日常の「当たり前」が、いきなり崩れる瞬間
いつも通りの朝。コーヒーを淹れ、事務所に入り、パソコンの電源を入れる。そんなルーティンが染み付いた日常の中で、パソコンの電源が入らないというだけで、世界が一瞬にして静止する。司法書士という職業柄、書類、登記、顧客情報、すべてがその一台に詰まっている。電源ボタンを何度押しても、うんともすんとも言わない。その時、自分がどれだけ「一台の箱」に頼っていたのかを突きつけられたような気がした。
それは静かすぎる朝から始まった
あの日の朝は妙に静かだった。いつもは立ち上がりに時間がかかるパソコンが、とうとう何も表示しなくなった。事務員の顔も凍りつき、私も思わず「今日は仕事にならんかもな」と声に出してしまった。何気ない不調が、これほどの恐怖に変わるとは思わなかった。トラブルの序章は、こうして静かに始まるものなのかと、今でも思う。
起動しないパソコン、沈黙するメール
すぐにメールチェックしようとしたが、パソコンが起動しないことには始まらない。クライアントからの連絡も、金融機関とのやり取りも、全てはこの画面の中にあった。いつもと変わらないように見えたディスプレイが、まるで世界から切り離された壁のように冷たく感じた。「大丈夫ですか?」と事務員が声をかけるが、何をどう大丈夫と言えばいいのかわからなかった。
再起動100回、それでも現れないデスクトップ
コンセントを抜き差しし、電源ボタンを押し続け、F8キーを連打し、ネットで検索したありとあらゆる「応急処置」を試す。それでも何も変わらない。ついさっきまで使えていたはずのデスクトップが、まるで記憶喪失にでもなったかのように沈黙している。努力すれば何とかなるという幻想が、ここで無惨に崩れる。
「今日は無理ですね」のひと言で全部止まる
最終的に、業者に電話して出た答えがこれだった。「今日は無理ですね。最短でも明日以降の対応になります」。この一言がどれだけ破壊力を持つか、司法書士の皆さんならきっとわかってくれるはずだ。午前中の予定、午後の打ち合わせ、全部キャンセル。紙媒体でどうにかするには、あまりにも現代の業務は複雑すぎる。
ネットバンキング、登記情報、全滅
普段当たり前に使っていたネットバンキングも、もちろん使えない。パスワードは記憶していないし、二段階認証もそのPCのメールに届く。登記情報も電子申請ができない。「紙で出せばいいじゃない」と言われても、プリンターもLANで繋がってる。「全部止まる」というのはこういうことなのだと、身をもって知った。
紙でやってた時代が懐かしいと思う地獄
昔は全部紙でやってたよな…と遠い目をしてみても、今の書式は電子対応が前提で、用紙のストックも減らしていた。パソコンがないだけで、こんなにも不便で、脆いのか。やっぱり自分はこの世界の変化に、うまく対応しきれてないのかもしれない。そんな自己否定が心を重くする。
地方事務所の「一台依存」という罠
都会の大規模事務所と違って、地方の個人事務所は設備も人も限られている。パソコンも一人一台あるわけではなく、重要な作業は私のメイン機で処理している。つまりその一台が死ねば、事務所全体が機能しなくなる。大袈裟ではなく、文字通りの業務停止である。
事務員も固まる。私も固まる
「どうしましょうか?」と聞かれても、正直どうしようもない。事務員もそのパソコンに頼って動いている。お互い、ただ座って沈黙するしかなかった。こんな時間にも給料は発生している。心の中では「この空気どうすんだよ…」と叫んでいた。
「バックアップしてました?」という冷たい質問
業者からの問いかけがこれだった。バックアップ…?確かにクラウド同期はしていたけど、完全じゃない。ローカルに残っているデータが山ほどある。結局「してるつもり」だったのだ。自分の甘さと向き合う羽目になった瞬間だった。
業務のほぼ全部がパソコン頼みの現実
書類作成から提出、顧客管理、請求書発行まで、すべてがパソコンベース。頼れる人も少ないこの地域では、効率化のために自動化も進めていた。つまりパソコンが止まれば、それらの仕組みも全て機能しなくなる。「便利にしすぎた罰」みたいなものかもしれない。
