小さな成功に喜べなくなってる

小さな成功に喜べなくなってる

「嬉しい」が鈍くなった日々

いつからか、自分の中の「嬉しい」が感じにくくなってきた。例えば、登記が無事に完了しても、「やった!」という気持ちが湧いてこない。昔は小さな達成でもテンションが上がっていたのに、今ではただ淡々と業務をこなしているだけのような気がしてならない。毎日が忙しく、依頼は次から次へと舞い込んでくる。その繰り返しの中で、喜びを感じる余裕すらなくなっているのかもしれない。

登記が通っても心が動かない

数年前までは、登記完了のメールが届くたびに「よし!」と声が出ていた。小さなガッツポーズもしていたと思う。でも、今は通知が届いても、「うん、次」と画面を閉じてしまう。書類不備がなかった、それだけでも本当は嬉しいはずなのに、なぜか心が動かない。依頼者のために頑張ってきたのに、その達成感すら感じられなくなっている。

以前ならガッツポーズしてたのに

新人のころ、法務局の補正がなく一発で登記が通ったときは、本当に飛び跳ねそうなほど嬉しかった。先輩に褒められたり、お客さんから「ありがとう」と言われるだけで、その日一日が幸せだった。でも今は、そういう言葉すら右から左へ流れていく。自分の中で「当たり前になってしまった」のだろうか。いや、それだけじゃない気もする。

お客さんに喜ばれても「ふーん」って思ってしまう

「助かりました、本当に感謝してます」と深々と頭を下げてくれるお客さん。昔なら「やっててよかった」と思えたはずなのに、最近は「ふーん、どういたしまして」と心の中でぼやいてしまう。もちろん表向きは笑顔で対応している。でも、心がついてこない。このままじゃまずいな、と思う反面、どうにもならない自分がいる。

喜びより「終わってよかった」が勝ってしまう

業務が終わったとき、真っ先に感じるのが「やっと終わった……」という疲労感。達成感というより、消耗感。特に難しい案件や、ややこしい相続の手続きが終わったときは、「もう二度とやりたくない」とさえ思ってしまう。かつてはこういう複雑案件にやりがいを感じていたのに、今はただ疲れるだけ。何かが変わってしまった。

達成感じゃなくて安堵感だけ

この前、数ヶ月かかった相続登記がようやく完了した。資料の収集も大変で、戸籍があちこちに散らばっていた案件。全体の流れをうまく組み立てて無事完了できたはずなのに、「やった!」じゃなく「はぁ、なんとか終わった…」が第一声だった。嬉しさよりも安心が先に来る。もしかしたら、それだけ精神的に追い詰められているのかもしれない。

小さな山を越えても次の山が見えてしまう現実

仕事が一区切りついても、すぐに次の案件が控えている。喜ぶ間もなく、頭を切り替えなきゃいけない。「山を越えた」と思ったら、その先にもっと高い山がそびえている。そんな感覚。毎日が「終わらない登山」みたいで、達成感を味わうタイミングすら見つけられない。そんな日々が続けば、そりゃあ喜べなくもなる。

司法書士という職業の「報われなさ」

司法書士は、目立たない。社会的にも地味な職業だ。でも、やっていることは重要だし、責任も重い。そんな中で、誰かに大々的に称賛されることもなく、淡々と業務をこなしていく日々に「本当にこれでいいのか?」と思うことがある。頑張っても報われてる実感が薄い、それが一番しんどいのかもしれない。

誰も見てない自己満足の世界

登記が無事に終わっても、誰かが褒めてくれるわけじゃない。法務局が「素晴らしい仕事です」なんて言ってくれることもない。すべてが“当たり前”として扱われる。だからこそ、自己満足で満足できないとやってられない。でもその自己満足すら感じにくくなってる今、モチベーションの保ち方がわからなくなってきた。

派手な結果が出にくい職種のつらさ

営業成績みたいに数字で成果が出るわけでもなく、SNSでバズるような仕事でもない。お客さんの生活にとって大事な仕事ではあるけれど、あくまで裏方。達成しても拍手は鳴らない。そんな仕事だからこそ、地味な成功に自分で「よくやったな」と思えなければ続かない。でも、それができなくなってきた。だからつらい。

