深夜2時、不安だけが机に残った
仕事を終え、ようやく一息ついた深夜2時。静まり返った事務所の中で、自分だけがまだパソコンの前にいる。その時間帯になると、ふと「このまま進んでいいのか?」「何のためにやっているのか?」という問いが頭をよぎる。目の前の書類は片付いても、心の中はいつも片付かないままだ。
眠れない夜に押し寄せる「このままでいいのか?」
たとえば登記の依頼が3件続いた日の夜。目を閉じると、今日のミスや言葉の行き違いばかりが思い出される。お客様からの感謝の言葉もあったはずなのに、なぜかそれは記憶に残らず、自分の至らなさばかりが大きくなる。そんな夜は決まって、眠れない。
同じことの繰り返しが、突然むなしくなる瞬間
登記、相続、成年後見、そしてまた登記。目新しいことはほとんどない。変わらない業務の中に、時折「何のためにやっているんだろう?」と感じる瞬間がある。淡々と続く毎日は、ある意味で安心だが、ある意味で空虚でもある。
司法書士という職業の「見えない孤独」
周囲からは「先生」と呼ばれ、頼られることが多い。でもその実、自分の悩みを吐き出せる相手はなかなかいない。専門家ゆえの孤独。これは意外と知られていない苦しさだ。
相談されても、相談できない立場
「これって大丈夫ですか?」と聞かれる側である以上、自分が迷っているとは言いづらい。事務員にも弱音は見せづらいし、友人に話しても専門的な話は伝わらない。結局、頭の中でぐるぐる悩みが回って、眠れない夜を増やしていく。
「先生」と呼ばれる違和感とプレッシャー
この「先生」という呼び方、最初はくすぐったかった。でも今では、重荷にも感じることがある。人は肩書きに期待するけど、その期待に応え続けるのはなかなかしんどい。特に自分自身が「全然完璧じゃない」と思っているときほど、そのギャップがつらい。
自分で選んだ道なのに、後悔の影がよぎるとき
独立して十数年。「自分で選んだ道なんだから」と言い聞かせてきた。でもふと、「他の道もあったんじゃないか」と思う夜もある。過去の選択に後悔はない、そう思いたい。でも、本音は…。
若いころ思い描いた「独立」と現実のギャップ
独立前は「自分のペースで働ける」「人間関係のストレスが減る」と思っていた。実際は、仕事のペースはお客様次第。人間関係は減ったが、その分、孤独も増えた。「自由」とは「責任と孤独の裏返し」だと痛感している。
思ったほど自由じゃなかった
カレンダーを自分で埋めてるはずなのに、気づけば予定はびっしり。誰かが倒れたら代わりもいない。自分が倒れたら、全部止まる。だから無理してでも動き続けるしかない。その結果、自由どころか縛られている感覚になる。
収入があっても、不安は消えない
ありがたいことに収入は安定している。でも、年々増える社会保険料や事務所維持費、老後のことまで考えると「足りてる気がしない」。お金がある=不安がない、ではないという現実に向き合っている。
事務所経営という「重さ」
自分ひとりでやっているわけじゃない。事務員を雇っているからこそ、生活を守る責任もある。嬉しさと重さが表裏一体だ。
人を雇う責任に、夜中ふと潰されそうになる
事務員に「この先も安心して働いてほしい」と思う気持ちと、「自分が倒れたらどうしよう」という不安がせめぎあう。責任感があるからこそ、気を抜けない。でも完璧ではいられない。矛盾だらけの心境に、何度も押しつぶされそうになった。
辞められないという呪縛
「もう疲れたな」「ちょっと休みたいな」と思っても、簡単に事務所を閉めるわけにはいかない。引き継ぎ先もなければ、代替も効かない。そうなると「辞めたいけど辞められない」という状況が、どんどん心の重石になっていく。
もし今から辞めたら、どうなるのか
何度も頭の中でシミュレーションする。「辞めて別の仕事をしたら?」「いっそ完全に引退したら?」でもその答えは、いつも出ない。
