その一行で全てが狂った――登記簿の“見落とし”が招いた悪夢

その一行で全てが狂った――登記簿の“見落とし”が招いた悪夢

登記簿との静かな戦いの日々

登記簿を読むのは、司法書士の基本中の基本。そう思っていた自分が、まさかその「基本」で足をすくわれるとは思ってもみませんでした。毎日のように目にする書類だからこそ、油断が生まれる。慣れと疲れが交差する日常の中で、注意力がすり減っていくのを自覚していても、忙しさの波に押し流されるのです。

「見慣れてるはず」が一番怖い

人間の目は都合よく補完するものです。登記簿の「○番所有権移転」の記載を、自分は何百回と見てきた。その自負が「読む」という行為を「見る」に変えてしまっていたのかもしれません。今回は、地番の末尾が違っていたにもかかわらず、それを正しく認識できなかったのです。

事務所の空気が一瞬で変わったあの日

それが発覚したのは、お客様からの電話でした。「先生、この地番で本当に合ってますか?」。その一言で血の気が引きました。資料を見直すと、確かに…違う。「あ、やっちまったな」と心の中でつぶやいたと同時に、事務所の空気がピリッと重たくなったのを今でも覚えています。事務員も何かを察したように目線を外しました。

読み間違いの正体と背景

では、なぜそんな単純な見落としが起きたのか。忙しさだけでは説明できない何かがあったはずだと、後から冷静になって考えました。登記簿というものの性質、そして自分の心の状態、それらが複雑に絡み合った結果だったのです。

どこをどう見間違えたのか

問題となったのは、地番「315-1」と「315-11」の読み違いです。斜め読みしていた私は、最後の「1」を見逃していました。依頼人から送られてきた固定資産税の資料には確かに「315-11」と記載がありましたが、私の目には「315-1」と映っていた。これは単なる不注意ではなく、いわば「慣れの呪い」だったのです。

数字の転記ミスか? 漢字の読み違いか?

数字の転記ミスはありがちなミスです。とくに、似たような番号が続くような地番では、脳が勝手に「いつものやつ」と判断してしまいます。今回も、頭の中では「315番台だからいつものあの土地だ」と自動変換されていたのかもしれません。怖いのは、入力の手を止めることもなく進めてしまったことです。

見た瞬間「おかしい」と思えなかった理由

違和感というものは、普段から注意深くないと感じ取れません。「これでいいのか?」と一度でも思えればよかった。でもその日は別件の書類作成に追われていて、完全に“流れ作業”になっていました。たとえ経験豊富でも、疲れた頭で“判断”はできないのだと痛感しました。

その登記簿、誰がいつ用意した?

今回の登記簿は、依頼者が持参したものでした。それを自分で確認し直さなかったことも、ミスの一因です。司法書士として「最終確認は自分がする」が鉄則だとわかっていたはずなのに、その確認作業を事務員任せにしてしまったのです。結局、責任は自分に跳ね返ってくることを、改めて突きつけられました。

恐ろしいのは“気づいた時”の冷や汗

人間、間違いに気づく瞬間の感情は理屈じゃありません。ただただ「やってしまった」という焦燥、そして「どうリカバリーすれば…」という恐怖。その瞬間、何もかもが止まって見えました。

お客さんに言うか、黙って直すか

間違いがわかったとき、まず頭をよぎるのは「ごまかせるか?」という最低な考えでした。でも、そんなことができる性格ではありません。正直に話し、謝るしかない。そしてその場しのぎの言い訳ではなく、誠意を持って対応するしかないのです。実際、正直に話したことで逆に信頼していただけたのが救いでした。

ヒヤッとする沈黙の電話応対

「、地番の確認に誤りがありました」――そう電話で伝えたときの沈黙が何よりつらかったです。数秒の沈黙が1分にも感じられました。「ああ、もう終わったかもしれない」と思いました。でもお客様は落ち着いた声で「ちゃんと直してもらえれば構いませんよ」とおっしゃった。胸が詰まりました。

