ユーモアがないって言われても笑う余裕がない日もある
笑いが仕事から消えていく日々に
司法書士としての仕事に慣れてきた頃、「最近ちょっと堅すぎない?」と知人から言われたことがある。でも、こっちは書類の山と電話の嵐、依頼者の急ぎ案件に追われている。余裕がない中で、どこにユーモアを差し込めばいいのか。笑っている時間があれば、登記の確認一つ増やしたい。そんな日々が続いていくと、自分でも顔がこわばっているのがわかる。でも、あの言葉はずっと胸に引っかかっていた。
事務所に流れるのは緊張感だけ
うちの事務所は小さい。事務員さんと私、二人だけ。電話が鳴るたび、どこか空気がピンと張る。事務員さんも無言で受話器をとる。沈黙が多い。ふとした瞬間、気を抜けば苦情やトラブルに繋がる業務。だからこそ、つい表情が硬くなる。職場に笑顔を持ち込むのが間違いのように感じてしまう。でも、本当にそれでいいのか? そんな疑問が頭をよぎる。
電話を取る声がワントーン低い理由
最近気づいたのは、自分の「はい、〇〇司法書士事務所です」の声が、以前より低く、冷たくなっていること。昔はもう少し明るく言っていた気がする。でも、今はどこかビクビクしてる。電話の向こうの相手が何を言い出すかわからない恐怖。笑い声なんて浮かべる隙がない。ワントーン下がった声に、自分の疲れが染み込んでいた。
ちょっとした冗談が浮かばない重圧
何か一言ユーモアでも…と思うのに、言葉が出てこない。口を開けば、事務的な台詞ばかり。冗談を言って失礼だったらどうしよう、怒られたらどうしよう。そんな不安が先に立ってしまう。事務員さんが「先生、それ真顔で言ってるんですよね?」と苦笑いする。笑っているのに、空気が軽くならない。そんな自分に、またため息が出る。
昔はもう少し笑っていた気がする
今の私からは想像できないかもしれないが、学生時代は笑いの中心にいたこともある。元野球部で、ベンチではムードメーカーと言われていた。試合に出られなくても、チームを盛り上げるのが役目だった。でも、その頃の感覚はどこへ行ったのか。真面目に働いていたら、いつの間にかユーモアという筋肉を失っていたように思う。
野球部のころのベンチ裏トーク
緊張感漂う試合の最中でも、ベンチ裏では小さな笑いが飛び交っていた。「今日も監督、眉間にシワが五本!」なんてくだらない冗談を言って、みんなを和ませていた。今思えば、あの余裕こそが、強さだったのかもしれない。今の「ふざける隙もない」自分との違いに、寂しさすら感じる。
笑わせ役から孤独な登記士へ
司法書士になってからというもの、「間違えてはいけない」が前提の世界に身を置き続けている。責任の重さが、肩だけじゃなく心まで重たくしてくる。いつの間にか、笑わせ役だった自分が、誰とも笑いを共有しない側に変わっていた。独身のまま、孤独に業務をこなす日々。そんな自分が、ユーモアを忘れるのも当然かもしれない。
ユーモア不足は余裕のなさの裏返し
ユーモアを失ったわけじゃない。なくしてしまったのは「笑う余裕」だ。忙しさ、責任、そして失敗を恐れる気持ち。そのすべてが、言葉を硬くし、空気を重くする。でも、そんなときほど笑いが必要だと、頭ではわかっている。自分の中にある「笑えない理由」と向き合わなければ、何も変わらない。
忙しさがすべてを奪っていく
一日が始まると同時に、タスクが雪崩のように押し寄せる。登記の確認、相談対応、メールの返信。トイレに行くのも忘れることがある。そんな状態で「笑っていこう」なんて、どこの世界の話だと思っていた。でも、忙しさの中にほんの数秒、笑える瞬間があるだけで、人は救われる。そう気づいたのは、最近のことだ。
仕事が終わっても次の確認
夜、事務所の灯りを消しても、頭の中は明日やるべきことでいっぱいだ。「あれ、送ったっけ」「ミスしてないよな」——確認癖が止まらない。布団に入っても、どこか緊張したまま。そんな日々では、冗談を言う余裕なんてあるはずがない。でも、それが続くと、自分自身が壊れてしまうと、ようやく実感し始めている。
休日にまでついてくる「万が一」
