まだ終わってないの?と言われた瞬間、心が止まった。

まだ終わってないの?と言われた瞬間、心が止まった。

「まだ?」の一言が胸に刺さる日常

「まだ終わってないんですか?」。その言葉を浴びた瞬間、まるで心臓をギュッとつかまれたような気分になった。書類の山と格闘していた午後3時。誰にでもある会話の一部なんだろうけど、疲れていた僕には、まるで「無能」と言われたように聞こえてしまった。仕事の進みが遅いのは、必ずしも手を抜いているからではない。むしろ逆だ。慎重に、ミスがないように、神経をすり減らしながら進めている。なのに、その一言で全部を否定されたような気がしてしまうのだ。

想像よりも時間がかかる仕事、でも説明は難しい

司法書士の仕事って、外から見たら「書類を書くだけ」に思われがちだ。たしかに、パッと見はそうだろう。でも実際には、依頼者との面談で真意を探ったり、登記簿の内容を精査したり、複数の法務局とのやりとりが必要だったりする。しかも、法改正や実務の慣例の確認をして、慎重に判断を重ねる必要がある。こうした工程を一つひとつ丁寧にこなしていると、自然と時間はかかってしまう。でもその背景を一つひとつ説明しても、きっと相手には「言い訳」に聞こえてしまうのだろうな、と思ってしまう自分がいる。

「進捗どうですか?」がこんなに怖いとは

昔はそんなに気にならなかったはずの「進捗どう?」という一言が、今はプレッシャーとしてのしかかってくる。とくに、忙しいのに進んでいないように見える案件のときは最悪だ。別にサボってるわけじゃないのに、「進んでないですね」と言われると、まるで手を抜いているような感覚になる。あの言葉の裏には、「もっと早くやってよ」という無言の圧力がある気がしてならない。自分のペースでやりたいけれど、周囲の期待と焦りが絡み合って、心の中にモヤモヤが溜まっていく。

感情と論理の狭間で揺れる司法書士

僕らの仕事は「正確さ」が命。でも、感情という名の不安や焦りがそれを乱すことがある。早く終わらせたい、でもミスはできない。焦るとミスが起きる。そのスパイラルの中で、自分を落ち着かせるのが精一杯の日もある。感情を押し殺して仕事に没頭しようとするほど、心の中の不安が膨らんでいく。論理的に考えれば、「遅いけど確実」なほうがいいとわかっている。でも、その感情をうまく整理するのが、本当は一番難しい。

事務所の現実:一人の事務員とすれ違う空気

うちの事務所は小さくて、事務員は一人しかいない。仕事をお願いする立場として、彼女には本当に助けられている。でも、忙しさがピークになると、つい言い方がきつくなってしまうこともある。逆に、事務員側も僕の焦りに気づいて距離を置くような雰囲気になることもある。そんなすれ違いが積み重なると、空気がギクシャクしてくる。僕が黙って作業していると、余計に「機嫌が悪いのかな」と思われたりして、また悪循環に陥る。ひとつの言葉がきっかけで、関係が微妙になるのが本当にこわい。

「あの人まだ終わってませんよ」って言われたとき

ある日、他士業の先生とのやりとりで、「まだ終わってないんですか?って言ってましたよ」と事務員に軽く言われた。何気ない一言かもしれない。でも僕の中では、ドカンと何かが崩れた気がした。誰かに遅れていると思われていること。それが、まるで「仕事ができない人」だと評価されているように感じてしまったのだ。プライドが傷つくとか、そういう話ではない。ただただ、心がしぼんでしまう。これでも一生懸命やってるのに、って思ってしまう。

責任感の裏にある孤独と苛立ち

司法書士という仕事は、最終的な責任を背負う仕事だ。だから、どんなに事務員が優秀でも、判断をするのは僕。そこには常にプレッシャーがある。誰にも頼れない場面も多くて、結果的に「自分が全部やるしかない」と思い込んでしまう。その思いが積もると、苛立ちや孤独感がじわじわと襲ってくる。誰かに「頑張ってるね」と言ってほしい。だけど、それを言われることもなく、ただ責任だけが積み上がっていく毎日が続いていく。

