“ありがとう”が抜け落ちた瞬間に見えるもの

“ありがとう”が抜け落ちた瞬間に見えるもの

手続きが終わっても何も残らない日がある

司法書士という仕事を長年やっていて、ふと心に残るのは「終わったのに、何も残らなかったな」という日です。手続きをミスなく終え、書類も揃い、登記も完了している。でも、そこには達成感も、依頼人からの言葉も、何もない。仕事だからやるべきことはやったわけですが、「仕事を終えた」という事実だけが静かに積み上がっていく日々は、正直しんどいものです。

「完了」の先にある虚しさ

あるとき、相続登記の依頼を受けたご家族の案件がありました。ややこしい戸籍を何通も取り寄せて、法定相続情報も作成し、登記完了まで一ヶ月かかりました。書類を引き渡した瞬間、「ふーん、これで終わりですか」とだけ言われたとき、私はただ「はい」としか返せませんでした。相手には悪気がないのは分かっていても、胸に残るのは虚しさです。

拍子抜けの帰り道と静かな疲労感

その日の帰り道、事務所に戻る途中のコンビニで缶コーヒーを買って車の中で一人で飲みました。終わったはずの仕事なのに、何かやり残したような気がして落ち着かない。でも、やるべきことはすべてやった。それなのに感じるこの「抜けた感じ」は、結局、“ありがとう”の一言がなかったからだと気づきました。

“ありがとう”の不在が心に残る理由

私は「ありがとう」と言われるために仕事をしているわけではありません。でも、不思議なもので、たった一言あるだけで、数週間の苦労が報われたような気になるのです。それがないと、まるで何か大事なピースが足りていないような感覚になる。司法書士の仕事って、そういう“欠損”と向き合う職業なのかもしれません。

感謝されない仕事、という現実

正直に言えば、私たち司法書士の多くは「当たり前に処理してくれる人」として見られている気がします。行政書士でも弁護士でもなく、「とにかく何かの書類を作ってくれる人」。役所よりちょっと対応がいい人。そんな風に思われている節がある。感謝されない仕事、でも責任だけは重いという、このアンバランスさには時折心が折れそうになります。

見返りを求めていたわけじゃない、けれど

お金も頂くし、それで十分じゃないかという声もあると思います。たしかに正論です。でも、現場の人間としては、「気持ち」も受け取れたら救われるのも本音です。私は見返りを求めていたわけじゃない。ただ、「人として見てもらえているかどうか」が、言葉の端々に表れる。それがまったくないと、まるで機械みたいな働き方に感じてしまうのです。

それでもやらねばならない司法書士の責任

それでも、私たちは仕事をやめるわけにはいきません。責任というものがあるからです。登記をしなければ権利が守られない。手続きを怠れば、相続人の一人が損をするかもしれない。そんな緊張感を、誰にも気づかれずに背負っている。司法書士は、静かに責任を引き受け続ける職業です。

制度の歯車として働くことの重さ

「登記」という制度がある限り、私たちはその歯車として動き続けなければならない。誰かがやらなければならない仕事。でも、そこに自分の「思い」や「存在意義」をどう見い出すかは本当に難しい。制度のために人がいるのか、人のために制度があるのか。そんなことをふと考えてしまいます。

依頼人の感情と距離を取るということ

依頼人の気持ちに寄り添いすぎると、こちらが潰れてしまう。だから、ある程度は距離を取るようにしている。でも、距離を取りすぎると、人として大事なものを忘れてしまいそうになる。そのバランスがとても難しいのです。「感情の線引き」は、ベテランになっても悩み続ける課題です。

事務員との会話が唯一の救いになる日

そんな毎日の中で、唯一心が和らぐのが、事務員との何気ない会話だったりします。今日のランチがどうだったとか、プリンターの紙が詰まってムカついたとか、そういう他愛もない会話が、意外と私の感情を支えてくれていたりします。小さな共感の積み重ねが、孤独な職業を続ける力になっているのです。

愚痴を吐ける存在のありがたみ

最近では、事務員が「今日は大変でしたね」と一言だけ言ってくれることがあります。そのたった一言に救われる日もあります。誰かに聞いてもらえる、ただそれだけで、自分の中の感情がリセットされる。だから、感情を押し込めすぎずに、小出しにできる相手がいることは、本当に大切です。

小さな共感がモチベーションになる瞬間

たとえば、事務員が手続きの流れを一つ覚えてくれた日。「あ、それ分かってくれたんだ」と思うだけで、嬉しくなります。大きな成功ではなくても、「わかってもらえた」という実感が、自分のモチベーションになります。共感って、派手ではないけれど、心を動かす力があるんですよね。

若い司法書士・志望者に伝えたいこと

これから司法書士を目指す方、駆け出しの先生方に伝えたいのは、「感謝されることが全てではないけど、感謝されないことが続くと苦しい」という現実です。そして、それでもやっていくには、自分なりの“意味”や“軸”が必要になります。感情の抜けた仕事は長続きしません。だからこそ、何かしら自分の中に支えを持っていてほしいのです。

「やりがい」は不定形で、時に欠ける

「やりがい」って、毎日感じられるものではありません。むしろ、「やりがいを感じなくてもやる」という日がほとんどです。それでも、誰かの役に立っているかもしれないという“可能性”を信じてやるしかない。その覚悟を持っていないと、気持ちが先に疲れてしまいます。

数字では測れない“価値”を抱え込まないために

登記件数、売上、件名処理数……数字は大事だけど、全てではない。自分の価値をそこにだけ求めると、空っぽになります。“ありがとう”のない日々を生き抜くには、もっと違う価値観を、自分の中に持っていることが必要です。

誰にも感謝されない仕事は意味がないのか?

そう思ってしまう日もあります。でも、感謝されなかったからといって、その仕事に意味がなかったわけではない。意味は、他人が決めるものではなく、自分で見出していくものです。司法書士という仕事には、目に見えない価値がたくさん詰まっていると私は思います。

感情の欠損に耐える術を持つこと

最後に言いたいのは、司法書士という仕事には「感情の欠損」がつきものだということ。それにどう耐えるかが、続けていけるかの分かれ道になります。私自身、まだその術を模索中ですが、せめて「同じように感じている人がいる」と知ることで、救われることもあると思います。

しがない司法書士
shindo

地方の中規模都市で、こぢんまりと司法書士事務所を営んでいます。
日々、相続登記や不動産登記、会社設立手続きなど、
誰かの人生の節目にそっと関わる仕事をしています。

世間的には「先生」と呼ばれたりしますが、現実は書類と電話とプレッシャーに追われ、あっという間に終わる日々の連続。

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