休日、出かけてもどこかソワソワする。「もしも今日、トラブルの電話があったら」「もし郵便物の不備が発覚したら」。そんな“万が一”が、私のユーモアを奪っていった。昔のように気楽に出かけることもできない。心の片隅に常に緊張がある限り、笑いは入り込む隙すら与えられないのだ。
それでもユーモアは必要なのかもしれない
最近思う。「ユーモアがない」と言われたことは、もしかしたら「もっと気を楽にしてもいいんじゃない?」というサインだったのかもしれない。心のゆとりが、結果的に仕事の質にもつながる。少しずつでも、笑える時間を取り戻すことが、これからの自分に必要なんじゃないか。そう思えるようになってきた。
笑える人には仕事が集まる不思議
やっぱり、人は「話しやすい人」に相談したくなる。笑顔で迎えられたほうが、依頼者も安心する。堅苦しい説明を、ちょっとした例えや冗談で和らげることができたら、それだけで相手との距離は縮まる。真面目一辺倒では、伝わるものも伝わらない。そう気づいて、最近少しずつ言い回しを工夫している。
依頼者は「話しやすさ」で選んでいる
ある依頼者がこう言ってくれた。「前に頼んだ先生は、知識はあったけど話が固くて質問しづらかった。こっちは初めての登記で不安なのに…」と。それを聞いて、私は反省した。知識だけじゃ足りない。どれだけ相手に安心してもらえるか。ユーモアはその一つの手段。だからこそ、少しずつでも取り戻したいと思っている。
硬い専門家よりも柔らかい人間味
ミスを恐れて完璧を装うより、ちょっとした抜け感のある人のほうが、実は信頼されることもある。専門性だけを武器にしていた私は、人間味を削ぎ落としてしまっていた。肩の力を抜いた話し方、目を見て笑って話す。それだけで、相手の反応が変わるのを感じている。
ちょっとしたひと言が救う空気
会話の中にほんの一言、くすっと笑えるようなフレーズを挟む。それだけで、その場の空気が少し和らぐ。最近では、事務員さんとのやりとりの中でも意識してユーモアを入れるようにしている。「先生、今日は冗談のキレがいいですね」なんて言われると、正直うれしい。
「うちの代表、意外と面白いですね」
前に事務員さんが、お客さんにこう言っていた。「うちの代表、意外と面白いんですよ」って。予想外だったけれど、その言葉に救われた。自分でも気づかないところで、少しずつ変われているのかもしれない。完璧じゃなくていい。ほんの少し、笑える存在になれたらそれでいい。
小さな冗談が場を動かす瞬間
この前の相談対応のとき、「印鑑証明と住民票、どっちが先に来るか競争ですね」と冗談を言ったら、お客さんが笑った。その一瞬で、空気がふわっと軽くなったのを感じた。小さなユーモアが場の流れを変える。その感覚が戻ってきた気がして、ちょっとだけ、うれしかった。
無理して笑う必要はないけど
ユーモアが足りないって言われたからって、無理に笑おうとは思わない。でも、心にほんの少しの余裕を持つだけで、自然と笑えることが増えていく。それを少しずつ積み重ねていけばいい。完璧じゃない自分を、許せるようになること。それが、ユーモアを取り戻す第一歩なのかもしれない。
自分の機嫌は自分で取れないと続かない
誰かに笑わせてもらうんじゃなく、自分の中から笑える余白を作ること。そのために、仕事の進め方や休み方を見直してみる。独身の気楽さを、笑いに変える工夫もしてみる。自分のご機嫌を取るのも、立派な仕事のひとつだと思えるようになってきた。
愚痴が溜まりすぎる前に
愚痴は出る。でも、そればかりになったら、仕事も人間関係も回らなくなる。だから最近は、愚痴が出そうになったら、その前に深呼吸。あるいは冗談をひとつ挟んでみる。そんな工夫で、少しだけ心が軽くなることがある。愚痴を笑いに変える技術、身につけていきたい。
笑えない日のために笑える日を準備する
いつも笑えるわけじゃない。でも、だからこそ「笑える日」を意識して準備する。好きな音楽を流す、少しだけ遠回りして帰る、事務員さんとお菓子を食べる。そんな些細な時間が、また笑える自分をつくってくれる気がする。