「正解」って誰が決めるのか?
司法書士という仕事をしていると、常に「これが正解だろうか?」という疑問と向き合うことになります。法律に基づいて行う業務である以上、明確なルールはあります。しかし、そのルールの中で最善の判断を下すというのは、実はとても曖昧で、状況によって答えが変わることが多いのです。経験があっても迷うし、自信があるときほど裏目に出ることもある。「正解」が見えない中で、毎日手探りで進んでいるような気分になる日が少なくありません。
迷いながらも決断し続ける日々
例えば、ある相続登記の相談で、相続人同士の関係が極めて悪く、話し合いがほとんど成立しないケースがありました。依頼者からは「なんとか早く済ませたい」と言われる一方で、他の相続人はまったく協力的ではない。手続きの方法はいくつかあるけれど、どれも一長一短。結局、私は一番穏便な方法を選びましたが、後日「もっと早く済ませられたんじゃないか」と言われてしまった。自分なりの「正解」だったけれど、それが他人の正解とは限らないことを痛感しました。
ベストではないかもしれないけど、今できる選択
司法書士はいつも完璧な正解を出せるわけではありません。依頼者の状況や感情、関係性、タイミング……さまざまな要素を考慮して、「今のベター」を探していくしかないんです。正解を求めるあまり、動けなくなるくらいなら、多少のリスクを覚悟してでも一歩踏み出す方がいいこともある。後から振り返って、もっといい方法があったかもしれないと思うこともありますが、その時点では自分なりに最善だったと思える選択をしてきたつもりです。
結果を見てからじゃないと判断できないのが現実
決断を下したその瞬間には、「これがベストだ」と信じて動くしかありません。でも、時間が経ち、結果が出てみて初めて「あれは良かったのか?間違っていたのか?」が見えてくる。そういう後出しのような評価に、毎回心がすり減るんです。依頼者から感謝されることもあれば、逆に小さな不満をこぼされることもある。「あの時、他の方法を選んでいたら…」という後悔はつきません。でも、それも仕事の一部だと思うようにしています。
どちらにも正解がないことが一番つらい
ときには、どの選択肢を選んでも、誰かにとっては「不正解」になることがあります。依頼者に寄り添いすぎれば、他の関係者に不信感を持たれるし、ルールを守りすぎれば、冷たい人間だと思われる。そういう「正解のなさ」に直面すると、自分の存在意義すら見えなくなってしまうこともあります。でも、それでも判断しなきゃいけないのがこの仕事なんですよね。つらいけれど、逃げられない重みを抱えて、毎日を過ごしています。
一人で抱え込んでしまう理由
事務所での仕事は基本的に私一人で完結します。もちろん事務員さんはいますが、責任はすべて私にかかってくる。「先生」と呼ばれるけれど、その呼び方の裏には、完璧であることを無意識に期待されているような圧力があります。その重圧のせいで、失敗を他人に話すことができず、ますます孤独を感じてしまいます。誰かに相談したい気持ちはあるけれど、「そんなことも知らないのか」と思われるのが怖くて言えない。自分で自分を追い込んでいるのかもしれません。
「先生」と呼ばれることの重圧
最初のうちは「先生」と呼ばれることに、少し誇らしさもありました。でも、年月が経つにつれ、それが重く感じられるようになりました。誰もが「この人なら大丈夫」と思って接してくる。その期待を裏切ることができないというプレッシャーが常にあります。ふとした瞬間に「本当に自分は先生にふさわしいのか?」と自問することが増えてきました。名前じゃなくて「先生」としか呼ばれない毎日が、どこか自分を不自由にしている気がします。
間違えられないという幻想
司法書士も人間です。間違えることもあれば、判断を誤ることもある。でも、依頼者から見れば「ミスしない専門家」であってほしいんですよね。その理想像と現実とのギャップが、自分を責める材料になってしまう。ちょっとした手続きの遅れや確認漏れでも、「やってしまった」と夜寝られなくなることがあります。本当はもっと気楽に構えていいのかもしれませんが、自分の性格的に、それがなかなかできないんです。
誰にも相談できない孤独
仲のいい同業者がいないわけではありません。でも、仕事の悩みを腹を割って話せる相手というのは、意外といないんです。特に、失敗談や不安をさらけ出すのは難しい。独立してしまえば、すべて自分の責任。愚痴をこぼす相手もいないまま、事務所に一人でこもって、悶々とする日々。そんな日が続くと、「これ、本当に続けていけるのかな」と思うこともあります。誰かに「それでいいよ」と言ってほしい、ただそれだけなんですけどね。
それでも、今日もやっていく
こんなふうに、毎日が迷いと不安と後悔の連続です。それでも、不思議なことに朝になると、なんだかんだでまた机に向かって仕事を始めている。完全に割り切れているわけじゃないし、正解が見えないままだけど、依頼者のためにできることを考えてしまう。自分のやっていることに意味があると信じたい、ただそれだけなんです。時にはしんどいけれど、それでも前に進むしかない。そんな気持ちで、今日もなんとかやっています。
正解じゃなくても前に進む
たぶん、正解なんてこの世にないんだと思います。あるのは「自分なりの答え」だけ。それを恐れずに出していく勇気が、司法書士には必要なのかもしれません。「間違えたかも」と思うことがあっても、それを正していける柔軟さがあればいい。失敗を重ねながらでも、少しずつ経験を積んで、より良い選択ができるようになると信じて進んでいきたい。完璧じゃないけど、真面目にやっているつもりです。
迷いながら積み重ねていくことの意味
完璧な日なんて一日もありません。あの手続きはどうだったかな、あの対応は良かったのかな、と毎日反省ばかり。でも、それも積み重ねだと思っています。何が正解かわからなくても、迷いながらも手を動かし続けることで、自分なりの経験値が積もっていく。たとえ今は報われなくても、いつか「あの時の判断が正しかった」と思える日が来ると信じて、これからも続けていこうと思っています。
「間違えてもいい」と思える自分になるために
本当はもっと、失敗に寛容でいたい。「間違えたっていいじゃないか」と自分に言ってやれたら、どれだけ気持ちが楽か。でも、それがなかなかできないのが現実です。それでも、少しずつでも「完璧じゃなくていい」と思えるように、自分をゆるしていけたら。正解にとらわれず、自分のペースで仕事を続けていく。その先に、少しだけ肩の力が抜けた自分がいることを、今は信じていたいと思います。