「研修に出る暇がない」は甘えか、それとも現実か
「研修なんて行ってる暇があったら、ひとつでも登記申請を片付けたい」。そう思ったことがあるのは、私だけじゃないはずだ。司法書士は「学び続ける職業」だと言われるが、現場の忙しさに追われる私たちは、なかなか学ぶ時間を確保できない。そんな中、「研修に行けないのは甘えだ」と言われると、正直しんどい。ほんの数時間空けることすら難しいのが、地方の一人事務所の現実なのだ。
現場の声:「研修より今の仕事が先なんだよ」
「今日中にやらないと間に合わない案件があるんですよ」「法務局の締切もあるし、急ぎの相続も抱えてて…」。周囲の同業者と話すと、みな口をそろえて「研修どころじゃない」と言う。私もそうだ。事務員と2人だけで回している事務所にとって、半日、丸一日研修に出るのは、大げさでなく“業務停止”を意味する。リスケも効かない書類提出や、朝から晩まで続く電話対応の中で、「余裕のある人が行ける場所」に感じてしまうのが研修なのだ。
研修制度の理想と、地方事務所の現実
司法書士会や団体が用意してくれている研修内容は非常に充実しているし、意義もわかる。最近ではZoomでの参加も増えてありがたい。でも、参加できるのは「時間をつくれる人」に限られる。都会の事務所で分業されているところと、地方で一人一役三役を担っている事務所とでは、土台が違うのだ。理想論をぶつけられても、現実はなかなか追いつけない。
なぜ研修に行けないのか? 忙しさの構造
「忙しい」と一言で言ってしまうと、言い訳のように聞こえるかもしれない。だが、その“忙しさ”には構造的な原因がある。中小・個人事務所が抱える負担の偏り、急な対応が求められる現場、代わりのいない業務体制。ひとつひとつを見ていくと、単なる「努力不足」や「やる気の問題」では片付けられない事情が見えてくる。
一人事務所の「止めたら終わる」恐怖
私の事務所では、私が一日不在になると、電話対応から来客対応、申請業務まですべてが止まる。事務員さんがとても優秀とはいえ、判断や責任を私が取らなければならない場面が多すぎる。だから、丸一日の研修に出ようとすると「後回しにした業務の山」が戻ってくる。結果、行かないという選択をとるしかない。そんな日々が続くと、「行けない」というより「もう行かない方が楽」とさえ思ってしまう。
スタッフ一人。休めない、誰も代われない
都市部では「専門事務員」や「補助者」が複数いて分担できることも多いと聞くが、地方の小さな事務所では、そうした贅沢は夢のまた夢だ。求人を出しても人が来ない。人が来ても、覚える前に辞めてしまう。結局、私と長年勤めてくれている事務員さんの2人で何とか回しているが、業務を分担しきれるわけではない。誰かが休めばもう片方が潰れる——そんな綱渡りが当たり前になっている。
急ぎの案件に振り回される日々
相続登記の期限が10ヶ月になったことで、駆け込み依頼も増えた。「1週間以内に何とかならないか」と言われることもしばしば。しかも、依頼人の都合は夜や土日。そうなると、こちらの予定はどんどん削られ、研修のスケジュールなんて「後回し」にせざるを得ない。結果、「次こそ参加しよう」と思っても、いつも“今じゃない”になってしまうのだ。
本当は行きたい。でも行けない。葛藤と後ろめたさ
本音を言えば、私だって新しい知識を得たい。制度改正に取り残されるのは怖いし、若い司法書士に「知らないんですか」と言われるのは悔しい。でも、現場に縛られて動けない現実がある。なのに「勉強しない司法書士は危険」などという論調を目にすると、自分がサボっているように思えてしまう。これがなかなか精神的につらい。
自己研鑽に後ろめたさを感じる不思議
矛盾しているようだが、「勉強のために時間を取る」という行為が、どこか悪いことをしているように感じてしまう瞬間がある。「お客さんを待たせてまで?」という感情が、自分の中に芽生えてしまうのだ。これは自己犠牲を美徳とする日本的な価値観かもしれないが、結果として自分を学びから遠ざけてしまっている。
