失敗しても誰も振り向かないときに思ったこと

失敗しても誰も振り向かないときに思ったこと

誰も助けてくれなかった日のこと

ある日、登記手続きで小さなミスをしてしまった。補正で済む程度のものだったが、依頼人の声色が変わった。こっちは睡眠時間を削って準備していたのに、その瞬間から「使えないやつ」の空気が漂う。誰もフォローの言葉はくれない。事務員も気まずそうに机を拭いてる。たかが1件、されど1件。そんな小さな綻びから「誰も助けてくれない現実」を突きつけられる。

あれだけ頑張っていたつもりだった

自分では結構頑張ってるつもりだった。土日も出て、夜はコンビニ弁当で済ませて帰る頃には日付が変わってる。そんな生活を続けていれば、少しくらいの失敗は「まあ仕方ない」と言ってもらえると思っていた。でも、現実はそんなに優しくなかった。疲れていようが、忙しかろうが、結果がすべて。やっぱりこの世界、頑張ってるかどうかじゃなく、結果が出てるかどうかなんだ。

結果が出ないとただの人

この仕事、どれだけ汗をかいても、数字に表れなければ意味がない。むしろ「必死ですね」と鼻で笑われるだけかもしれない。元野球部だった頃は、がむしゃらに走れば誰かが見てくれていた。でも司法書士の世界は違う。失敗すれば即ダメ出し。成功しても褒められない。そんな冷たい現場で、自分の存在意義を確かめるのは難しい。

味方はいないと知る瞬間

電話を切った後の静けさが、妙に重く感じた。事務所には僕と事務員しかいないのに、あのときは一人きりの無人島みたいだった。「先生も人間ですから」と声をかけてくれたらどれだけ救われたか。でも、そうはならない。味方なんていない。失敗した瞬間から、空気が変わる。冷たく、突き放すような空気に。

事務所の空気が重くなる瞬間

普段は淡々と回っているうちの事務所も、ひとたび何かトラブルが起きると空気が一変する。特に、自分が原因で何かがうまくいかなかったときの沈黙は、何よりもこたえる。責任を感じるのは当然だけど、支えてくれる人がいないって、ここまで孤独なのかと思う。

忙しいのに誰にも言えない

忙しくて頭が回らないときほど、誰かに「ちょっとしんどいんだ」と言いたくなる。でも、司法書士という肩書きのせいか、弱音を吐くと「頼りない」と思われそうで言えない。事務員にだって気を使うし、友人には愚痴ばかり言うのも悪い気がして。気づいたら、全部自分の中に溜め込むようになっていた。

事務員にも気を使ってばかり

一人で事務所を回している以上、事務員の存在は本当に大きい。でも、だからこそ余計に気を使ってしまう。自分が失敗して空気が悪くなると、彼女の業務にも影響が出る。「先生、大丈夫ですか」とは聞かれない。それも当然かもしれない。だけどその沈黙に、いろんな感情が湧いてくる。

気楽な先生にはなれない

「先生って楽そうですよね」と言われるたびに、苦笑いしかできない。こっちは胃薬片手に仕事してるのに。気楽なフリはできても、実際は小さなミス一つで信頼を失う世界。どこかで「自分さえ我慢すれば」と思ってきたけど、最近はその我慢が少しずつきしんできている。

元野球部の自分でも折れそうになる

学生時代は根性論が全てだった。「走り込みでメンタルは鍛えられる!」と本気で信じていた。だけどこの年になると、精神論じゃどうにもならない現実にぶち当たる。どれだけ体力があっても、心が折れたら終わりなんだと思い知らされる。

精神論じゃもう乗り越えられない

「気合いで何とかしろ」とか「根性出せ」とか、そういう時代は終わったと思っている。でも、心のどこかでまだその感覚を引きずっていて、だからこそ、自分に厳しくなりすぎる。しんどいのに休めない。弱音を吐いたら負けだと思ってしまう。結局、自分で自分の首を締めている。

声を出せば何とかなる時代じゃない

昔なら、大声出して「うおおお!」って叫んだらスッキリした気がする。今はそんなことしても誰も笑ってくれないし、余計に虚しくなるだけだ。声を上げたところで、誰も反応してくれないことが増えた。言葉にならない疲れが、静かに積み重なっていく。

なぜ失敗にこんなにも冷たいのか

誰もが失敗するのに、なぜこの業界は失敗にこんなにも厳しいのか。法的なミスは許されない。それはわかってる。でも、人としてのフォローの言葉すらないのは、ちょっと寂しい。人間らしさが置き去りにされてるような気がする。

士業の世界にある暗黙のルール

士業というだけで、「完璧で当たり前」と見られている。それがプレッシャーにもなるし、失敗したときの落差をより大きくしてしまう。誰にもミスはある。でも、それを「仕方ないね」と受け止めてくれる風土がこの業界にはあまりない。

失敗は恥という空気

ミスをしたことよりも、その後の反応のほうが堪える。みんな口には出さないけど、「あいつやったな」という空気が流れる。自分で自分を責める前に、もう周囲の目がそれを決めているような感じ。恥の文化が根強い。だからこそ、誰も失敗を表に出さなくなる。

それでもまた朝が来る

どれだけ落ち込んでも、翌日は容赦なくやってくる。登記も相談も待ってはくれない。だから、結局は立ち上がるしかない。でも、誰にも頼れないまま毎日立ち上がるのは、正直しんどい。

誰もいなくても仕事は待っている

孤独だとか、助けがないとか、そんなことを考えている暇もないくらい、毎日業務は次から次へとやってくる。悲しいとか悔しいとか感じる前に、メール返信や書類の確認。仕事が全部を飲み込んでくる。

愚痴を吐き出す場所の大切さ

誰にも言えないままの愚痴は、自分の中でどんどん毒になる。だから、せめてこうして文章にすることで、少しでも吐き出したい。ブログでもSNSでも何でもいい。共感してくれる人が一人でもいれば、それだけで気持ちは変わる。

独り言が増えたのも仕方ない

最近、誰もいない事務所で「なんで俺ばっかり…」とつぶやくことが増えた。誰にも聞かれてないと思うけど、たまに事務員が遠くからチラッと見てる。恥ずかしいけど、それも現実。独り言でしか救われない日もある。

同じような状況の人へ

この文章を読んで、「わかる」と思ってくれる人がいたら、それだけで意味がある。司法書士に限らず、どんな仕事でも、誰にも頼れず孤独を感じる瞬間はあると思う。そんな人に、ちょっとでも寄り添えたらいい。

自分を責めすぎないための工夫

完璧じゃなくてもいい。ミスをしても、人間だもの。そう言い聞かせることが大事だと思う。あとは、ほんの少しの工夫。散歩をするとか、好きなコーヒーを淹れるとか、自分を甘やかす時間をちゃんと作る。そうしないと潰れてしまう。

共感はどこかにあると信じたい

孤独のなかでも、「同じような気持ちの人がどこかにいる」と思えるだけで、だいぶ救われる。現実には直接助けてくれる人がいないかもしれない。でも、誰かの文章に、自分の気持ちを重ねることで、また少し立ち上がれる気がする。

しがない司法書士
shindo

地方の中規模都市で、こぢんまりと司法書士事務所を営んでいます。
日々、相続登記や不動産登記、会社設立手続きなど、
誰かの人生の節目にそっと関わる仕事をしています。

世間的には「先生」と呼ばれたりしますが、現実は書類と電話とプレッシャーに追われ、あっという間に終わる日々の連続。