司法書士に癒やしなんてあるのか?
「癒やし」と聞いて、温泉や猫カフェを思い浮かべる人も多いかもしれません。でも、司法書士という仕事にそんなほっこりした時間がどれだけあるのか……正直、私は疑問です。登記の締切、依頼者からのプレッシャー、書類のミスの恐怖。そんな中で「癒やしを見つけましょう」なんて言われても、心のどこかで「余裕がある人の話だな」と感じてしまいます。
毎日が締切とトラブルの連続
「明日までにお願いします」「今日中に出せませんか?」。そんな言葉が日常的に飛び交う仕事です。私のカレンダーには、色とりどりの予定がびっしり。何か一つ崩れたら、全部がドミノ倒しのように崩れていきます。実際、登記完了予定が1日遅れたことで、相手方から怒鳴り声を受けたこともあります。気持ちは分かります。だけどこちらにも事情がある。その説明をしても理解されることは稀です。
「ありがとう」よりも「まだですか?」が多い日々
やりがいのある仕事だとは思っています。ただ、報われることが少ないのも事実です。感謝されるよりも催促されることの方が圧倒的に多い。とくに相続登記や抵当権抹消など、当事者にとっては一生に一度の出来事でも、こちらにとっては日常業務。その温度差が、じわじわと心をすり減らしていくのです。
誰も知らない司法書士の裏側
表向きは落ち着いた士業の一つ。でも実際の現場は、想像以上にバタバタしています。依頼者の感情に巻き込まれ、行政の対応に翻弄され、時には「誰の味方なんだろう」と自問することもあります。とくに地方では一人で事務所を切り盛りすることが多く、逃げ場もありません。
一人親方+事務員一人の現実
うちの事務所も、事務員さん一人と私の二人三脚。彼女が休むと、全業務が私一人にのしかかります。登記簿を読み解き、書類を作成し、電話に出て、依頼者に対応し……当然ミスのリスクも跳ね上がります。そんな日に限って、なぜかトラブルが重なるのは何の因果でしょうか。
病欠された日には終わりが見える
先月、事務員さんがインフルエンザで一週間休んだ日がありました。その間、私は電話と郵送物と押印確認と…とにかく人手不足の現実を痛感しました。無理をしてすべてを自分でやろうとすればするほど、精神が削れていきます。それでもやらなきゃならない。そこに癒やしを求める余地は正直、ありませんでした。
電話が鳴れば作業は止まり、訪問があれば心が止まる
「あと5分で完成する」と思っていても、電話1本で全部の流れが止まります。しかもそれが「よくわからないけど不安です」といった雑談的相談だったりすると、正直、心が折れそうになります。でも顔には出せない。声にも出せない。ただ、ひたすら丁寧に対応する。…それが仕事だからです。
「癒やし」とかいうフワフワした言葉がうらやましい
他業種の知人がSNSで「癒やしの時間大事にしてます」とか投稿しているのを見ると、なんとも言えない気持ちになります。こちらは癒やされるどころか、むしろ追い詰められている。そんな時、ふと立ち寄ったコンビニで流れていた音楽に思わず涙が出そうになったことすらあります。
隣のカフェの音楽で泣きそうになる
ある日、急ぎの書類作成に追われながら、事務所の窓の外にふと目をやると、隣のカフェで流れるゆるいジャズが耳に入りました。思わず「いいなぁ」とつぶやいた自分に驚きました。あの1分ほどの空白こそが、私にとっては癒やしだったのかもしれません。
「休んでいいよ」と自分に言えない職業
「明日休もう」と思った日には、なぜか緊急案件が飛び込んできます。しかも、誰も代わりにやってくれない。士業というのは代替性が低いぶん、気楽な休みが取れません。結果、身体だけでなく心もずっと緊張状態。だからこそ、「休んでもいい」と自分に言えるタイミングがどれだけ大切かを痛感しています。
それでも潰れないための“かろうじて”の習慣
完全に癒やされることはなくても、なんとか潰れずにやっていくための習慣はあります。それは意外と“誰にも言ってないような小さな工夫”だったりします。何か大きなリゾートに行かなくても、自分の中の安心ポイントを押さえておく。それが生き残る鍵かもしれません。
ペンを置くタイミングを決めておく
一つ自分ルールを作っています。「この作業を終えたら、今日はもうやらない」とペンを置く時間を決めておく。やり残しがあっても、意識的に区切りをつける。これがあるとないとでは、睡眠の質がまったく違います。無限に終わらない仕事の中で、自分だけでも線を引く。これも一種の癒やしです。
人に話せないならモノに話す
愚痴をこぼす相手がいない日も多いです。そんなときは、観葉植物に向かって話しかけたり、コーヒーメーカーに向かって「今日もよろしくな」とつぶやいたりします。バカみたいに見えて、これが意外と心を保ってくれるんです。
観葉植物、ラジオ、深夜アニメに助けられて
誰かと会話できない日は、ラジオを流します。淡々と話す声に救われることもあります。夜になれば、Amazonプライムで昔のアニメを流してぼんやり。昔ハマってたアニメのオープニングが流れると、不思議と泣ける。そこに「自分だけの癒やし」があったりするんです。
司法書士にとっての本当の「癒やし」とは何か
派手なレジャーや高級なグルメじゃなくても、心を守る手段はあるんだと思います。司法書士という職業のなかで、それは“心をほどく瞬間”かもしれません。自分だけの小さな楽しみ。それをちゃんと「癒やし」と認めてやることが、続けるための鍵になるのかもしれません。
“効率”ではなく“無駄”が心を保ってくれる
「この時間、意味あるの?」と思うような無駄な時間が、意外と一番の支えになっていることもあります。寄り道、雑談、無意味なネットサーフィン。その“余白”がなければ、私はきっと潰れていたと思います。
癒やしは、自分にしかわからない小さなご褒美
司法書士という仕事は、他人の人生に深く関わるぶん、自分のことは後回しにしがちです。でも、自分の心にだけわかる“小さなご褒美”があるかどうかで、毎日の持ちこたえ方は変わってくる。あなたにとっての癒やしは何ですか?…私にとっては、夜中のポテチとどうでもいいYouTubeです。