もう終わったと思ってました午後三時の再起動

もう終わったと思ってました午後三時の再起動

午後三時にやってくる油断の瞬間

司法書士の仕事というのは、午前中が一番濃くて、午後は事務処理や調整作業が中心になる。だから、昼過ぎには「今日もよく頑張った」と、コーヒーでも淹れて一息つきたくなる。けれど、そんな油断が午後三時という時間に牙をむく。コーヒーの香りが広がる頃、なぜか突然、あちこちから連絡が入り始めるのだ。静けさのあとに訪れる慌ただしさは、まるでグラウンドで油断して後ろにボールを逸らした瞬間のようだ。

電話が鳴らない時間に期待してはいけない

午後三時を過ぎると、少し静かになることがある。午前中の相談も終わり、役所も一息つく時間帯。そんなときに、「今日はもう落ち着いたな」と油断するのが毎度のパターン。だが、その油断が命取りだ。電話が鳴らない=終わりではない。鳴らなかった電話は、まとめてあとからやってくる。しかも不思議なことに、そんなときに限って事務員も出かけていて、自分ひとり。もうひと笑いしていいかと思ったその瞬間、現実は容赦なくドアを叩く。

事務員が出払った時に限って起きる異変

「ちょっと郵便局行ってきますね」と事務員が出て行く。こちらも「じゃあ今のうちにデスクの書類でも片付けるか」と、久しぶりに静かな時間を歓迎する。だが、その静けさは嵐の前触れだ。普段は鳴らない内線が急に連続で鳴り出し、メールもポンポン届く。まるで誰かが見ているかのように、タイミングが完璧すぎる。あの静けさは、罠だったのかと毎回思う。

コーヒーを淹れた瞬間に電話が鳴る法則

これは迷信ではなく経験則。淹れたてのコーヒーの香りに包まれたその一口目、必ずと言っていいほど電話が鳴る。しかも緊急性の高いやつに限って鳴る。先日は火急の登記ミスが発覚し、「今日中に対応できますか」と言われた。湯気を立てるコーヒーを横目に、受話器を握る。あの瞬間、午後の再起動ボタンが押されるのだ。あぁ、さっき飲んでおけばよかった、と悔やんでももう遅い。

やりかけの登記が静かに反乱を起こす

登記の仕事というのは、書類が揃えば終わりではない。チェック、再チェック、そして誰かの小さな一言で再びひっくり返る。午後のゆるんだ脳にはこの作業が地味にキツい。午前中に「ここまでは片付いたな」と思っていた案件が、午後三時を回った頃、ひっそりと火を吹くのだ。メールの文末にある追記や、添付の別紙によって全体の流れが変わってしまう。書類というのは、沈黙していても裏切る。

頭の中では完了していた書類の山

目の前の案件が終わった気になっていたのは、自分の頭だけ。実際には、法務局からの戻しや補正依頼がポストに入っていたり、依頼人からの微修正メールが届いていたりする。頭の中では処理済みでも、現実には生きて動いている案件ばかり。これは、まるで試合が終わったと思ってロッカーに引き上げたら、まだ延長戦が始まっていた…そんな感覚に似ている。

消し忘れたチェックマークの罠

チェックリストというのは安心材料だと思っていたが、それも使う人次第。自分の字で入れた✔マークが、実は間違いの証拠になっていたことがあった。先方からの電話で「◯◯の登記原因証明情報が不足しています」と言われ、慌ててチェックリストを見返す。確かにマークは入っている。だが、実物はない。見えない疲れと集中力の低下が作り出した“終わったつもり”が、再起動の引き金になった。

もう終わったと錯覚した自分を責める

仕事が終わったと思った瞬間に始まるのは、いつも自己嫌悪。なぜ確認しなかったのか。なぜ休もうと思ったのか。午後三時のトラブルは、仕事の流れを止めるだけでなく、自分自身への不信感も植え付ける。集中力が切れかけたタイミングでくるトラブルほど、精神に堪えるものはない。

終わったと思った瞬間が一番危ない

「もう大丈夫」と思ったときが一番の落とし穴。経験があるからこそ油断する。知っているからこそ過信する。たった一つの確認漏れ、たった一件の電話の見落としが、夕方の予定をすべて吹き飛ばす。午後三時はそういう魔の時間だ。甘く見ていた自分への罰のように、仕事が増えていく。

安心した瞬間に崩れるスケジュール

「今日は定時で帰れるかも」などと考えると、なぜか案件が動き出す。あの予定表に書いた“空き時間”は、空きじゃなくなる運命なのだろう。想定していた帰宅時間が、まるで他人のスケジュールだったかのように崩れていく。スケジュールに“余裕”を見てはいけない。それは、埋まるためにある。

