春が来たこと、気づいていましたか?
今年の春、桜が咲いていたのを見ましたか?私は見逃しました。気づいたら、桜の写真がSNSに流れていて、「ああ、咲いてたんだな」と思う始末。事務所にこもって書類とパソコンとにらめっこしている間に、季節は確実に流れていったのです。司法書士という仕事柄、外に出るといっても法務局かお客さんのところ。季節の移ろいよりも、〆切とスケジュールの帳尻合わせのほうが先に目に入ります。気づけば季節がすっぽり抜け落ちていました。
いつの間にか咲いてた桜、いつの間にか散ってた桜
事務所のすぐ近くにある小さな公園に、毎年見事に咲く桜があります。かつてはそれを見るのが楽しみで、春が近づくと自然と気持ちが浮き立ったものでした。今年は…気づいたら散っていました。ある日、事務員が「桜、昨日の雨で全部散っちゃいましたね」と言ったのを聞いて、はじめて「あ、咲いてたのか」と気づいたのです。まるで自分だけ季節に置いて行かれたような、そんな寂しさを感じました。
「あ、もう六月?」と気づいたときの焦燥感
五月が終わり、カレンダーを見て「え、もう六月?」と驚くことがよくあります。春の風も感じていないまま、気づけば夏前。特に繁忙期のあとは、日付の感覚がぼやけてしまい、「何月だっけ?」と自分で自分に問いかけるような有様です。季節のイベントにも無関心になり、気持ちが置き去りになる感覚。このままだと、気がついたときには年末かもしれません。
なぜ季節感を失ってしまうのか
司法書士という仕事は、ひたすら「今やらなきゃいけないこと」に追われがちです。目の前の業務に集中していると、自然と外の景色を気にする余裕がなくなっていきます。気候の変化や花の香り、風の温度…そんな些細な変化が、真っ先に感覚から抜け落ちていくのです。
仕事に追われると「今日」が消えていく
今日という一日が、ただ「タスク処理の日」に変わってしまう。気がつくと、昨日と同じような今日を繰り返しているだけで、変化も何もない。そんな生活を続けていると、「春だったのか」「今は梅雨入りしたのか」といった季節の気配すら感じられなくなります。毎日が締め切りとメールの応酬、これでは今日の意味を見失うのも当然です。
業務に「区切り」がない司法書士という仕事
この業界の厄介なところは、「ここまでやったら終わり」という明確な区切りがなかなかないこと。登記が一つ終わっても、すぐに次の相談や依頼が舞い込んできます。特に相続関連の案件は、家族の事情が複雑な分、終わりが見えないケースも少なくありません。
登記にも終わりはある、でも仕事には終わりがない
確かに登記業務そのものは、法務局に申請して完了すれば一区切りです。でも、相談は続きますし、問い合わせも続きます。そして別の案件がすでに待っています。1つの仕事が終わったからといって、それで「はい春の終わりです」となるわけではありません。終わらない感覚が、日常と季節の区切りを曖昧にしていきます。
目の前の“次の案件”が季節を飲み込んでいく
ひとつ片づけても、次。さらにその次。依頼者から見ればそれぞれが人生の節目ですが、こちらからすれば「また別の案件」になります。そうしているうちに、私たちの「生活の節目」や「季節の区切り」は次第に失われていきます。どこかで意識的に立ち止まらないと、季節に飲まれてしまうのです。
「季節感の喪失」は心の余白の喪失
季節を感じるということは、心に余裕があるということです。逆に言えば、季節を感じられなくなっているというのは、自分がいっぱいいっぱいになっているサインかもしれません。
心が擦り切れると、気づく余裕すらなくなる
以前、立て続けにクレーム対応と申請ミスの訂正対応が重なった時期がありました。そのときは、朝起きても気分がどんよりしていて、ただただ「今日をなんとか乗り切ろう」と思うばかり。道端に咲く花にも気づかず、通勤中に見える山の緑も記憶に残っていませんでした。心が擦り切れると、視界に色がなくなっていくのです。
「自然を感じる」なんて、理想論なのか?
自然に触れることで癒やされるという話を聞いても、「そんな暇どこにある?」と思ってしまう自分がいます。でもそれって、本来の自分ではないのかもしれません。本当は少し外の空気を吸うだけでも違う。でも、それすらも忘れるほどに、日々の忙しさに心を奪われてしまっているのです。
事務所にこもる生活と外界との断絶
特に地方の事務所だと、移動も車ばかり。外を歩くことも少なくなり、ますます自然と接する機会が減ります。季節を感じるための“センサー”が鈍っていく感覚。そうやって「外界」と切り離されていく生活は、仕事に集中できる一方で、自分を消耗させていくのです。
そんな自分に気づいたとき、どうするか
気づいたときが、立ち止まるチャンスです。取り戻すには遅すぎることなんてありません。少しでも季節を感じる習慣を生活に取り戻すことで、気持ちにもゆとりが戻ってきます。
まずは「あえて立ち止まる」ことから
忙しい日々の中にあっても、意識的に一度手を止めて、外を見る時間をつくる。窓の外に目を向けるだけでもいい。ふとした瞬間に風の匂いや、陽の長さの変化を感じられるかもしれません。立ち止まることは、決して無駄ではありません。
季節感を取り戻すささやかな習慣
無理のない範囲で、季節を感じる習慣を生活に組み込むこと。それは決して大げさなことではなく、ほんの数分の積み重ねで十分なのです。
朝の空気を吸う5分、昼の散歩10分
私は最近、出勤前に5分だけ玄関先で外の空気を吸うようにしています。天気や風の匂い、鳥の鳴き声…。それだけでも「あ、今日は春だな」と思えるのです。昼に10分だけ近所を歩くのもおすすめです。特に花が咲く道や田んぼの景色には、意外な癒やしがあります。
月に一度の“季節を感じる日”を設ける
スケジュールに「季節を感じる日」として、月に一度だけでも予定を空けるようにしました。日帰り温泉に行く、山に行く、庭を眺めるだけでもいい。意図的に自然と関わる日を作ることで、心にも季節にも余白が戻ってきます。
若い司法書士・目指す人へのメッセージ
この仕事は本当にやりがいがある一方で、心を削る仕事でもあります。特に駆け出しの頃は、忙しさや責任に押しつぶされそうになるかもしれません。だからこそ、自分の心の状態や、季節の変化に気づける「余裕」を大事にしてほしいのです。
理想を追うな、でも自分を見失うな
理想の司法書士像を追いかけすぎると、いつの間にか自分を犠牲にしてしまいます。仕事は大事。でも、自分の時間や季節を感じる感性を失ってしまったら、本末転倒です。ほどほどを、意識的に目指すこと。それがこの仕事を続ける秘訣かもしれません。
効率よりも「感覚」を大事にしてほしい
効率化も大事ですが、効率だけを求めると「人間らしさ」が削られていきます。季節を感じる、自分の気持ちを大事にする、そういう“感覚”を忘れずにいてください。それが結果的に、依頼者との関係や仕事の質にも表れてくると、私は思っています。