書類の山に埋もれて、俺の人生はどこに消えた?――司法書士が立ち止まった日

書類の山に埋もれて、俺の人生はどこに消えた?――司法書士が立ち止まった日

目の前の“山”を見て、ふと立ち止まった瞬間

朝、事務所に来て最初に目に入るのは、昨日から積みっぱなしの書類の山。登記申請、不動産関係、相続、会社設立――山の種類もバラエティ豊かだが、どれも“今すぐやらないとまずい系”ばかり。ふと手を止めたとき、思った。「これ、俺の人生だったっけ?」と。気づけば、毎日を“処理”し続けているだけ。書類の山に自分の心も埋もれて、何を大事にしていたかすら曖昧になっていた。

処理しなければならないものばかりが積み上がる

書類には期限がある。依頼者には期待がある。そして“先生”には逃げ場がない。誰かが代わりにやってくれるわけでもなく、入力ミス一つで責任を問われる。そんなプレッシャーの中、書類は積まれる。しかも止まることなく、毎日必ず増えていく。処理能力が落ちた日は、翌日が地獄。頭の中のメモリが悲鳴を上げる日々に、ただ目の前の仕事をこなすロボットみたいになっていた。

自分の人生は、いつから“余白”に追いやられたのか

高校時代、深夜のラジオ番組に投稿しては「いつか作家になる」なんて夢を語っていた。大学でも、仲間と喫茶店で人生を語り合った。そんな時間はどこへ行ったのか。司法書士になった途端、“余白”が削ぎ落とされた。空いた時間に本を読むことも、誰かと他愛ない話をすることも、すっかり“贅沢”になってしまった。人生の大半が、証明書と印鑑の間で消費されていく。

「忙しい」は魔法の言葉だった

「最近どう?」と聞かれたら、決まり文句のように「いや、忙しいですよ」と答える。でもそれって本音だったのか。いや、便利な言葉だったのだ。“忙しい”という言葉の裏に、本当は「疲れてる」「不安だ」「ちょっと話を聞いてほしい」が隠れていた。でもそれを言う勇気がなかったし、それを聞いてくれる誰かが、周囲にいるとも限らなかった。

“忙しいふり”じゃなく、本当に忙しい現実

たしかに“ふり”ではない。本当に毎日遅くまで仕事をしていた。昼ごはんも抜き、法務局と取引先を何度も往復し、電話の鳴り止まない事務所で気力を削っていた。けれど、誰も見ていないところでは、自分でも思ってしまう。「なんで俺、ここまでしてるんだろう」と。理不尽な依頼に疲れ、確認ミスに震えながら、こなすことしかできなくなっていた。

でも、それは言い訳だったのかもしれない

ある日、事務所のデスクに突っ伏したまま、ふと考えた。「本当に忙しいだけなのか?」と。やりたいことができない理由を“忙しさ”のせいにして、実は何も選んでこなかったんじゃないかと。日々の流れに流されることは、考えなくて済む。だけど、それでは人生はただの“消化試合”になる。誰のせいでもない、選ばなかった自分の責任なのだ。

気づけば心の声を無視し続けていた

「もう休みたい」「ちょっとだけサボりたい」。そんな小さな声は、どこかで常に聞こえていたはずだった。でもそれを聞いてしまうと、崩れてしまいそうで、耳を塞いできた。心が擦り切れるのは、その声を無視し続けた結果だったと、今なら思う。結局、人は無理しても続かない。なのに自分だけは例外だと信じていたのが、間違いだった。

事務所という小さな世界に閉じ込められて

地方の司法書士事務所。外から見れば“堅実”とか“安定”とか言われる。でもその中は、小さな密室みたいなものだ。日々のやり取りも、顔を合わせるのは限られた相手。そこで起きるすべての問題を自分で処理しなきゃいけない閉塞感。孤独は声に出せないまま、じわじわと心を蝕んでいく。

一人雇っている事務員の存在がありがたい日もある

事務員さんの存在には、救われている部分も多い。黙っていても察してくれるときもあれば、雑談がちょっとした癒しになるときもある。でも、距離感も大事。こっちのメンタルが乱れている日は、その優しさすら重たく感じてしまう。無言の時間が長くなると、「自分、嫌われてるんじゃないか?」と勝手に被害妄想したりもする。

でも結局、全部の責任は自分にくる

事務所の名前は自分の名前。責任も失敗も全部、自分の看板に返ってくる。事務員がミスをしても、「先生がチェックしなかったから」と言われるのは日常茶飯事。組織が小さい分、逃げ場がない。そしてそのプレッシャーに耐えてることを、誰かが評価してくれるわけでもない。自己満足で保つしかないのが、なんとも虚しい。

専門職ゆえの孤独と、誰にも相談できない日々

司法書士という肩書は、時に孤独を強める。相談相手がいない。ましてや、弱音なんて吐けない雰囲気がある。何でもこなせる“先生”として振る舞っているうちに、気がつけば「誰かに頼る」という感覚が鈍ってしまった。

「先生」と呼ばれるたびに遠ざかる本音

「先生」と呼ばれるたび、ちょっと背筋を伸ばす。でも、同時に本音も引っ込む。相手が期待している“人格”を演じてしまうからだ。相談者の前では不安な顔も見せられず、親しみを込めた冗談も難しい。そんな積み重ねが、素の自分を押し殺すようになってしまった。

共感よりも先に、期待が寄せられるプレッシャー

相談者や取引先は、こちらに“解決”を求めてくる。共感やねぎらいよりも先に、「で、どうするの?」という目を向けてくる。その視線に応えるために必死になるけど、疲弊していくのも早い。自分の感情を押し殺してまで、期待に応え続けるのは、いつか限界がくる。

家に帰っても、誰にも話せない

独身の自分には、帰って話せる相手もいない。友人も、家庭を持った人ばかりになり、悩みの種類が違ってしまった。LINEも鳴らないし、電話もこない。帰宅してもただ風呂を沸かして、コンビニ弁当を食べるだけ。そんな生活に慣れてしまった自分が、少し怖い。

モテないのはさておき、話し相手すらいない

恋愛に関しては、もう語ることすらない。“先生”としての顔が、プライベートでの魅力になることなんて一度もなかった。気づけば、誰かに「今日、疲れたね」って言ってもらえるだけで救われるのに、その誰かがいない。話し相手がほしいだけなのに、それすらも手に入らない現実が、じわじわ効いてくる。

しがない司法書士
shindo

地方の中規模都市で、こぢんまりと司法書士事務所を営んでいます。
日々、相続登記や不動産登記、会社設立手続きなど、
誰かの人生の節目にそっと関わる仕事をしています。

世間的には「先生」と呼ばれたりしますが、現実は書類と電話とプレッシャーに追われ、あっという間に終わる日々の連続。