笑ってた自分を張り倒したくなる

午後三時前にちょっと笑ったあの瞬間。自分にご褒美なんて言って、菓子パン食べてた自分を張り倒したくなる。なんでそこで気を抜いたんだ。あれがなければ、今ごろはもう少し余裕があったはず。けれど、もう後戻りできない。資料を作り直しながら、モグモグしてた自分の顔が脳裏をよぎる。

一つの油断が午後を飲み込む

午前中にフルスイングで業務を終えたつもりでも、午後の一球でホームランを打たれるようなことがある。それも、ボールボーイが投げたような軽い球に。不注意が呼ぶ不幸は、たいてい小さくて見落としやすい。でも、確実に心にダメージを与えてくる。午後三時の油断は、じわじわと効いてくる。

修正依頼は必ず昼寝明けに届く

法務局からの電話、金融機関からのメール、顧客からの急ぎの再確認依頼…。なぜかどれも、ちょっと気が抜けた時間帯にやってくる。仮に昼寝ができたとしても、その直後に目を覚ましたら、大抵スマホが震えている。あの振動音は、午後の悪夢の始まりを告げるサイレンだ。

小さな見落としが連鎖する午後の地獄

一つの見落としが、別の資料にも影響し、次の確認にも狂いが出る。雪だるま式にミスが増えていき、気がつけば「なんでこんなことになったんだ」と呆然とする。だが原因は、午後三時のあの瞬間。たった一つの油断が午後をまるごと飲み込んでしまった。それが、この仕事の怖さだ。

立て直すのはいつも自分一人

結局、何が起ころうと処理を進めるのは自分しかいない。事務員が戻ってきても、「えっ、何かあったんですか?」と聞かれるだけだ。まあ、悪気はないのはわかってる。けれどこの“孤独な復旧作業”を誰が知っているだろうか。午後三時の再起動は、結局ひとりで完了させなければならない。

事務員がいない時の判断はなぜか重い

普段なら「これどう思う?」と聞ける相手がいないと、それだけで判断が一気に重くなる。相談できないというだけで、思考のスピードも落ちるし、選択肢に自信が持てなくなる。これは独り身の司法書士ならではの悩みだろう。責任の矢印が全部自分に向くのは、慣れたようで慣れない。

誰にも頼れない現場の孤独

こういうとき、同じ建物にもう一人司法書士がいてくれたら…なんて思うこともある。けれど、現実には誰もいない。隣の部屋は空っぽ、相談できるのはグーグルだけ。画面越しの情報に答えを求めることが、どれだけ不安定か。結局、書類を出すのは自分一人だし、責任も自分が背負う。

愚痴を吐き出す相手がいない

人間は愚痴を言える相手がいるだけで、救われる部分がある。でもそれがいないと、愚痴は自分の中でぐるぐる回る。独り言のように、ぶつぶつ言いながらキーボードを打つ。元野球部のくせに、今や完全なソロプレイヤーだ。午後三時の独り言は、愚痴であり、励ましでもある。

それでも手を動かすしかない理由

こんな状況でも、最終的にやるしかないのが司法書士の仕事だ。誰かが代わりにやってくれるわけじゃない。やり直しが利かない書類だからこそ、最後まで自分で責任を持つしかない。疲れていても、文句を言いたくても、手を動かす。それが“再起動”ということなんだと思う。

応援も慰めもなくても動く指先

誰も見てない。誰も褒めてくれない。でも、時間は刻一刻と過ぎていくし、締切は待ってくれない。結局、応援も慰めもないまま、手を動かし続けるしかない。それでも不思議と、書類を一つ片付けるごとに、少しだけ心が整っていく。午後三時に崩れた心が、指先の仕事で立て直されていく。

終わらせないと明日が潰れる

今やらないと、明日が地獄になるのは明白。だから手を止められない。書類を一枚出すごとに、「よし、これで一つ片付いた」と言い聞かせて進む。終わったと思っていたけれど、本当の再起動はここからだった。午後三時からの踏ん張りが、明日を守ってくれる。それがわかっているから、やるしかない。

しがない司法書士
shindo

地方の中規模都市で、こぢんまりと司法書士事務所を営んでいます。
日々、相続登記や不動産登記、会社設立手続きなど、
誰かの人生の節目にそっと関わる仕事をしています。

世間的には「先生」と呼ばれたりしますが、現実は書類と電話とプレッシャーに追われ、あっという間に終わる日々の連続。