生活の不安と「肩書きを失う」恐怖
収入がゼロになるわけではないかもしれない。でも「司法書士」という肩書きがなくなることで、自分の存在価値まで失うような気がする。そんな漠然とした恐怖が、また夜の眠りを遠ざける。
リセットなんて簡単にできない現実
「新しい道を選べばいい」と言う人もいる。でも、この年齢になって、今さら何を? 貯金も家族も、生活スタイルも含めて、すべてを変えるのは簡単ではない。変わることのほうが怖く感じてしまう。
同業者のSNS投稿が地味に刺さる
最近は司法書士の若手もSNSで情報発信をしている。キラキラした投稿を見るたびに、自分は何をやってるんだろうと落ち込む。
成功アピールの裏にある「焦り」
「月商○○万円突破!」「○○件受任しました!」そんな投稿が目に入るたびに、焦る。でも、その裏にある努力や苦しさは見えないし、見せない。なのに勝手に自分と比べてしまって、勝手に落ち込む。
本音を吐ける場がない苦しさ
仲間はいる。でも、本音を語れる仲間は少ない。「最近、しんどいんだよね」と言ったら「何かあったんですか?」と構えられる。そうじゃなくて、ただしんどいだけなんだよ、って言える場所があればいいのに。
それでも踏みとどまっている理由
こんなに不安や愚痴があるのに、なぜまだ続けているのか。それには理由がある。
誰かの「ありがとう」に救われる瞬間
登記完了後に「助かりました」と言われた瞬間、すべてが報われる気がする。形式的な言葉じゃなく、心から出た言葉を聞くと、「この仕事をしていて良かった」と、ほんの少し思える。
「向いてない」けど「嫌いじゃない」
向いてないと思うことは多い。でも、嫌いではない。苦しさの中にも、やりがいや楽しさがある。それが、やめられない一番の理由かもしれない。
この気持ちはあなただけじゃない
もし、今これを読んでいるあなたが、同じように悩んでいたとしたら、それはあなただけじゃない。実は、みんな同じような気持ちを抱えている。
同じように悩む司法書士は、きっといる
普段は言わないだけで、「しんどい」と感じている司法書士は多いと思う。会えば元気に見えても、裏では胃薬を飲んでいる人もいる。そんな仲間がいると思うだけで、少しだけ心が軽くなる。
交流会では見えない「本音」
飲み会や勉強会では明るく振る舞う。でも本当は、心の奥に溜め込んでいるものがある人は多いはずだ。だからこそ、このコラムが「自分だけじゃない」と思ってもらえるきっかけになれば嬉しい。
孤独な専門職のリアル
司法書士は孤独な仕事だ。誰にも見られず、誰にも気づかれず、誰かの人生の節目に立ち会っている。その重みと静けさの中で、孤独を抱えながら働いている。
不安と共に歩くという選択
完璧な道なんてない。不安をゼロにすることもできない。でも、それでも歩くことはできる。
「正解」がなくても前に進むしかない
「これで正解だったのか?」と自問するたび、答えは出ない。でも、目の前の仕事に一つひとつ向き合う中で、少しずつ自分なりの答えが見えてくるかもしれない。そう信じて、今日もパソコンの電源を入れる。
夜中にだけ現れる、本当の自分との対話
昼間は忙しくて、自分の気持ちと向き合う暇もない。でも、夜中は違う。静かな時間にだけ現れる、自分の本音。その声を無視せず、ちゃんと聞いてやること。それも、自分を大事にする一つの方法だ。
最後に、午前2時の自分へ
毎晩、迷いながらも仕事を続けてきた自分へ、ひと言だけ伝えたい。「今日もよくやった」。それだけでいい。それ以上の言葉は要らない。
それでも、今日も仕事は終わらない
明日もまた、書類は山積みで、電話も鳴る。でも、今日よりちょっとだけ、気持ちが軽くなっていたら、それで十分だと思う。
でも、たぶん…それでいいのかもしれない
完璧じゃなくていい。悩みながら、不安を抱えながらでも、続けていくことができる。それが、司法書士という仕事の本質なのかもしれない。