書類作成、顧客対応、記録保存――全部止まる
記録を見返すこともできず、顧客に説明する根拠も出せない。予定していた登記の入力も進まず、補正が来ていたかもしれないメールもチェックできない。紙に逃げようにも、どの案件がどの段階にあるのかすら曖昧で、何もできなくなる。
手書きに戻れと言われても無理な話
「紙でやればいいのに」と簡単に言う人がいるけど、それがどれほど非効率で危険か、現場を知らない発言にしか思えない。過去の書類も電子保存、顧客とのやり取りもデータ中心。いまや紙は「一応残す」ためのものになっている。この時代に逆行することが、どれほど大変かは想像に難くない。
自分の無力さと向き合う時間
誰にも怒れない。壊れたのは機械であって、人ではない。何度も再起動を試し、何とか立ち上がらないかと願ったが、現実は変わらなかった。そんな時間の中でふと、「あぁ、自分ひとりでこの仕事、全部回してるんだな」と妙に実感した。事務員はいても、最後の判断も処理も私。だからこそ、パソコンが壊れただけで、心が折れそうになる。
復旧までの数日間が教えてくれたこと
代替機を手配し、最小限の業務をどうにか回す数日間。その間にも電話は鳴り、顧客は容赦なく進捗を求めてくる。理由を説明しても、「で、いつ終わりますか?」という反応。パソコンが壊れたぐらいで遅れるなという雰囲気が、ますます心に重くのしかかる。
誰にも頼れない、誰にも文句言えない
本来なら組織で分担されるようなことを、個人で抱えているからこそ、こういうときに一気に苦しみが出てくる。誰かに文句を言いたくても、それができないというのが個人事業のつらさ。逆に言えば、自分が倒れたら終わり。そんな現実に、真正面から向き合うことになった。
それでも電話は鳴り続ける
「どうなってますか?」「いつ戻りますか?」。電話は止まらない。パソコンが壊れたことを伝えても、「大変ですね」と共感してくれる人は少なく、「でもこちらも急いでるので」と結局プレッシャーをかけてくる。その繰り返しに、心がすり減っていく。
「書類の進捗どうですか?」と責められる
顧客には関係ない、こちらの都合。だからこそ、責められていると感じてしまう。「仕方ないですよね」と言ってくれた人の優しさが、かえってつらい。申し訳なさと、自分の準備不足への怒りとで、感情がどこにも置けなくなっていた。
頼るのは過去の自分の備えか、未来の自分の覚悟か
この状況を脱するには、かつて自分がどう備えてきたか、あるいは今からどう変わるかしかない。バックアップのあり方、リスク分散の意識、そして何より「一人で抱え込みすぎない」覚悟。結局、全部自分次第なのだ。
壊れる前に考えておくべきこと
今回の件で痛感したのは、「壊れてからでは遅い」という当たり前の真理だった。どんなに忙しくても、準備の時間は取らなければいけない。そしてそれは、精神的な余裕にもつながる。予防というのは、心の保険でもあるのだ。
バックアップ、冗長化、そして心の余裕
具体的には、クラウドへの自動バックアップの設定、サブ機の準備、印刷物の最低限の保管など。けれど一番重要なのは「余裕を持てる働き方」なのかもしれない。ずっと追われるように働いていると、何かあったときに完全に崩れてしまう。
だけど、そんな余裕あるなら最初から苦労してない
現実問題、そんな余裕があったら最初から苦労していない。日々の業務に追われ、今日も明日も全力疾走。その中で「ちゃんと備えておこう」なんて思えるわけがない。だからこそ、今回のような痛い目を見て、やっと本気で考え始めるのだ。
「ひとり事務所あるある」から抜け出せる日は来るのか
このままでいいのか、という問いをずっと抱えている。自分が倒れたら全部止まるような体制で、あと何年続けられるのか。ひとり事務所の限界と向き合いながら、それでもやっていくしかない。この小さな事件は、そんな自分への問いかけでもあった。