司法書士にとっての「立会」は勝負の場
登記手続きの「立会」は、司法書士にとって言わば試合当日である。野球で言えば、甲子園のマウンドに立つようなもの。事前の準備、確認、書類の整備、すべてがこの一瞬のためにある。だからこそ、遅刻や欠席などは絶対に避けねばならない。自分が来なければ、不動産の売買や融資が止まる。信頼を失うだけではない、案件そのものが飛ぶこともある。そんなプレッシャーの中で、私たちは毎回スーツに身を包み、手に書類を抱えて現場へ向かう。だが、そんな勝負の日に、人生は時に残酷なハプニングを差し込んでくる。
遅刻が許されない世界のプレッシャー
立会の場では、一分一秒が問われる。たとえば金融機関が関与している場合、融資の実行時間が決まっている。売主も買主も、みな多忙な中、時間を調整してその場所に集まっている。そこに司法書士が遅れるなど、考えられないのだ。以前、ほんの5分遅れただけで、不動産業者の担当者から「次回は別の先生にお願いするかも」と言われたことがある。あれは胃が痛くなるような一言だった。だからこそ、電車が止まったその瞬間、私はすべてが終わったような気がしたのだ。
信頼がすべて 失うのは一瞬
司法書士としての信用は、何年もかけて積み上げたものだ。だが、それを失うのに時間はかからない。電話一本すら繋がらない立会当日の現場では、沈黙が「不信」に変わる。以前、同業の友人が「寝坊で立会に遅れた」話をしていた。その一件で、大手不動産会社との取引はすべて打ち切られたという。そんな話を笑って聞けるはずもなく、内心震えていたのを覚えている。信頼を取り戻すのは本当に難しい。だからこそ、遅刻はただの遅刻では済まされない。
たとえ電車が止まっても理由にはならない
電車が止まった、それは事実だった。だが、「電車が止まったので遅れました」は、通用しないのがこの世界。実際、そう伝えたところで「それはそちらの事情ですよね?」と冷静に返された経験がある。私たちの仕事は、結果がすべて。言い訳よりも、どう対処したかを問われる。だから、少しでも「代替手段」を探す。タクシー?別路線?それでも間に合わなければ、もうどうしようもない。「運が悪かったですね」で済まされることはない。まさに厳しい現実だ。
その朝 電車が止まった
その日も、いつものように朝の7時過ぎに家を出た。空は曇り、少しだけ雨がぱらついていた。駅に着き、改札を通った瞬間、異様な空気に気づいた。ホームに人があふれていた。見慣れない人数に、嫌な予感が走る。スマホを開くと、「人身事故により運転見合わせ」の文字。心臓が跳ねた。目的地まで1時間以上。立会まで残り80分。まさか、そんな日に限って、こんなことが起こるとは。
ダイヤ乱れの一報がスマホに届く
駅の構内アナウンスが、何度も何度も繰り返された。「運転再開は未定です」その言葉に、膝が軽く震える。スマホには、先方からの「もうすぐ出発しますか?」のLINE。返事を返そうにも、言葉が浮かばない。駅員に詰め寄る人々の中で、私は立ち尽くしていた。あの日の焦燥感は、今でも体が覚えている。冷や汗で背中がびっしょり濡れていた。
最寄り駅の混乱と絶望の空気
誰もが苛立ち、誰もがスマホを睨んでいた。駅のベンチには座り込む人、電話口で怒鳴る人。私はその場を離れ、近くのバス停に向かったが、バスも大行列。タクシー乗り場も長蛇の列。もうこれは無理だと悟った瞬間、なぜか目の奥が熱くなった。「間に合わない」と声に出して呟いてみる。その響きが、自分の中にある絶望を現実に変えていった。
「タクシーか? いや間に合わない」焦る頭と動かない足
走っても無駄だとわかっていても、どこかに可能性を探して足が動く。スマホでルート検索、駅員に再開時刻を尋ね、タクシーアプリを開き…そのすべてが空回り。ふと気づくと、駅前の喫煙所で座り込み、タバコに火をつけていた。「ああ、もうだめかもしれない」そのとき初めて、自分が負けを認めた気がした。冷たいベンチに腰を下ろす自分が、なんとも情けなく思えた。
