FAX届いてませんと言われた朝の冷や汗
朝一番にかかってきた電話の第一声が「FAX届いてないみたいなんですけど」だったときの、あの嫌な汗の出方はなかなか忘れられません。自分では送信したつもりなのに、届いていないと言われると、まるで自分の存在を否定されたような気持ちになります。そんなときに限って、こちらもバタバタしている最中で、電話越しのその一言が、頭にズシンと響く。機械のせいか、自分のミスか、それとも……と考える暇もなく、対応に追われる午前中の始まりです。
確かに送ったのにどうしてこうなる
送信履歴は残っている。確認もした。でも相手には届いていない。FAXのこの不確かさが、毎度のように精神を削ってくるんです。たとえるなら、確実にホームランを打ったはずなのに、フェンスの手前で落ちたみたいな感覚。こっちは「行った」と信じてる。でも相手からすれば「来てない」が現実。それをどう埋めるのか。ここで「いや、送ってますけど」と言えば角が立つし、「すみません、再送します」と引けば自分が全部背負うことになる。この理不尽な心理戦が、地味に効いてきます。
受け取ってないと言われた側の心情
「FAX届いてない」と言われると、自分の信用まで一緒に剥がされるような感覚になります。こっちは真面目に仕事してるつもりだし、確認もしてる。にもかかわらず、相手の「受け取ってない」一言で、こちらの信頼度が下がったように感じてしまう。なんだか、自分の存在が軽く見られているような、そんな虚しさ。ああ、これがまた今日も始まるのか、と気持ちが沈んでいく。まるで試合前に雨が降ってきて、ぬかるんだグラウンドに足を取られながらプレイするようなものです。
原因調査で得られるものと失うもの
FAXの不着トラブルが起こるたびに原因を探るんですが、だいたいは「原因不明」という結末に至ります。こっちの送信機も正常。向こうの受信機も故障してない。なのに、なぜか届かない。となると、もう疑心暗鬼になって、何を信じればいいのか分からなくなる。しかも、調べたところで状況は変わらず、ただただ時間とエネルギーを消費するだけ。信頼回復という目に見えない重荷を背負わされて、なんとも報われない気持ちになります。
回線エラー紙詰まり送信ミス可能性は山ほど
原因候補は山のようにあるんです。電話回線の不調、受信機の紙詰まり、番号の誤入力、電波の干渉……。だけど、どれも決定的じゃないし、こっちがいくら調べても「真実」は見えない。結果として「再送しますね」で終わることがほとんど。これはもう、推理小説でトリックを解いたのに読者に信じてもらえないような、そんなやるせなさ。確認しても疑われ、送っても届かず、まるで報われない探索ゲームです。
でも相手はそっちのミスと思ってる
こちらがいくら丁寧に調査しても、相手の受け止め方は冷静です。「まぁ、そっちでなんかあったんでしょう」みたいな感じ。言葉には出さないけど、声のトーンで分かる。「またこの事務所か」と思われてないか、心配になる自分が嫌になります。元野球部だったころのように、チーム全体のミスを一人で背負うような、あの感覚が蘇ります。誰かが落としたボールを、自分が取りに走る。でも、試合は止まらない。そんな焦燥感です。
小さな信頼がじわじわ削れていく現実
FAX一通で信頼が失われるとは思いたくないけれど、現実は違います。人間の記憶なんてあいまいなもので、「あの事務所は前にもFAX届いてなかったな」と、過去のイメージだけが蓄積されていく。それが、次の依頼の際に「別のところに頼もうかな」という判断に繋がることだってある。だからこそ、この一件一件が重いんです。FAXを再送する手間以上に、信頼を削られる恐怖の方がよほど疲れるんです。
再送って一言がなぜこんなに重いのか
「すみません、もう一度送りますね」この一言に、どれだけの感情が込められているか分かってもらえないことが多いです。単にデータをもう一度流すだけ、と思われているけれど、こっちはすでに一回送っている。その努力も確認も無かったことにされて、もう一度やり直すことになる。そのたびに、自分の仕事の価値が少しずつ薄まっていく気がします。誰かに「それ、分かる」と言ってもらえるだけで少しは救われるのに。
手間よりもメンタルへのダメージ
再送の操作自体は簡単です。ボタンひとつ押せばいい。でも、その「もう一度送る」という行為が、自分の中で自尊心を削っていく。「ああ、自分の仕事は信用されてなかったんだな」「ちゃんとやったのに、意味なかったんだな」そんな風に思ってしまう。仕事は機械的にこなせても、心の中に積もっていく疲れは見えない。これはもう、草野球でエラーしても誰も責めない代わりに、ずっと自分の中だけで責め続けてる感じです。
また信用を取り戻すための説明が始まる
再送の前に、「先ほどはお手数おかけしてすみません。こちらでは送信済みだったんですが、念のため再送いたします」といった説明が必要になります。この一言がまた重い。「ミスしました」とも言ってないけど、「こちらの非」っぽく聞こえるように言わなきゃならないバランス感覚。まるで、審判に文句を言わずに納得させるキャッチャーみたいな技術が求められます。でもこちらは元捕手じゃない。普通の司法書士です。
そしてまた今度は届いたようですの虚無感
ようやく相手から「届きました、ありがとうございます」と連絡がくる。その瞬間、心に広がるのは安堵ではなく、虚無感です。「それなら最初から届いてくれてれば…」とつい思ってしまう。頑張ったことが評価されず、当たり前のように終わっていくこの感じ。勝っても誰も喜ばない試合のようで、次第にやる気も摩耗していく。こんな日々を重ねながら、今日もまた同じ業務が始まるのです。
同じような経験をした人へ伝えたいこと
もしあなたが、同じように「FAX届いてない」と言われて気持ちが沈んだ経験があるなら、それはあなただけじゃないということを伝えたい。きっと多くの人が同じように、小さなやり取りの中で傷ついたり、疲れたりしてる。誰にも見えないところで、黙って頑張ってる人たちがいるというだけで、少し救われる気がします。大きな成功よりも、そんな小さな共感こそが、日々を支えてくれるのかもしれません。
自分だけじゃないということを忘れないで
この仕事をしていると、孤独を感じることが多いです。特にミスでもないのに謝らなきゃならない場面が続くと、自分の存在意義すら見失いそうになります。でも、そういう思いをしているのは自分だけじゃない。同じように頑張っている人がいて、共感し合える場があるなら、それだけで一歩前に進める気がします。この文章が、そんな誰かの「分かるよ」のきっかけになれば、それだけで今日は少し楽になれそうです。