「もっと丁寧にしたいのに」──その気持ち、私もわかります
相手の話をじっくり聞いて、落ち着いた声でゆっくり説明して、相手の不安に寄り添いたい——そう思っているのに、なぜかできない。自分の仕事量のせいだと分かっていても、毎回「また雑な対応だったな…」と後悔してしまう。司法書士という立場にいながら、人の心に向き合う余裕がなくなるのは、本当に情けないと思う。
忙しさがすべてを奪っていく
とにかく時間が足りない。書類は山積み、電話は鳴りっぱなし。登記の期限は迫るし、相談の予約は次々に入ってくる。ふと気づくと、笑顔も、気遣いも、どこかに置き忘れてきたような気がしてしまう。
書類の山に心を失う
机の上に広がる紙の山。その中には、人の人生が詰まっているというのに、もはや“仕事”としか見られなくなっている自分に気づいて、落ち込む。たとえば遺産分割協議書の作成。誰かの大切な家族の終わりを扱っているのに、私は「今日中に仕上げないと」としか思えなくなっていた。
「とりあえず」で終わらせる苦しさ
一件一件をちゃんと仕上げたいのに、「最低限」で終わらせることに慣れてしまっている自分がいる。「それでも間違いはないし、問題は起きない」。そんなふうに言い聞かせて日々をやり過ごしている。でも、心はずっと苦しいままだ。
本当は相談者の話をもっと聞きたいのに
来所された相談者がぽつりとつぶやく。「こんな話、誰にも言えなくて」。そんなとき、時間が許すなら、30分でも1時間でも耳を傾けたいと思う。でも、実際は「はい、それではこの用紙に記入を」と、次の作業に進めてしまう。自分の冷たさが情けない。
「あと5分で終わらせたい」と思ってしまう罪悪感
次の予定があるとき、時計ばかり見てしまう。「あと5分で終わらせなきゃ…」と考えると、相手の目も見られなくなる。でも、相手は気づいているんだろう。「あ、この人、もう話を終わらせたいんだな」って。それが一番つらい。
感情に付き合えない自分が嫌になる
相手が泣き出してしまったとき、本当は一緒に泣いてあげたい。でも、心のどこかで「勘弁してくれ…」と思ってしまう。情けない。優しさを持って仕事を始めたはずなのに、今では人の涙が「時間を奪うもの」になってしまっている。
丁寧さを保てないとき、自分を責める必要はあるのか
できない自分を責める日々。でも、それって本当に自分の責任なんだろうか。構造的に無理がある仕事の中で、精一杯頑張っているのに、自分だけが悪いと思い込んでいないだろうか。
「プロならできて当然」なんて幻想
「専門家なんだから、丁寧で当たり前」——そんな声を真に受けて、自分にプレッシャーをかけすぎていないか。確かに理想はある。でも、理想だけで現実は動かない。できない日もあるし、間に合わない日もある。そんな日は、自分を許してやってもいいのではないか。
理想と現実の落差に心が折れそうになる
「理想的な司法書士像」と、「現場の私」との間には、深くて広い溝がある。完璧に丁寧な対応をするには、人手も時間も足りない。だからといって、今の自分をダメだと決めつけるのは違う。理想は理想として持ちつつも、現実に立脚した評価も必要だ。
「誠実でいたい」は仕事の重荷にもなる
誠実であることが自分の首を絞めることもある。どこまでも向き合おうとするから、いつも苦しくなる。それでも誠実であろうとする気持ちは、捨てるべきではないと思う。でも、少しだけその荷物を軽くする方法もあるはずだ。
いい人ほど潰れていく構造
丁寧に、真面目に、優しく対応しようとする人ほど、疲弊していく。皮肉な話だけど、現実だ。だからこそ、「がんばりすぎない」ことも、仕事を長く続ける上での誠実さかもしれない。
それでも、丁寧に向き合いたいと思う理由
どれだけつらくても、どこかで「それでも丁寧でいたい」と思ってしまう。なぜなのか。それには、忘れられない瞬間があるからだ。
誰かの「ありがとう」に救われて
疲れ切ったある日、一通の手紙が届いた。「先生のおかげで、気持ちの整理がつきました」。それを読んだとき、涙が出た。自分の存在が、誰かの助けになった。たったそれだけのことが、どれほど心を救ってくれたか。
たまに届く感謝の言葉が心の支えになる
頻繁にあるわけじゃない。でも、ポツンと届く「ありがとう」が、次の日を乗り越える力になる。それを思い出すたびに、「やっぱり丁寧でいたいな」と思う。たとえ、完璧じゃなくても。
丁寧な対応が信頼につながると信じている
一見面倒に思えることでも、丁寧に対応したとき、信頼は積み重なっていく。それは時間がかかるけれど、最終的には自分を助けてくれる“仕事の資産”になる。だから、できる範囲で丁寧にありたいと思っている。
心が追いつかないとき、どう折り合いをつけるか
「丁寧にしたい」と「余裕がない」の間で揺れ動く日々。そこに折り合いをつけるための、現実的な工夫が必要だ。
一人で背負いすぎない仕組みを持つ
全部を自分で抱えるのは限界がある。だからこそ、仕組みで補うしかない。時間を作るための工夫、任せる勇気、分け合う仕組み——そういうものが、精神的な余裕を作ってくれる。
事務員さんの存在のありがたみ
うちの事務員さんは本当に優秀で、私が気づかない細かいところまでフォローしてくれる。正直、彼女がいなかったら、今頃私は潰れていたかもしれない。感謝を伝えるのは照れくさいけど、いつも感謝してる。
外注や連携先との「分業」という選択肢
登記の補助や、書類作成の一部は外注も検討している。信頼できる税理士や社労士との連携も、仕事の丁寧さを保つための戦力になる。全部ひとりでやる必要はない。
完璧を捨てて「そこそこ丁寧」でもよしとする
すべてに完璧を求めると、心がすり減る。「今日の対応は60点だった。でも、最低限は守れた」と思えたら、それでいい。自分の心を守るのも、仕事のうちだ。
最後に:丁寧であろうとするその気持ちが、すでに誠実です
本当はもっと丁寧に対応したい。でも、それができない日もある。その葛藤を抱えながら、それでも丁寧であろうとするあなたは、もう十分に誠実だと思います。忙しさに追われて自分を責めそうになったら、この記事を思い出してほしいです。私も、あなたと同じように悩みながら、それでもこの仕事を続けています。