「まあ大丈夫ですよ」と言われて逆に落ち込む

意外と多いのが、「いいですよ、大丈夫です」と言われたときの自己嫌悪です。本当に良いと思ってるのか、それとも呆れてるのか。こちらとしては土下座したい気分なのに、軽く流されると逆にしんどいんですよね。信頼を裏切ったという後ろめたさは、なかなか消えません。

事務所運営へのダメージと後悔

一つのミスが与える影響は、業務だけにとどまりません。事務所全体の雰囲気、事務員との信頼、そして自分自身のメンタル。すべてに波紋が広がっていきました。

一つの凡ミスで失う信頼と自己肯定感

「この程度のミスで…」と思われるかもしれませんが、本人にとっては深刻です。依頼人の信頼、自分のプライド、次の仕事への集中力。どれもじわじわと削られていきました。「自分って、思ったほどプロじゃないんじゃないか?」と、自信をなくすきっかけにもなります。

事務員の視線が痛い、何も言わないのが逆につらい

うちの事務員は優しいので、責めるようなことは言いません。ただ、あの日以来、ちょっと気を遣われているのが伝わってきて、それがかえって堪えるんです。言われたほうが楽なのに、言われないのがしんどい。事務所って、こういう些細な空気でぎくしゃくするんですよね。

二度と繰り返さないための対策

同じミスは繰り返したくない。でも、時間と労力の制約の中でどう対策を講じるかが問題です。理想と現実の間で、悩みながら改善を試みています。

チェック体制の見直し――でも時間が足りない

Wチェックや第三者確認などの仕組みは導入済みですが、実際には業務の波に押されて形骸化していました。何かを変えるには、まず自分の意識を変えるしかない。疲れていても、一回手を止めて確認する勇気。これが意外と難しいんですよ。

Wチェックの理想と現実

「Wチェックすれば防げる」――それは理想論で、実務ではWチェックをする余裕がないのが現実です。特に一人事務所に近い構成では、自分がWであるしかない。結局、精神論に近くなってしまうのですが、それでも「立ち止まる習慣」を意識するようにしています。

紙か、データか、それが問題だ

紙での確認か、デジタルでの管理か。登記簿情報もPDFやスキャンで送られてくる時代です。目が滑るような画面ではなく、印刷して蛍光ペンを引くような確認作業が、自分には合っていると改めて感じました。道具に使われるのではなく、自分が使う。そんな意識も必要です。

それでも仕事は止まらない

ミスをしても、業務は待ってくれません。次の案件、次の登記、次の電話。落ち込んでいる暇もないけれど、心の中にはしっかりと傷跡が残るものです。

気持ちを引きずったまま次の案件へ

切り替えが大事だとは思っていても、うまくはいきません。「またやったらどうしよう」という不安が、次の案件に影を落とします。でも、それも含めて仕事。完璧じゃなくても、止まらないでやり続けるしかないのです。

「たった一行」の重みと向き合い続ける日々

登記簿の一行。たったそれだけ。でも、司法書士にとってその一行は、信頼と責任の結晶です。軽んじたわけではない。でも、軽んじていたのかもしれない。そんな気づきを胸に、今日も登記簿とにらめっこしています。

司法書士として“失敗”とどう向き合うか

完璧じゃない自分を受け入れるのは、プロとしてつらいこと。でも、失敗から学ぶことのほうが多い。だからこそ、後輩やこれから司法書士を目指す人には、こういう話も伝えたいのです。

「完璧でなくても逃げない」ことの大切さ

ミスを認めることは恥ではありません。逃げることが一番の問題です。逃げなかった経験が、のちの自分を支えてくれる。そんなことを、最近ようやく実感するようになりました。

苦い経験こそ、若い人に伝えたい

この仕事、華やかでもなければ派手でもありません。でも、積み重ねてきた経験には価値がある。だからこそ、同じようなミスを誰かがしなくて済むように、僕はこの話を残しておきたいと思います。

しがない司法書士
shindo

地方の中規模都市で、こぢんまりと司法書士事務所を営んでいます。
日々、相続登記や不動産登記、会社設立手続きなど、
誰かの人生の節目にそっと関わる仕事をしています。

世間的には「先生」と呼ばれたりしますが、現実は書類と電話とプレッシャーに追われ、あっという間に終わる日々の連続。

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