試験勉強のあの苦しさがむしろ優しかった
司法書士試験の勉強をしていた頃、あれほど辛かった記憶が、今ではなんだか懐かしくすら感じる。それくらい、実務に出てからの方が精神的にも肉体的にもキツい。試験勉強はある意味、自分との戦いだった。でも、実務は他人との調整、予定外のトラブル、書類の山、電話、クレーム、もう全部入りだ。学生時代、真夏のグラウンドでノックを受けていた頃を思い出す。あの時も「無限か」と思うほど打球が飛んできたけれど、今のほうが心が折れそうになる。
実務の洗礼を受けたあの日
開業して間もないある日。依頼人からの登記手続きで、書類の一部に不備があり法務局で補正を求められた。それ自体はよくあることだが、その時に限って先方のスケジュールがシビアで、しかも相手方の担当者がやたらに細かく厳しいタイプ。書き直して、電話して、郵送して、確認して、それでもなお詰められる。まるでエラーのあとに即もう一球、同じところに打ち込まれてくるあのノックの感覚に似ていた。心が疲弊した。
依頼人の一言に凍りついた朝
「先生、それでちゃんと終わるんでしょうね?」そう言われた瞬間、血の気が引いた。もちろんミスを出したのはこちら。でもその一言のプレッシャーたるや。高校時代、キャッチャーとしてピッチャーの制球難をリードでカバーしていたあの感覚に似ている。いや、あの頃はまだ信頼関係があった。でもこの仕事、信頼がゼロになった瞬間に全部が崩れる。朝から胃が痛くなることが、現場にはたくさんある。
机上の知識が役に立たない瞬間
試験勉強で覚えた条文も判例も、現場で突然「なんの役にも立たないな」と思うことがある。なぜなら、現場には人間の感情があるから。論点や形式じゃ片付かない。言葉の選び方一つで感情がこじれるし、事務の手順一つで信頼を失う。試験では問われなかった気配りや気遣いこそが実務では必須。これは、ルールブックでは勝てなかった野球の試合にそっくりだ。
試験合格はゴールではなかった
合格証書を手にした瞬間、「これで報われた」と思った。でも、その気持ちはわずか数週間で打ち砕かれた。開業してすぐに実感したのは、「何も知らないまま放り込まれた」感覚だった。机上の合格とは、実務のスタートラインに立っただけだったのだ。しかもそのスタート地点には、誰もチュートリアルを用意してくれていなかった。
開業してからが本当のスタート
司法書士という仕事は、自分が看板であり責任者であり、雑用係でもある。開業した瞬間から、すべての決断を自分でしなければならない。相談相手もいない。野球部で例えるなら、監督もキャプテンも自分。しかも部員は一人だけ。バッティングピッチャーからボール拾いまで全部自分でやるようなもの。最初の一年はそれだけで毎日ぐったりしていた。
一人で抱える重圧と孤独
誰にも相談できず、失敗をしても全部自分でかぶる。そのプレッシャーは想像以上だった。夜中に一人で反省して、次の日の朝には笑顔で対応する。これは、野球部のグラウンドでエラーをしても黙って走らされるのと似ている。でも当時と違うのは、「怒ってくれる人がいない」こと。孤独って、案外こたえる。
現実は連続ノックとエラーの毎日
実務の現場では、次々に問題が起こる。どれも小さなミスかもしれないが、それが重なると大きな負担になる。ノックを永遠に受け続けるような日々だ。しかも、たまに来る大きな打球は、心のど真ん中を突いてくる。ボールを拾う気力すらなくなる日もある。
次から次へと来る書類と電話
電話が鳴る。FAXが届く。書類が山積みになる。チェックするつもりの登記申請書が、目を通す前に別の緊急案件が飛び込んでくる。そんな日が何日も続く。気がつけば、スケジュール表が真っ赤になり、昼飯を買いに行く時間すら取れない。自分で時間を管理するはずの仕事なのに、いつのまにか時間に追われるだけの日々になっていた。
気づけば昼飯抜きが当たり前
あまりに忙しくて食事を忘れることが増えた。食べたと思ったら夕方。しかも立ったままパンをかじるだけ。そんな日が増えてくると、なんだか「自分って何のために働いてるんだっけ」とふと思う。グラウンドで水も飲めずにノックを受け続けてたあの日々を、まさかこんな形で再体験することになるとは思わなかった。
元野球部でも拾えない打球がある
