類確認。全部予定通りに進めばそれでいいけど、そうならないのがこの仕事。布団の中でそんな未来を想像するだけで、起きるのがますます億劫になる。

予定表と現実のギャップ

スケジュール帳はいつもキレイに書いてある。でも、現実はそこに収まってくれない。10時に来る予定の依頼者が来ない、14時の電話が15時になる、そうやってどんどんズレていく。計画通りにいかない自分を責める気力も、最近はなくなってきた。ただ、誰にも迷惑をかけず終えられたらそれでいい、それが本音だ。

そもそも眠れなかった夜

昨夜もまた、眠れなかった。最近は夜中の2時3時まで頭が回ってしまって、ついスマホを眺めては何も得られず、ただ焦る。明日の面談内容、過去のミス、そして老後の不安。ぐるぐると考えているうちに朝になる。眠れない夜の先に、眠い朝が来る。体も心も、休まる時間が減っている気がする。

目覚ましが鳴るのが怖い

目覚ましは、まるで「戦場に行け」と言っているように聞こえる日がある。特に休み明けの月曜の朝。あの音が鳴るたびに、心臓がドクンと鳴って、動悸が激しくなる。小さなことかもしれないけど、それが続くと、立派なストレスになる。出勤前の1時間が、一日の中で一番しんどい時間だ。

気力が湧かない朝のルーティン

顔を洗って、スーツに着替えて、コーヒーを淹れて、車に乗る。このルーティンをこなすだけで「よく頑張った」と褒めてやりたくなる日がある。決して何かを成し遂げたわけではないけど、それでも今日という一日を始める覚悟を決めるには、この一連の動作が必要だ。

体より先に心が悲鳴を上げる

年齢のせいか、体の疲れよりも先に心が悲鳴を上げるようになった。特に理由もないのに、ふとした瞬間に泣きたくなる。何もかもが面倒になってしまう。でも事務員の顔を見ると、「自分が倒れたら終わりだな」と思って、何とか踏みとどまる。責任って、時に生きる鎖にもなる。

事務所に向かうだけでひと仕事

朝のルーティンを終えて事務所に向かう時間。家から事務所までは車で15分ほど。でも、その短い距離の間に、気持ちは何度も揺れる。行きたくない、でも行かないわけにはいかない。そんな葛藤が頭の中を支配している。

天気ひとつで気分が左右される

曇りの日は気分もどんよりするし、晴れの日は逆に外で働く人たちが眩しく見えて、自分だけが閉じこもっているような気がして嫌になる。雨の日は当然最悪だ。靴が濡れるし、車の運転も神経を使う。こうやって、天気ごとにメンタルが上下しているのが情けないとも思うけど、コントロールできない。

晴れた日は外に出たくなくなる矛盾

晴れていると「どこかに出かけたいな」と一瞬は思う。でも実際には、外の世界に出るのが億劫で、むしろ晴れの日こそ事務所に閉じこもっていたくなる。世間が活動的に見える日ほど、自分の内向的な気持ちが際立ってしまう。

車の中の沈黙が重たい

ラジオをつけるでもなく、音楽をかけるでもなく、無音のまま車を走らせていることが増えた。考え事をしているわけでもないのに、頭がいっぱい。信号待ちのたびに深呼吸をして、自分に「大丈夫だ」と言い聞かせている。そんな車内は、外の喧騒とは裏腹に、とても静かで、とても重い。

「おはようございます」に力がいる

事務所に入って、事務員に「おはようございます」と言う。その一言にも、時にはエネルギーが要る。何でもない挨拶のようでいて、心が疲れているときには、その言葉すら発するのがしんどくなる。

誰にも会いたくない日だってある

とにかく誰とも話したくない日がある。顔を見るのもしんどい。でも事務員がいる以上、無言ではいられない。適度な距離感を保ちつつ、最低限の会話を交わす。でも、その「最低限」ができないくらい落ち込んでいる日も、実はあったりする。

事務員との会話すらしんどい瞬間

うちの事務員は気が利くし、仕事も丁寧。でも時々、その気遣いが重たく感じてしまうことがある。もちろん感謝はしている。でも、こちらの心に余裕がないときには、ちょっとした声かけですらプレッシャーになってしまう。そんな自分がまた嫌になる。

ただただ静かに終わってほしい

トラブルもなく、クレームもなく、誰にも責められずに一日を終えられたら、それだけで今日は合格だと思っている。昔はもっと、目標とか、成長とか、そういうことを意識していたけど、今はもう「何も起きないこと」が最優先になってしまった。

何もなかった日が一番嬉しい

今日も無事に終わった。何も問題が起きなかった。電話が鳴らなかった。誰にも怒られなかった。それだけで嬉しいと思ってしまう自分を、少し情けないとも思う。でも、そうやって自分を保っている。きっとそれでいいのだ。

達成感よりも安堵感が欲しい

昔は「今日も頑張った」と思える日が好きだった。でも今は、「今日も何とか乗り切った」と思える日が欲しい。達成感よりも、無事に終わったという安堵感の方が大事になっている。そうやって、日々をつなぎとめている。

「今日も無事だった」と思える夜

夜、ひとりでテレビをぼーっと見ながら、「何もなかったな」とつぶやく。その瞬間こそ、今日一番のご褒美だ。誰にも迷惑をかけず、誰からも責められずに終われた日。それだけで、明日も何とか迎えられる。

それでも明日は来る

どれだけ「終わりたい」と思っても、明日は必ずやってくる。カレンダーが進む限り、やることはなくならない。でも、たまに「明日も何事もなく終わってくれ」と願ってしまう。贅沢な願いかもしれないが、心からの本音だ。

変わらない日々に潜む希望

同じような毎日の中でも、ごくたまに「今日は少し楽だったかも」と感じる瞬間がある。その小さな変化が、自分にとっての救いになることもある。希望なんて大げさなものじゃなくていい。気楽に過ごせた一日があれば、それで十分だ。

誰かのために頑張っている自分

依頼者のため、事務員のため、そして何よりも「誰かが困らないように」と思って、今日も仕事をした。自分のためではないけど、それでもその役割があるから、ギリギリ踏みとどまれている。そう思うと、少しだけ救われた気になる。

しがない司法書士
shindo

地方の中規模都市で、こぢんまりと司法書士事務所を営んでいます。
日々、相続登記や不動産登記、会社設立手続きなど、
誰かの人生の節目にそっと関わる仕事をしています。

世間的には「先生」と呼ばれたりしますが、現実は書類と電話とプレッシャーに追われ、あっという間に終わる日々の連続。