「研修=サボり」と見られる風土
同業者との雑談の中でも「研修ばっかり行ってるよね」と揶揄されることがある。冗談半分だとはわかっていても、「現場で汗かいてる俺たちとは違う世界の人」扱いされるような空気を感じることもある。そういう中で、「今度の研修、行こうかな」と言い出すことすらためらってしまうのだ。
学びが置き去りにされた先に起きること
知識をアップデートできないことのリスクは、日常の中にじわじわと現れる。法改正に気づかず誤った説明をしてしまったり、他士業とのやりとりで恥をかいたり。こうした小さな綻びが、信頼を失うきっかけになる。現場で走り続けているうちは気づかないが、ふと立ち止まった時、その遅れにゾッとする。
法改正に追いつけず、ひやっとした瞬間
昨年、改正内容をうっかり見落としていて、お客様に「こうなりますよ」と説明したことがあった。後日、違っていたことに気づき、平謝り。そのお客様は理解してくれたが、信頼を失っていたらと思うと今でも冷や汗が出る。あのとき「研修に出ていたら…」と自分を責めた。
相談対応で「調べ直し」が増える焦り
最近、「ちょっと調べますね」が口癖になっている自分に気づいた。即答できない内容が増えたのだ。昔は自信を持って答えられた質問も、法改正や制度変更のせいで「もしかして変わってるかも」と不安になる。常に最新の情報を追いかけていないと、業務がどんどん重くなる実感がある。
それでも“学び”をどう確保するか
文句ばかり言っていても前には進めない。だからこそ、今の環境でも「少しだけ学ぶ」工夫を取り入れている。完璧じゃなくてもいい。毎日1ミリでも前に進めば、少しは安心できる。そのために私が試しているいくつかの方法を紹介したい。
移動時間で耳だけ参加するオンライン研修
移動中の車の中で、スマホで研修を流して耳だけ参加する。画面を見られなくても、要点はなんとなく掴める。耳からのインプットも案外バカにできない。ただし、運転しながらの内容理解には限界もあるし、メモも取れない。だから「予習」と割り切って使っている。
倍速視聴・耳学習の限界と活用法
最近はYouTubeや動画配信で倍速視聴が当たり前になってきたが、学習内容によっては“流し聞き”では身に入らないことも多い。特に法改正のような細かい変更点は、しっかり理解するには繰り返し聞くしかない。1回で理解しようとせず、3回くらい繰り返すのを習慣にしている。
月1時間でも「学ぶ時間」をブロックする習慣
忙しくても「月に1時間だけは学ぶ時間」と決めて予定表に書き込むようにしている。最初は「そんなの無理だろ」と思ったが、意外に守れている。誰にも邪魔されない早朝や夜に、その時間を当てるようにしただけで、精神的な余裕が生まれた気がする。小さな一歩でも、それが積み重なることで違いが出てくる。
「学ばない人」は淘汰されるのか?
最後に思うのは、「じゃあ、研修に行かない司法書士はダメなのか?」という疑問だ。たしかに学び続ける姿勢は大切だ。でも、現場で日々格闘している人たちが「怠けている」と言われるのは違う。私たちなりのやり方で、一歩ずつ進んでいるのだ。
研修に行けない人が劣ってるのか?
私はそうは思わない。むしろ、現場で実務を積み重ねながら、隙間時間に知識を吸収している人の方がよほど尊敬に値する。見せびらかすような学び方ではなく、地道に、静かに、努力を重ねる人たちがこの業界を支えていると思っている。
現場型司法書士の生存戦略
これからも「研修に出られない日々」は続くかもしれない。でも、その中でも「どう学び、どう現場で活かすか」を模索し続けることが、私たち現場型司法書士のサバイバル術なのだと思う。完璧じゃなくても、諦めなければ、なんとかなる。少なくとも、今のところは。