正直、若い頃に培った精神力と体力には自信があった。でも、それを上回るものが実務にはあった。それは、「人との関係性」だ。どんなに体力があっても、心が疲れる打球には立ち向かえない。元野球部といえども、毎日精神的に打たれ続けたら、さすがに膝もつく。
感情労働という見えない敵
法律の専門家としてだけでなく、時にはカウンセラーのように、時にはクレーム対応の窓口のように振る舞う必要がある。相手の言葉に傷つくこともあれば、無理な要求に振り回されることもある。でも誰にもそれを話せないのがこの仕事のつらさだ。見えない敵との戦いは、実は一番キツい。
実務がきついと感じた理由を冷静に分析してみた
感情に任せて「もう無理」と思う日もあるけれど、それだけじゃもったいない。自分がなぜきついと感じているのか、冷静に考えてみると、少しずつ整理されてきた。それは、優しさや真面目さ、責任感が強いからこそ自分で自分を追い詰めている部分もあるということだ。
精神的な負荷と向き合う方法
一番効果があったのは「愚痴を文字にする」ことだった。誰かに話せないなら、せめて書く。ブログでも、手帳でもいい。言葉にすると、なんだか少し楽になる。元野球部の頃も、夜の帰り道に仲間と愚痴を言い合っていた。それが心のリセットだった。今、それを文字でやっているだけだ。
優しさが仇になることもある
本当に多い。優しく対応しようとした結果、逆に相手に甘えられたり、負担が倍増したりする。でもそれでも、自分のスタンスは変えたくないと思っている。結果的に疲れても、「あの人に頼んでよかった」と思ってもらえるような仕事をしたい。自己満足かもしれない。でも、それが自分なりの仕事の意義だ。
事務員さんに救われた小さな瞬間
一人雇っている事務員さん。口数は少ないけど、時折見せる気遣いに何度も救われた。こちらがパンクしそうなときに、黙ってコーヒーを差し出してくれる。その一杯で、もうちょっと頑張ってみようと思えた。人の温かさって、やっぱり大事だ。
ありがとうが心にしみる日
たまに依頼人からもらう「本当に助かりました」という言葉。これがあるから、もう少し続けてみようと思える。野球部でいえば、試合後に監督が「よくやった」と声をかけてくれるあの瞬間に似ている。言葉の力は、やっぱりすごい。
モテないことと仕事のつらさは関係あるのか
関係あるかどうかはさておき、ふと孤独を感じた夜に思う。「誰かに話せたらな」って。でも、恋愛や結婚をしていない自分にとって、仕事は生きることそのもの。少しだけ、人恋しくなるのも、実務がきつい証拠かもしれない。
独身ゆえの強みと弱み
自由に動ける。時間もある。だからフットワークは軽い。でもその分、誰も支えてくれない。風邪ひいた日も、トラブル続きの日も、自分で全部片付ける。そこに「誰か」がいてくれたらなって思う瞬間がある。でも、誰もいないからこそ、倒れるわけにはいかない。これはこれで、強さでもある。
家庭がないからこそ倒れられない
「家族がいたら違ったかな」と考えることもある。でも今は、事務所と自分が一心同体。どちらかが倒れたら、共倒れ。だから体調管理も気遣いも全部自己責任。独身って、自由だけど孤独で、孤独だけど自由で、実は一番難しいバランスかもしれない。
愚痴をこぼしながらも前を向くあなたへ
実務は、つらい。正直、泣きたくなることもある。でも、ひとつひとつ乗り越えてきた自分を、少しだけ誇ってもいいんじゃないかと思う。野球部のあの頃のように、地味で地道だけど、確かに一歩ずつ進んでいる自分を。
同業者に伝えたいこと
この仕事は、本当に孤独だ。だからこそ、同業者の存在が貴重だ。直接会わなくても、こうして文章を通じて思いを伝えられることが、少しでも誰かの心に届けばうれしい。あなたの愚痴も、きっと誰かの救いになる。
誰かの苦労が誰かの支えになる
自分のつらさを隠さなくていいと思う。頑張ってる人ほど苦しいことが多いから。その苦労を書き出すことで、また誰かが「自分だけじゃなかった」と救われる。そうやって、ゆるくつながる世界も、悪くない。
これから司法書士を目指す人へ
この世界は甘くない。試験もきつい。でも実務はもっとキツい。でも、それでもやってよかったと思える瞬間もある。覚悟は必要。でも、優しさも大切。あなたの道が、少しでも楽になりますように。
覚悟と柔らかさを両方持って
堅くなるだけじゃ、折れてしまう。柔らかすぎても流される。その間で揺れながら、自分なりのスタイルを見つけてほしい。愚痴をこぼしながら、でも一歩ずつ。そんな働き方も、あっていい。