出会いの履歴を探しに法務局へ行った男の話
「おかしいな……」
僕は昔の写真を見つめながら唸っていた。色あせたその写真には、見覚えのある女性と、過去の自分。なぜ彼女の名前を忘れてしまったのか、それが気になって仕方がなかった。元野球部の直感が告げていた。「これは、ただの忘却じゃない」。
そして気づいた。登記簿にはすべてが記録される。だったら、あの出会いも、どこかに残ってるんじゃないか?僕は思い立って、法務局へ向かった。
きっかけは一枚の古びた写真だった
サザエさんで言うところの、波平さんがカツオの成績表を見つけた時の顔を思い出してほしい。あの、眉間の皺。僕の顔もあんな感じだった。なにせ、自分の人生の一部が曖昧なのだ。
登記簿に名前はあっても思い出はない
法務局で取り寄せた登記事項証明書。住所、氏名、地番、構造、面積……全てが整然と並んでいる。でも、どこにも「出会い」なんて書いていない。当たり前か。出会いに「用途地域」も「床面積」もない。
そもそも法務局とは何をするところなのか
不動産の情報は手に入る
ベテラン窓口職員の男性が教えてくれた。「法務局は不動産の所有者や変遷を確認できる場所なんです」。まるでコナンくんばりの名推理のように明快だった。そこに「人の心の履歴」は存在しない。
所有者の名前も過去の変遷も確認できる
○○が平成17年に取得、その後△△に所有権移転――そんな情報は載っている。でも、そこに誰と出会って、どんな会話を交わしたかは、記録されていない。
だが心の変遷までは載っていない
彼女とのあの瞬間も、あの笑顔も、どこにも残っていなかった。たとえば、それがどれだけ自分に影響を与えたかなんて、登記の世界では関係ない。
「出会い」には登記事項証明書が存在しない
思い出は記録されないから美しいのか
今思えば、記録に残っていないからこそ、心の中で色褪せないのかもしれない。そう言い聞かせながらも、僕はちょっとだけ、登記できたらよかったのに、と思った。
記録されないから忘れたくないだけかもしれない
僕はその写真をもう一度見つめた。名前も思い出せない彼女の笑顔。なぜだろう、涙が出そうになった。
サトウさんの冷静すぎるひと言
「それはGoogleフォトで探すものです」
事務所に戻ると、サトウさんが聞いてきた。「何しに法務局行ったんですか?」
「出会いの履歴を調べに行った」
「……は?」
彼女は間を置かずに言った。「それ、Googleフォトで探すものです」
紙の証明と心の証明は違う
「まったく、最近の若いもんは冷静すぎていかん」と思いつつ、彼女の言葉は妙に刺さった。紙に残る証明と、心に残る証明。それは別物なのだ。
それでも司法書士は人の記録を扱う仕事だ
過去を見届ける者としての役割
僕たち司法書士は、法的な記録を正確に残すことが仕事だ。だけど、そこに人の想いや、笑顔や、孤独は書かれていない。あっても、せいぜい「代理人:妻」くらいなものだ。
だが私の過去には誰も立ち会ってくれなかった
あのとき彼女が何を思っていたか、僕が何を伝えたかったのか。それは、登記どころか、誰にも見届けられていない。
やれやれ、、、
僕はデスクに置いた写真をそっと引き出しにしまった。明日は決済立ち会いが2件。過去より、今日を処理する方が、今の僕には重要だ。
「ところで先生、その写真、私じゃないですよね?」
「違う違う。お前じゃもっと忘れられんわ」
「は?」
やれやれ、、、また地雷を踏んでしまった。