ありがとうはもらえる、でも何かが足りない

「ありがとう」と言ってもらえることはある。感謝の言葉が嬉しくないわけじゃない。でも、心に響かないときがある。「このありがとうを、自分にどう返してあげればいいのか」わからない。もしかしたら、心が疲れ切ってしまっているのかもしれない。

言葉のありがたみを感じづらくなった自分

昔は、依頼者に「先生、本当に助かりました」と言われるたびに心が温かくなっていた。でも今は、言われても「うん、どうも」くらいにしか受け取れない。そういう自分が冷たい人間になったようで、ちょっと怖い。でも、それだけじゃなくて、きっと心が麻痺してしまってるだけなんだろうと思う。

心のキャパが擦り減ってるサインかもしれない

心から喜べないというのは、もしかすると「もう余裕がないよ」という自分からのサインかもしれない。忙しさに追われて、自分の心の声を無視してきた結果、ついに心のキャパが限界を迎えたのかもしれない。

昔より「嬉しい」に反応できなくなった背景

思えば、仕事を続ける中でいろんなことを我慢してきた。休日も少なく、時間に追われ、責任を背負いながら働いてきた。そんな生活が続けば、心がカサカサになって当然だ。感情の反応が鈍るのも仕方がない。むしろ、今まで頑張りすぎていたのかもしれない。

日々の疲れが積もり積もっているのかもしれない

心が疲れてると、何をしても楽しくないし、嬉しくもない。ただただ「義務」をこなすだけの日々になる。それが続けば、自分が自分でなくなる。そうなる前に、少し休んだり、立ち止まる勇気も必要なんだろう。

自分を褒めることができなくなってる

どんなに忙しくても、どんなに大変な案件を片付けても、「まあ、それが仕事だから」と片付けてしまう。それでは、自分に報酬が何も返ってこない。人に褒めてもらえないなら、自分で自分を褒めるしかない。でもそれが、なかなか難しい。

「これくらい当たり前」と思ってしまう癖

司法書士という職業柄、「完璧にこなすのが当たり前」という意識が根付いてしまっている。だから、少しの成果や努力を軽視してしまう。でも、それをやってる自分は本当はすごいはず。小さな成果でも、「よくやった」と声に出してみるだけで、少し心が軽くなるかもしれない。

回復のためにできることを探す

心が喜びを感じにくくなったときこそ、自分をいたわる行動が必要だ。完璧を求めるのではなく、少しでも「よかったな」と思える時間を増やしていく。その積み重ねで、また心が反応するようになるかもしれない。

自分を他人に置き換えて考えてみる

たとえば、同じように頑張ってる司法書士仲間がいたとして、その人が登記を完了させたら「すごいじゃん」って言うと思う。じゃあ、同じことをした自分にも同じくらいの評価をしていいはず。他人には優しくできるのに、自分には厳しいままなのは、やっぱりおかしい。

他人ならその成果を褒めるだろうか?

「他人だったらこれ、褒めてるな」と思うことはたくさんある。自分の成果を第三者目線で見て、「それ、頑張ったね」と言ってあげるだけで少し楽になる。完璧じゃなくていい、頑張ったことを認める。それだけで、気持ちが少し違ってくる。

あえて「小さな成功」を書き出してみる

一日の終わりに、ノートやスマホに「今日できたこと」を書いてみる。たとえば、「今日の案件、補正なしで通った」とか、「急ぎの依頼にすぐ対応できた」とか。それだけでも、自分の頑張りを可視化できて、心の整理ができる。

目に見える形で自分を肯定する練習

感情が動きにくくなってるときは、視覚的なアプローチが有効だと思う。紙に書き出して目に入る形にすることで、実感がわきやすくなる。小さな「できた」を積み上げていくことが、また自分に喜びを感じさせる第一歩になる気がする。

しがない司法書士
shindo

地方の中規模都市で、こぢんまりと司法書士事務所を営んでいます。
日々、相続登記や不動産登記、会社設立手続きなど、
誰かの人生の節目にそっと関わる仕事をしています。

世間的には「先生」と呼ばれたりしますが、現実は書類と電話とプレッシャーに追われ、あっという間に終わる日々の連続。