布団の中でため息をつくしかない朝に

布団の中でため息をつくしかない朝に

また朝が来た、それだけで疲れてる

朝、目が覚めるたびに思う。「ああ、また始まってしまった」と。別に特別つらい予定があるわけじゃない。ただ、いつものように、机に向かって、登記の準備をして、依頼者と連絡を取り、必要書類を整えて、法務局へ。そしてまた戻ってきて、次の案件。まるで終わりのないループを回っているような感覚に、正直うんざりしている。だから、布団の中で「今日は行きたくないな」とぼやきながら、ため息をひとつ。そんな朝が続いている。

心が先に起きてくれない

目は覚めているのに、心が布団に置き去りにされているような感覚になる朝がある。身体は起きていても、頭がついてこない。精神的なエンジンがかからないのだ。前日はそこそこ早く寝たはずだし、疲労もそこまでではないのに、やる気のスイッチが見つからない。まるで、見えない重りを背負わされたように、布団の外の世界が遠く感じる。このまま目を閉じてしまえば、誰にも会わずに済むのに、という逃避の衝動と毎朝格闘している。

目覚ましよりも先にため息が鳴る

6時にセットした目覚ましよりも、先に目が覚めることが増えた。でも、起きて最初にするのが伸びでもなくストレッチでもなく、「ため息」だというのが情けない。寝汗を感じながら、薄暗い天井を見つめている時間が、最近一番長く感じる。夢も希望も語れたはずのこの仕事に、何を求めていたのかすら忘れそうになる。若いころの自分が見たら、失望するかもしれない。

疲れは体より気持ちのほうに溜まっていく

毎日バタバタしているとはいえ、体力的にはまだ大丈夫な方だと思う。ただ、心のほうが限界を迎えかけているような気がしてならない。特に、地味で誰にも気づかれない事務作業が続く日は、誰かの「ありがとう」がないと本当に持たない。かといって、こちらから「がんばってるでしょ?」なんて言えるわけもなく、ひたすら黙って、粛々とこなしていく。目の前の一件一件に、どこまで自分を込めていけるのか、不安になる。

事務所のシャッターを開けるのが重い理由

事務所のシャッターを開ける瞬間が、地味につらい。「今日も一日が始まるな…」という現実を突きつけられるからだろう。誰もいない朝の静かな商店街を歩きながら、シャッターの前で深呼吸をして、ガラガラと音を立てて開ける。誰にも見られていないはずなのに、その動作ひとつに「気合い」が必要になる。たったそれだけのことに、エネルギーを使っている自分に気づくと、ますます自己嫌悪が募る。

やる気ってどこから来るんだっけ

司法書士としてのキャリアはそれなりに積んできた。でも、最近本当に思う。「やる気って、どこから湧いてくるんだったっけ?」と。昔は、依頼者の喜ぶ顔を見るたびにやりがいを感じていた。今もその感覚がゼロになったわけじゃないけれど、心から「頑張ろう」と思える日は減ってきた。何のために、誰のために、という問いに答える余裕がないまま、仕事に押し流されている。

モチベーションに頼れない日々

「好きだからやってるんでしょ?」と言われることがあるけれど、もはやそういう話ではない。好き嫌いでどうにかなる時期はとっくに過ぎた。生活のため、責任のため、続けざるを得ないという現実の中で、モチベーションなんて言葉は、どこか浮ついて聞こえる。ただ、機械のようにタスクをこなすだけの存在になっている気がして、ふと虚しくなる瞬間がある。

誰かの「ありがとう」だけで回ってる

依頼者の一言に救われることがある。登記が終わった後に、笑顔で「助かりました」と言ってくれる瞬間。それだけで、なんとか心のバッテリーが充電される。でも、それをもらえない案件が続くと、気力は枯れていく一方だ。結局、自分は他人の言葉でしか支えられていないのか、と情けなくなる。強くありたいのに、思っていたよりも弱い自分が、そこにいる。

事務員さんの「おはよう」でなんとか保ってる

一人雇っている事務員さんがいる。その方の「おはようございます」の声がなかったら、たぶんもっと精神的に危なかったと思う。些細な日常のやりとりが、今の自分にとっては大きな支えだ。無駄話ひとつ、愚痴ひとつで、救われることもある。ただ、「上司」として気を張らなきゃいけない立場である以上、弱音を全部見せるわけにもいかない。だからこそ、布団の中では吐き出しておくしかない。

どうして自分は司法書士になったんだろう

最近、ときどき思い返す。なぜ自分は司法書士になろうと思ったのか、と。あの頃は、「人の役に立ちたい」「社会に貢献したい」という正義感に燃えていた。今はどうか。その炎は、ちいさな火種だけを残して、灰になりかけているのかもしれない。それでも消えていないから、なんとか立っていられる。そんな気がしている。

志はあった。でも今は?

20代、30代の頃は、目標も夢もあった。開業したての頃は、毎日が不安と挑戦の連続だったけれど、それが生きがいでもあった。でも、今はどうか。ある程度落ち着いて、仕事は回るようになった。だけど、心がついてこない。志は、遠い記憶になってしまった気がして、寂しさを感じる。

「やりがい」って言葉に疲れた夜

世間でよく聞く「やりがい」という言葉が、最近は少し重たい。やりがいがある仕事って、結局は「やりがい」を餌にして労働力を搾り取るだけなんじゃないか、なんてひねくれたことまで考えるようになってしまった。誰かのために、なんてきれいごとは、正直なところもう通用しないと感じている。

夢見てたはずの独立が現実になると

独立したい、自由に仕事がしたい、と思っていたあの頃。それが現実になって十数年。たしかに自由にはなった。でも、その分孤独にもなった。責任はすべて自分。逃げ場はない。そんな現実の中で、夢の形はだいぶ変わってしまった。自由には、覚悟が必要だったのだ。

しがない司法書士
shindo

地方の中規模都市で、こぢんまりと司法書士事務所を営んでいます。
日々、相続登記や不動産登記、会社設立手続きなど、
誰かの人生の節目にそっと関わる仕事をしています。

世間的には「先生」と呼ばれたりしますが、現実は書類と電話とプレッシャーに追われ、あっという間に終わる日々の連続。