職業だけで人を見ないでほしい

職業だけで人を見ないでほしい

司法書士ってだけで勝手に判断される

「司法書士です」と名乗ると、たいていの人が少し姿勢を正す。まるでこちらが道徳の教師か、人生の相談窓口のように見えるらしい。けれども実際の私は、朝からコーヒーをこぼしてシャツを汚すような人間で、夜にはドラマを見ながら菓子パンを頬張っている。人に対してやさしくあろうとは思っているけど、決して完璧ではない。職業がまとうイメージは、時に人間そのものを見えにくくする。これが一番つらいのだ。

「しっかりしてそう」と言われるたびに

「先生ってしっかりしてますよね」と言われることがある。こちらとしては、いやいや昨日も登記で確認ミスして冷や汗かいたばかりです、と心の中でつぶやいている。しっかりしていそうに見せる技術だけは、この仕事を続ける中で自然と身についたのかもしれない。でも、実態は違う。むしろ不安だからこそ慎重になるし、経験からくる恐れがあるから確認も怠らない。ただの不器用な人間が、失敗しないように縮こまってるだけだ。

本当は忘れっぽくて不安が強いだけ

私はメモ魔だ。付箋もノートもスマホのリマインダーも使う。でもそれは、私が記憶力に自信がないから。朝、郵便ポストに出す予定の書類を持って出るのに、ポストの前を素通りすることもある。そんな自分に腹が立って落ち込む日もある。それでも「司法書士」という肩書があるだけで、人は「しっかりしてる人」と決めてかかる。肩書と実像のズレがあるたびに、自分をごまかしているような気がして、息が詰まる。

見えない努力の上にある“ちゃんとしてる感”

職業に求められる「ちゃんとしてる感」は、日々の積み重ねでなんとか保っているだけ。夜中に登記簿を何度も読み返したり、説明の仕方を紙に書き出して練習したり。そんな地味な努力の結果として、周囲が思う「落ち着いてる感じ」ができあがっている。でもそれは鎧のようなもの。一度外れれば、元野球部のくせに人前で話すときは手が震える小心者なのだ。プロっぽさの裏にある自分を、もっと見てもらいたいと思うことがある。

肩書だけで安心されるプレッシャー

「司法書士の先生が言うなら安心ですね」と言われるたび、内心ではプレッシャーに押しつぶされそうになる。信用されること自体は嬉しい。でも、「間違えられない」「完璧でなければならない」という重圧もセットでついてくる。この期待に応えようとするあまり、自分の限界を無視してしまう日もある。人間は肩書じゃなく、まずは中身を見てほしい。弱さも含めて受け止めてくれる関係が、実は一番心の支えになるのだと思う。

弱音を吐ける相手がいない日々

忙しさと責任感で、弱音を飲み込むクセがついてしまった。事務員さんには余計な不安を与えたくないし、家に帰れば独りきりで話し相手もいない。そんな日々が続くと、自分の気持ちを誰にも預けられないまま、どんどん閉じこもってしまう。たまに古い友人に電話しても、「しっかりしてるなあ」と言われて終わる。しっかりなんかしてない。ただ、黙って抱えてるだけなんだ。そんな人間もいるってことを、もっと知ってほしい。

「先生だから大丈夫でしょ」の呪い

「先生なんだから、そんなことで悩まないでくださいよ」——この一言に、何度心が折れかけたか。肩書に守られていると思われているけど、その肩書が逆に自分の声を消してしまう。しんどいと言ったら「でも司法書士でしょ?」と返されるのが怖くて、だんだん自分の本音を話さなくなる。これは呪いだ。職業の名前が、私を誰かの理想像に閉じ込めてしまう。そんな時、私は自分の存在が誰のものでもないと気づくのに苦労する。

心の中では毎日ドキドキしている

毎日が安心なんて、とんでもない。朝のメールひとつで、一日中不安が続くこともあるし、新しい登記の依頼が来れば、やり方を何度も確認してしまう。心の中ではずっと「大丈夫か?」と自分に問い続けている。だけど、外側にはそれを出さないようにしてる。なぜなら、それが「司法書士らしさ」と思われているから。でも、本当はみんな同じじゃないかと思う。不安と戦いながら、なんとか今日も机に向かっているだけなのだ。

恋愛での“職業バイアス”という壁

婚活や合コンでも「司法書士って聞くと安心感あるね」と言われる。でも、それで会話が終わってしまうことが多い。本当の私は、ゲーム好きで漫画も読むし、休日は一日中家にいて何もしないこともある。ただ“まじめそう”な人を求めているなら、それは私じゃない。職業だけを見て安心する人と、本当の意味で通じ合うのは難しい。結局、そうやって心が遠ざかるのを何度も繰り返してきた。誰かにちゃんと見てもらえる日は来るのだろうか。

「安定してて良さそう」だけで終わる会話

職業の話になると、「安定してるっていいよね」で話が終わる。もっと趣味の話とか、休日の過ごし方とか、他に聞くことはないのかと思うけど、たいていの人はそれで満足してしまう。でも、自分の話をちゃんと聞いてくれる人に会いたいと思うのは、贅沢なんだろうか。安定の裏側には、孤独と責任が張りつめている。誰かに安心を与えることができても、自分が安心できる場所がなければ、どこかでバランスを崩してしまう。

モテないのは性格か、それとも見た目か

35を過ぎたあたりから、「もう一人でいいかもな」と思うことも増えた。職業で興味を持たれるのはもうお腹いっぱいだし、かといって自分から積極的に行く勇気もない。そもそもモテるようなタイプじゃない。優しいとはよく言われるけど、それって「都合のいい人」と紙一重だ。かっこよくもないし、面白いことも言えないし、気の利いたLINEも苦手だ。だから、恋愛ではいつも静かにフェードアウトされる。それが、ちょっとだけ寂しい。

元野球部だったことも今では何の役にも立たない

昔は、野球部で大声を出してグラウンドを走っていた。あの頃の声の張りはどこへ行ったのかと思う。人前で話すときも、かすれた声で控えめにしゃべるようになった。体力も気力も落ちて、今じゃ草野球にも誘われない。元野球部なんて肩書、いまや誰も興味がない。むしろ、「え?そうなんですか、意外ですね」と言われて終わり。人は過去を見ない。今の肩書でしか判断されない。それが少し、むなしいのだ。

しがない司法書士
shindo

地方の中規模都市で、こぢんまりと司法書士事務所を営んでいます。
日々、相続登記や不動産登記、会社設立手続きなど、
誰かの人生の節目にそっと関わる仕事をしています。

世間的には「先生」と呼ばれたりしますが、現実は書類と電話とプレッシャーに追われ、あっという間に終わる日々の連続。