電話がこわいのは今も変わらない

電話がこわいのは今も変わらない

電話が鳴る音にいまだにびくっとする

自分でも情けないと思うけれど、いまだに電話が鳴ると心臓が一瞬止まりそうになる。携帯の着信音でも、事務所の固定電話でも同じだ。もう20年以上この仕事をしているのに、電話に出るのが怖い。たとえ仕事の問い合わせでも、「何か怒られるんじゃないか」「厄介な相談だったらどうしよう」とネガティブな想像が一瞬で脳内を支配する。電話は便利な道具だけれど、自分にとっては未だにストレスの種だ。メールやLINEの方が、よっぽど安心して対応できると思ってしまう。

電話応対が苦手だった新人時代の記憶

司法書士事務所に入ったばかりの頃、電話応対がとにかく苦手だった。電話を取るたびに、言葉が出てこなくなってしまう。「はい、○○事務所です」と言うだけで精一杯。相手の名前を聞き逃してしまったり、内容をメモするのに必死で話が頭に入ってこなかったり。要領を得ない受け答えで上司に怒られ、ますます萎縮してしまった。あの頃のトラウマが、今でも心の奥に残っているのだと思う。

あのとき上司に叱られたことが今でもトラウマ

一番覚えているのは、あるお客さんからの電話を受けたときのこと。緊張で声が震えて、名前を聞き返してしまった。その後、折返しの電話を依頼するのを忘れてしまい、上司に「ちゃんと聞いとけ!」と怒鳴られた。小さなミスかもしれないが、自分にとっては地面が抜けたような気持ちだった。それ以来、「また怒られるかも」と思うようになり、電話を取る手が止まるようになった。

どう返せばいいか分からなかった沈黙の時間

電話応対で一番怖かったのは、「想定外の質問」をされたとき。法律や登記の細かいことを聞かれても、当時の自分には答えられるはずもなく、無言になってしまう。沈黙が続くあの気まずさは、今でも思い出すと胃が痛くなる。今でこそ多少の知識はあるが、それでも「いきなりの電話」という状況には昔の恐怖心が顔を出す。あの沈黙の恐怖を思い出すたび、電話嫌いはなかなか治らないのだ。

独立しても変わらなかった電話への恐怖

司法書士として独立した今でも、電話への苦手意識は残っている。開業当初は一人で全部こなさなければならなかったから、電話応対も当然自分でやっていた。けれど、電話が鳴るたびにドキッとするのは相変わらず。中には厳しい言葉で責めてくる依頼人もいるし、予期せぬトラブルが持ち込まれることもある。電話一本で一日の気分が台無しになることなんて、日常茶飯事だ。

かかってくる電話はトラブルの予感しかしない

「電話=トラブルの入口」という思考が染みついてしまっている。特に午前中の一発目の電話が、内容の重い相談だったときは、その日一日中、心がどんよりしてしまう。うっかりミスの指摘や、他士業からの強めの言い方での問い合わせなど、自分が悪くなくても精神的に消耗するのだ。そうなると、次の電話が鳴るのが怖くて怖くて仕方がない。

できれば事務員さんに任せたいけどそうもいかない

今は事務員さんがいるので、基本的な電話はお願いしている。ただ、専門的な話になると結局自分が対応しなければならない。事務員さんから「先生、○○さんからです」と言われたときの絶望感といったらない。結局、逃げ切れないのがこの仕事だ。自分が看板を背負っている以上、話すのが苦手だろうと怖かろうと、電話からは逃げられない。それが現実だ。

メールやチャットでは感じないプレッシャー

電話は「即答」が求められる。だから怖い。対して、メールやチャットなら、一度内容を読んでからゆっくり考えて返事ができるし、記録も残る。トーンも見えないぶん、必要以上に相手の感情に振り回されることもない。こちらのテンションが低い日でも、きちんと丁寧な文章を書いておけば、きつくならないですむ。そういう意味で、メールは自分にとって安心できるやりとりの手段だ。

声色から読み取る圧にいちいち疲れてしまう

電話だと、相手の声のトーンから「怒ってるのか?」「急いでるのか?」といちいち推測してしまう。これがまた疲れる。特に感情の起伏が激しい人とのやりとりは、神経をすり減らす。何気ない「はぁ」というため息や、微妙な間にすら過敏に反応してしまう自分がいる。そのせいで、電話が終わったあとにどっと疲れが出ることも少なくない。

苦情電話のあと何も手につかなくなる

ときには、理不尽なクレームの電話もある。こちらに非がないと分かっていても、相手が怒っているとつい萎縮してしまう。そうなると、その後の仕事にも支障が出てしまうのだ。「もう辞めたい」と思う瞬間の多くは、そういう電話のあとだったりする。電話一本で、自信がぐらついてしまうのが本当に厄介だ。

「電話くらい出てよ」と言われるとさらに落ち込む

時々、事務員さんから「これくらい先生が出てくださいよ」と言われることもある。もちろん言い方はやわらかいし、悪気がないのも分かっている。でも、電話に対する苦手意識が強い自分にとっては、その言葉がぐさっとくる。自分がダメな人間だと突きつけられたような気がして、落ち込んでしまうのだ。

電話が苦手なままでもやっていけるのか

この仕事をしていて、電話が苦手というのは致命的なのではないかとずっと思っていた。でも、ここまで何とかやってこられたのも事実だ。電話が得意じゃなくても、他の部分で誠実に対応すれば信頼は築ける。苦手を受け入れたうえで、どう乗り越えていくかを考えることが大事なのかもしれない。

対面やメールでの対応力でカバーできる場合

実際、電話ではうまく話せなくても、面談の場では丁寧に説明し、信頼を得ることはできる。メールでしっかりとやりとりを積み重ねることでも、相手との距離は縮まる。だから「電話が苦手だからこの仕事は向いてない」とは一概には言えないと今は思っている。できることを誠実にやれば、道はある。

事務員さんの電話応対スキルに助けられている日々

電話が鳴っても、とりあえず「出てくれる人」がいるというだけで精神的にかなり救われている。事務員さんが明るく対応してくれるだけで、空気が和らぐ。時には「あとで折り返します」とうまく切り返してくれることもあり、本当にありがたい存在だ。苦手なことを補ってくれる人がいるというのは、何よりの支えになる。

苦手を認めてどう共存するかを考えるようになった

苦手なことから目をそらさずに、「自分はこれが弱点なんだ」と受け入れることが、ようやくできるようになってきた。昔は無理に克服しようとして、余計に疲れていた気がする。今は、少しでも負担を減らす方法を探したり、助けを求めたりすることの方が大事だと思っている。苦手と共に生きる工夫こそが、長く続けるコツかもしれない。

同じように電話が怖い人へ伝えたいこと

電話が怖いという気持ちは、決して甘えじゃない。自分のように何年経っても慣れない人間もいる。だから「電話くらいで…」と思わずに、自分の気持ちをまず認めてあげてほしい。電話が苦手でも生きていけるし、司法書士だって続けられる。無理に変わらず、自分なりのやり方を模索していけばいいと思う。

しがない司法書士
shindo

地方の中規模都市で、こぢんまりと司法書士事務所を営んでいます。
日々、相続登記や不動産登記、会社設立手続きなど、
誰かの人生の節目にそっと関わる仕事をしています。

世間的には「先生」と呼ばれたりしますが、現実は書類と電話とプレッシャーに追われ、あっという間に終わる日々の連続。