その一本で、全部ズレた。——予定を飲み込む“電話の魔力”

その一本で、全部ズレた。——予定を飲み込む“電話の魔力”

朝の段取りは完璧だったはずなのに

朝7時に起きて、コーヒー片手にスケジュール帳を確認。今日は珍しく予定がきれいにまとまっていて、これなら夕方には事務所を出られるかもしれない──そんな希望を抱いていた。しかし、予定というのは本当に儚い。司法書士の仕事は「予定通りに進まない」のが基本とはいえ、今日こそはと思っていた。毎日ギリギリのスケジュールを組んで、そこに電話が一本かかってくるだけで、すべてが雪崩のように崩れていくのだ。

スケジュール帳に書いた時間は幻想だった

一応、Googleカレンダーと紙の手帳の両方を使っている。色分けまでして「ここでこの案件」「ここで書類作成」ときっちり区切ってある。でも、その時間が実現する日はほとんどない。電話一本で、次に手をつけるはずだった案件のリズムが狂い、集中力が途切れ、最悪の場合は依頼者との信頼関係すら揺らぐ。段取りは無意味。まるでドミノ倒しの最初の一枚だ。

一人事務所、ひとつ崩れれば総崩れ

私の事務所は、地方の小さな一室。事務員を一人雇ってはいるが、彼女も電話応対には不安がある。結果、ほとんどの対応は私がすることになる。電話の内容次第で、その日の優先順位が変わる。優先順位が変わると、他の業務が滞る。すると、次の日に繰り越し──。この繰り返しで、気づけば一週間が飛ぶ。ひとつの揺らぎが全体を破壊する、この脆さにいつも怯えている。

かかってきたのは、あの依頼者からの一本

その日は午前中に法務局、午後は事務所で書類作成、夕方には久々の休憩を取る予定だった。なのに、午前10時にかかってきたあの一本で、すべてが崩れ去った。表示された名前を見た瞬間、胸がざわついた。「ああ、またこの方か……」。正直、何度も同じ説明をしている案件だ。

「ちょっと聞きたいことがあって」から始まる地獄

「あの、昨日の件なんですが……ちょっとだけ確認を」。その“ちょっと”が長い。まず昨日と同じ話を繰り返し、さらに「でもこういう場合はどうなるんですか?」と派生質問。しまいには「隣の家の人がこう言ってて…」と関係ない話まで広がる。電話での対応には限界があるが、強く遮ることもできない。結局、30分以上話し込んでしまった。

聞かれたのは昨日も説明した内容

その内容、実は昨日も同じことを説明した。しかも、メールでも文書でも渡してある。それでも「やっぱり電話で聞いた方が安心する」と言われる。説明するたびに、「あれ、オレ何回これ話してるんだ?」という虚しさが募る。仕事というより、何かの無限ループに放り込まれた感覚になる。

怒ってるのか不安なのかわからない相手の声

声色が曖昧で、怒っているのか不安なのかわからない。だからこっちも慎重にならざるを得ない。機嫌を損ねればクレームにつながる。でも、丁寧に応じていればこちらの作業は進まない。この板挟み状態が、本当にストレスなのだ。

「折り返してもらえますか?」の破壊力

「ちょっと出られなかったので、後ほど折り返してもらえますか?」──この一言のせいで、午後の予定は全滅した。折り返すだけならすぐ終わるだろう、という油断があった。でも実際には、折り返した先でまた「もう少しだけ」と言われ、また30分、1時間と時間が溶けていく。気づけば時計の針は夕方を過ぎている。

電話応対がすべてを止める

電話は“割り込み処理”の極みだ。集中して文書を作成している最中に鳴ると、一気に流れが断たれる。元の思考に戻るまで10分、場合によっては30分はかかる。依頼者との信頼を守るためとはいえ、自分の業務を犠牲にすることへの葛藤は年々強くなっている。

目の前の書類が進まない

一つの案件に集中して取り組みたい。でも、電話が鳴るたびに中断される。今やってる業務がどこまで進んでいたか思い出すだけで疲れる。タイムロスだけでなく、ミスにもつながる。「あれ?これ押印済んでたっけ?」という確認の繰り返しに、ため息が漏れる。

