やりがいと疲れが同居する日々に思うこと
司法書士という仕事にはやりがいがある。依頼者の人生の節目に立ち会い、トラブルの解決を助ける。その役割に誇りはある。でもふと気づくと、体が重くて朝からだるい。やりがいがある仕事に就いているはずなのに、なぜこんなに疲れているのか。その矛盾に、最近よく戸惑うようになった。日々の業務の中で、その「疲れの正体」は何なのか、少し立ち止まって考えてみたくなった。
やりがいは確かにある——でも身体がついてこない
案件が完了して「先生、ありがとうございました」と頭を下げられる瞬間は嬉しい。たしかに嬉しい。でも、それと同時に「またひとつ終わった」という安堵のため息が出る。以前はその感謝の言葉に力をもらっていたはずが、今では「これでまた次の案件に集中できる」と、自分を無理に前に進ませるための一言になっている気がしてならない。
「好きな仕事=疲れない」は幻想かもしれない
よく言うじゃないですか、「好きな仕事なら疲れない」って。昔の自分もそう思ってたけど、現実は違った。たとえ好きな仕事でも、長時間働けば当然体は疲れるし、ストレスもたまる。むしろ、好きだからこそ「手を抜けない」という縛りがあって、余計に自分を追い込んでしまう。やりがいと引き換えに、自分の体力や感情が削れていくような、そんな日々が続いている。
現場のリアル:やりがいを感じる瞬間とは
やりがいがある瞬間もある。それがあるからこそ、続けていけるというのも事実だ。人の人生に寄り添い、複雑な問題を解決することができたとき、ようやく「この仕事をやっていて良かったな」と思える。でも、その「報われた」と思える瞬間は、一日のうちでほんの数分しかないというのもまた現実。
感謝の言葉に救われるとき
あるとき、相続登記を終えた高齢の依頼者が「これでようやく安心して眠れます」と、涙を浮かべて言ってくれたことがあった。その一言で、こちらも思わずぐっときた。大げさじゃなく、そういうときにようやく「疲れててもやっててよかったな」と思える。けれど、そういう瞬間が毎回あるわけじゃないし、むしろ稀だったりする。
依頼者の「助かりました」が心に沁みる
普段はルーチン化した業務で流れるように処理しているけれど、たまにふと立ち止まらせてくれる依頼者の一言がある。「本当に助かりました」とか、「先生がいてくれてよかった」とか。そういう言葉に、疲れていた心がじわっとほぐれる。でも、それも束の間。また次の案件が目の前に積まれていく。
難解な案件をやり遂げた達成感
昔、かなりややこしい遺産分割協議の案件があって、親族間で揉めに揉めてた。それでも粘って、全員から印鑑をもらって登記を終えたときの達成感はすごかった。こういうのがあるからやめられない、と思った。でも同時に「もうあんな案件はしばらく勘弁してほしい」とも思った。やりがいの裏には、必ずと言っていいほど大きな消耗がついてくる。
登記完了通知が届くとホッとする
登記完了のメールを受け取ると、心の中で「よし」とつぶやいてしまう。それと同時に、「これで何か不備が出たらどうしよう」との不安も。完了した安心と、新たな心配。その両方が常にセットでついてくるのが、司法書士という仕事の特徴かもしれない。
疲れの正体を掘り下げる
単純な肉体疲労というより、精神的な疲れの方が大きい気がする。休みの日も「電話が鳴ったらどうしよう」と気が抜けないし、夢の中でも登記のことを考えていたりする。司法書士の仕事って、見た目よりもずっと「神経が擦り減る」職業だ。
終わりのない書類仕事と気疲れ
毎日、ひたすら書類と向き合ってる。ミスが許されない仕事だから、チェックに時間もかかるし、見直しても不安になる。これが延々と続くと、「これでいいのか」という不安がずっとつきまとう。正直、精神的にはかなりしんどい。
事務員さんに任せきれない自分の性格
事務員さんは優秀なんだけど、最後の確認だけはどうしても自分でやってしまう。「まかせて大丈夫」と思っていても、「もしこれで何かあったら…」と考えてしまう。これはもう性格なんだろうなと思う。
結局、自分で全部チェックしないと落ち着かない
チェックリストを作って共有してるのに、最後には自分で再確認。二重チェック、三重チェック。でも、それがないと不安で眠れなくなる。安心を得るために、自分で自分を縛っているような気もしている。
責任感と神経質の間で揺れる
「司法書士なんだから、しっかりしなきゃ」と思えば思うほど、自分にプレッシャーをかけてしまう。責任感なのか、神経質なのか、その境目がよくわからなくなる。でも、依頼者の人生を背負ってる以上、適当にはできない。それがこの職業の宿命だと思っている。
やりがいの重みが疲労になる瞬間
やりがいがある仕事は、往々にして「重たい」。人の人生に関わるからこそ、一つひとつの判断に責任がのしかかる。その重みが、少しずつ体と心を蝕んでいく。
「この人を助けなきゃ」がプレッシャーに変わる
依頼者が困っている姿を見れば、どうしても「なんとかしてあげたい」と思う。でもその気持ちがプレッシャーになって、自分を追い込んでしまう。結果的に、やりがいがストレスの原因になってしまうという皮肉。
断れない性格が自分を追い詰める
相談の電話が来ると、つい「じゃあお手伝いします」と言ってしまう。忙しいのに、予定が詰まっているのに、それでも引き受けてしまう。人の役に立ちたいという気持ちと、自分の限界のバランスが本当に難しい。
バランスの取り方を考えてみる
やりがいと疲れ、その両方を抱えながら働き続けるには、やっぱりバランスが必要だ。完全な解決策なんてないけど、少しずつ自分の働き方を調整することならできるはずだ。
“頑張りすぎない”を習慣にできるか
「ちょっとだけ手を抜く」って、ものすごく難しい。でも、それを覚えないと続かない。完璧を求めすぎず、60点でもまず進める勇気が必要なのかもしれない。
毎月1件は断ってみる勇気
「今月はもう手が回らないので…」と断る練習をしてみた。最初は罪悪感があったけど、不思議とそのあとは少しだけ肩の荷が下りた気がした。断ることで、自分を守ることも大事だと学んだ。
やりがいの見直しで疲れ方も変わる?
最近は、やりがいの中身を見直すようにしている。依頼者の「ありがとう」だけじゃなく、自分が納得して仕事できたかどうか。そこに少しでも満足があれば、それで十分なんじゃないかと思うようになった。
司法書士として「ほどほど」の覚悟を持つ
司法書士としての責任感は必要だけど、それに押しつぶされては意味がない。「ほどほどにやる」ことを自分に許すことも、続けるためには大切な覚悟だと最近思うようになった。
理想の自分を追いかけすぎない
いつも「もっとできるはず」と思ってしまう。でも、完璧な司法書士なんて存在しない。今の自分のペースで、ミスなく丁寧にやること。それで十分だと思えるようになりたい。
疲れてもいいから、踏ん張る意味とは
結局、疲れながらでもこの仕事を続けているのは、人の役に立てるという実感があるから。疲れてても、それが生きている実感なのかもしれない。だから今日もまた、事務所の鍵を開けてパソコンに向かっている。