何をしているのか、誰にも伝わらない

一日中働いていても、「で、今日は何をやったの?」と聞かれると答えに詰まる日がある。書類を集めて、確認して、依頼者に連絡して、登記を申請して…。それが当たり前になりすぎて、説明しにくいのだ。しかも、作業の半分は「待ち時間」や「確認作業」に充てられていて、目に見える成果が出ないことも多い。だけど、その見えない部分こそが、僕たちの仕事の根幹だったりする。伝わらないもどかしさの中で、自分の価値が見えなくなる瞬間がある。

「見えない仕事」に費やす膨大な時間

例えば、相続登記ひとつ取っても、戸籍を取り寄せるだけで何日もかかるし、相続関係説明図を作るには細かい確認が必要になる。しかも、一文字でも間違えば大きな問題になるから、何度も見直すことになる。そういう細かい作業が積み重なって、ようやく登記申請までたどり着く。でもそれを「ただの書類作成」と言われると、なんとも言えない気持ちになる。時間をかけた分、誇れるものはある。でも、誰にも見えないのがつらい。

説明すればするほど伝わらないもどかしさ

「いや、それにはこういう理由があって…」と説明しようとすると、相手の顔がだんだん「めんどくさそう」になっていくのが分かる。こちらとしては丁寧に説明しているつもりでも、相手には「長い」としか思われないこともある。それが続くと、もう最初から話す気も失せてくる。でも言わなきゃわかってもらえない。でも言っても伝わらない。そんなジレンマの中で、黙って作業に戻る日々が続く。

「プロなら早いはず」という無言の圧力

「さすがプロですね、早い!」と言われると嬉しい。でもその裏には「早いのが当然」という期待が潜んでいる。実際には、早い=正確ではない。でも、世の中の多くの人は、スピードこそがプロの証と思っている気がする。そのギャップにいつも悩む。安全運転をしているのに、後ろからクラクションを鳴らされているような気分になる。誰かの期待に応えるために、手を抜くことはできない。だけど、そのプレッシャーに心がつぶれそうになることもある。

それでもやらなきゃ終わらない

心が折れそうな日もある。誰にも分かってもらえないと感じることもある。でも、それでもやらなきゃ終わらない。依頼者が待っている限り、僕の仕事は止まらない。少しでも早く、少しでも丁寧に。そう思いながら、今日も机に向かっている。終わりの見えない書類の山の向こうに、感謝の言葉がひとつでもあるなら、それだけで少し救われる。

小さな達成感が、今日をつなぐ

ふとした瞬間、依頼者からの「ありがとう」が胸に沁みる。たとえそれが社交辞令だとしても、自分のやってきたことが誰かの役に立ったんだと感じられる。そんな小さな達成感を頼りに、僕は毎日をつないでいる。まだ終わってない。でも、終わらせようと頑張っている。それだけは、胸を張って言える。

疲れた心に少しだけ希望を置く場所

「なんでこんなに時間かかるの?」と言われたっていい。僕は僕なりに、丁寧にやっているつもりだ。誰かに責められるたびに落ち込むけど、そこで折れない自分でいたい。そんな自分を、たまには認めてやってもいいんじゃないかと思う。疲れた心の片隅に、ちょっとした希望があれば、それでまた明日も頑張れる。

しがない司法書士
shindo

地方の中規模都市で、こぢんまりと司法書士事務所を営んでいます。
日々、相続登記や不動産登記、会社設立手続きなど、
誰かの人生の節目にそっと関わる仕事をしています。

世間的には「先生」と呼ばれたりしますが、現実は書類と電話とプレッシャーに追われ、あっという間に終わる日々の連続。