同じ説明を何度もする空しさ

「○○の場合はこうで…」という説明を、1日に何度も繰り返す。相手は毎回「なるほど!」と言ってくれるが、こちらは既視感との戦い。ときには、事務員にも「さっきも言ってましたよね?」と指摘される始末。まるで壊れたラジオみたいだな、と自嘲するしかない。

事務員には悪いが、正直あてにできない

事務員は一生懸命やってくれている。でも、電話の内容を正確に把握して、判断して、対応するには、やはり経験と知識が足りない。私自身が出た方が早い、そう思ってしまう。でもその判断が、結局自分を追い詰めていく。

聞かれても「わかりません」で終わってしまう

事務員に電話をお願いすると、たいてい「それは先生に聞かないと…」となる。結局私が出直し。これでは意味がない。教育すべきなのかもしれない。でも教える時間すら捻出できないのが現実だ。負のループから抜け出せない。

一人で全部抱えるしかない現実

気づけば「だったら自分で全部やる方が早い」となってしまう。でも、早くもないし、楽でもない。ただ、そうしないと仕事が回らない。すべてを自分で抱え込むことで、心も体もすり減っていく。何のために仕事してるのか、ふとわからなくなる瞬間がある。

出先での着信が心拍数を上げる

法務局での手続き中、車を運転中、コンビニで昼飯を買っているとき──どんなタイミングでも電話は鳴る。そして、取らないと不安が残るし、取ってしまうとその場の行動が止まる。鳴った瞬間、心拍数が上がる。もうこれは職業病かもしれない。

「法務局の窓口」VS「依頼者の着信」

一度、法務局の窓口で説明を受けていたとき、着信が鳴った。対応中の職員に「ちょっと失礼」とは言えず、電話も無視できず、結局その日は戻ってから再度訪問する羽目になった。効率の悪さに、情けなくなった。

一日を台無しにしたその電話、内容はと言えば…

「あの電話なかったら、今日中に書類提出できてたな」そんな後悔が積もっていく。でも振り返ると、あの電話の内容、重要ではなかったりする。たとえば「来週の天気ってどうですかね」なんて、雑談に近いことすらある。心の中では「天気予報士ちゃうぞ」とツッコミつつ、丁寧に対応するしかない。

「電話しないでください」とは言えないつらさ

電話対応が負担なのは明らか。でも「電話じゃなくてメールでお願いします」とも言いづらい。相手の不安を取り除くのも仕事のうち。だから結局、電話を受け続ける。そしてまた予定が狂う。いつまでこの循環が続くのか、不安になる。

冷たい人間だと思われたくない葛藤

突き放したら、感じ悪い司法書士だと思われる。それが怖い。でも、距離を詰めすぎると、何でも聞かれる存在になる。そのバランスがとても難しい。何が正解かわからないまま、今日もまた電話に出る。

でも、仕事の進行は遅れていく

依頼者との信頼関係を守ることと、自分の仕事を進めること。その両立は難しい。今はなんとかやっているけれど、いつかどちらかを失うんじゃないか。そんな不安が心に巣食っている。

電話対応の「見えない残業」

夜、風呂に入っていても「今日、あの方に折り返したっけ?」と気になる。休日も「万が一」を考えてスマホを肌身離さず持つ。電話が鳴らないだけで、幸せを感じるレベルになってしまった。これは働き方として正しいのか? そう自問する日々。

それでも、また明日も電話は鳴る

どんなに段取りを組んでも、どんなに前倒しで動いても、電話は止められない。けれど、その一本が誰かの不安を解消していることも事実。報われてるのかどうかはわからないけれど、少なくとも誰かの役には立っている。そう思い込むことで、明日もまた電話に手を伸ばすのだ。

しがない司法書士
shindo

地方の中規模都市で、こぢんまりと司法書士事務所を営んでいます。
日々、相続登記や不動産登記、会社設立手続きなど、
誰かの人生の節目にそっと関わる仕事をしています。

世間的には「先生」と呼ばれたりしますが、現実は書類と電話とプレッシャーに追われ、あっという間に終わる日々の連続。