間に合わなかった結果とその後の対応
結局、立会には間に合わなかった。急いで電話をかけたが、先方の担当者は明らかに怒っていた。「今日の契約は延期にします」と告げられ、受話器越しに深く頭を下げた。体中から力が抜けた。それでも、謝るしかなかった。どれだけ言葉を尽くしても、あの日の信用は戻らない。電話を切った後の静寂が、やけに耳に残った。
先方への謝罪の電話 声が震える
電話口で謝罪する手は震えていた。「」「電車が…」「いえ、言い訳にはなりません」そんなやり取りを何度も繰り返す。先方も理解はしてくれたが、その声の冷たさが痛かった。信頼が崩れる音は聞こえない。だからこそ、余計に怖い。一度崩れた信頼は、簡単には戻らないのだ。
「こちらにも事情がありましてね」から感じる冷たい壁
担当者が口にした「こちらにも事情がありましてね」の一言が重かった。当然だ。先方にも売主、買主、金融機関、それぞれの都合がある。私の遅刻は、その全員に迷惑をかけている。何も言い返せなかった。ただ、静かに「本当にでした」と繰り返すしかなかった。
何ができたかを振り返るしかない自分
立会が流れた後、喫茶店で一人反省会をした。何かできる手はなかったか?もっと早く出ていれば?別ルートの想定は?でも、考えれば考えるほど自分の無力さを思い知らされる。司法書士とはいえ、交通機関一つでこんなにも崩れるのか…それが現実だ。
独立した者の責任の重さを痛感
誰もかばってくれない。それが独立というものだと、つくづく思う。会社員時代なら、上司が謝ってくれたかもしれない。だが今は、自分のミスは自分で抱えるしかない。良くも悪くも、すべてが「自己責任」。そしてそれが、何よりも重い。
誰もかばってくれないという現実
事務員さんが「大変でしたね」と声をかけてくれた。でも、彼女に責任はないし、彼女の一言で傷が癒えるわけでもない。むしろ、その優しさが少しだけ心に刺さった。独立してからというもの、「一人で耐えること」が増えた気がする。やっぱり、たまには愚痴を言いたくなる。
「運が悪かった」では済まされない職業
「人身事故なら仕方ないですよ」そう言ってくれる人もいる。でも、仕事の現場では「仕方ない」では済まされない。時間も信用も、お金も絡んでいる。「運が悪かった」ではなく、「備えが足りなかった」と見られるのがこの世界なのだ。冷たいが、それが現実。
事務員の優しい言葉に少しだけ救われる
それでも、事務員さんの「次は大丈夫ですよ」の一言には救われた。たった一言で、少しだけ前を向けた気がした。自分が選んだ道だし、逃げるわけにもいかない。明日もまた、立会はやってくるのだ。
こんな日もあるけれど生きていく
独身だし、家に帰っても誰かが慰めてくれるわけじゃない。でも、それでも生きていく。立会に間に合わなかったあの朝も、今となっては苦い思い出。だけど、あの日の教訓は確かに残っている。備えすぎるくらいがちょうどいい。司法書士という仕事は、そういう職業なのだ。
一人の夕飯が少しだけ苦く感じた
その夜は、コンビニの唐揚げ弁当だった。テレビの音も空しく響いていた。今日は何も食べる気がしなかった。でも、食べないと明日が来ない。それが現実。誰かと分け合う夕食じゃなくても、きちんと食べる。孤独な戦いは、こうしてまた続いていく。
それでも次の立会は来る
失敗しても、仕事は止まらない。明日もまた、立会がある。だから落ち込んでばかりもいられない。反省し、備えて、また現場に向かうしかない。もう電車のトラブルで遅れるようなことはないよう、次は1時間早く出よう。そんな風にして、また少しずつ自分を立て直すのだ。
過去を抱えながらもまた現場へ向かう
私の人生は、順風満帆ではない。モテもしないし、毎日がギリギリだ。でも、それでも人の役に立ちたいという気持ちだけは残っている。だから今日もまた、スーツに着替えて、書類を持って駅に向かう。「今度こそ間に合うように」そう願いながら。